【10-09】
真っ暗だ。何も見えない。
それを幸せに思ったのは一瞬のことで……現実は残酷だ。
「おい、起きろ」
ランプを照らされれば明るさが瞼の向こうに映り、まだ自分が生きているという受け入れたくはない現実を知る。
「この石に魔力を込めろ。蝋板もそこにある」
ジャスパーの声に薄っすらと目を開けると、冷たい地面に寝転がるエレーヌの目の前に、一つの小さな石がカラカラと転がり込む。少し遠くを見れば、牢屋のような柵の向こうにジャスパーの姿が見えた。
「早く作れ。グリフィンの命を奪った償いをしろ」
「……は……い」
重く自由の利かない体を何とか起こして石を握ると、すぐ近くに置いてあった蝋板にコトリと石を乗せる。魔力を込めると蝋板の魔法陣は鈍く銀に光った。
「ウッ……」
必死に魔力を流し込んでも、なぜか魔力は少しも込められない。それにしてもこのサクランボほどの大きさの石は何の石だろう。黒に赤い亀裂のような模様が入っていて、魔力石ではないようだ。
やがて力尽きて地面に倒れ込むと、転がった石を長い木の棒で手繰り寄せたジャスパーが「あれ? おっかしいな……」とブツブツ呟いて舌打ちするのが聞こえる。するとまた一つ石が転がり込んだ。今度は魔力石のようだ。
「それができるまで食事は抜きだ」
ジャスパーはそう言って去っていった。
再び体を起こし、行き絶え絶えになりながら何度も何度も繰り返し魔力を込め、ようやく出来上がった緑に輝く魔力石。
食事ほしさに、ではない。懺悔の気持ちだけだ。
「でき……た……」
ばたりと地面に倒れ込むと、手から零れ落ちた魔力石はエメラルドのように美しく輝いていた。
「きれい……ね……」
宝石のような輝きを放つ魔力石をうっとりと見つめていると、自然と涙が零れ落ちた。
だがやがてぼやける視界に人の姿が入り込み、美しい輝きを放った魔力石は棒で無造作に柵の向こうへ手繰り寄せられた。
「ほら、食事だ」
ジャスパーによってパンが一つ投げ込まれ、それは土埃を上げて地面をコロコロと転がる。手を伸ばしても届かない位置で止まったパンは、土を纏ってポツリと寂しげに佇んでいた。
ジャスパーが離れていくと、やがて辺りが穏やかな光に包まれる。そして白の中に時折黒の混じった羽が舞い落ち、目の前にルカニエルが降り立った。
『アイツ、これを食えっていうのか? 腹壊すだろうよ』
12のうちの3つの翼が黒く染まったルカニエルが、手の形を模した翼でパンを摘み上げる。
声を上げる気力も体力もなく黙ったままでいると、ルカニエルの白い翼から金の光が発せられた。
『ほら、食え。食わねーとすぐにでも死んじまうぞ?』
差し出されたパンは綺麗に清められ、香ばしくていい匂いがする。だが、体を僅かに動かすことすらできなかった。
『俺にはお前の寿命をどうにかできる力はない。さぁ、食え』
「私は……もう……食べられ……ない……わ。……あなたに……あげる」
『俺は人間が食うものなんて食わねーよ』
「無駄に……しては……ダメなの。……食べ……られない……人だって……いるの。……だから」
するとルカニエルの翼の一部にパンが消えていく。
『食えなくて困ってるやつのところに渡ればいいだろう?』
「うん……」
『まったく……お前は相変わらずおめでたいやつだな』
そんなルカニエルの嫌味でさえも嬉しい言葉に聞こえて、思わず笑みを零した。
「あり……がと……」
『もう気が済んだだろう? さぁ、俺を愛せ。たった一人の愛する者にその身を捧げるのが夢なのだろう?』
「……あなた……を?」
『そうだ。お前が誰よりも強く欲する愛を、俺が満たしてやる。それでお前は楽になれ。後は俺に任せろ』
ルカニエルの翼がエレーヌの身を優しく包むと、それはとても心地よく、幸せなひと時。まるで苦しみから解放されるかのようだ。
でもだからこそ、きちんと最期に告げなければならない。
「ルカニエル……あなたは……諦めないで……。どうか……天界へ……」
『もういい』
「ダメ……。あなたの……心根は優しい……。あなたを……救わ……なくちゃ」
『何を言ってる。俺はお前を呪ったんだぞ。それなのになぜ救おうとする』
ルカニエルの言葉に、エレーヌはフッと笑みを向ける。
「違うわ……。……この印は……呪いじゃない。……守る……印よ……。ねぇ……本当の……ことを……教えて?」
しばらく黙り込んだルカニエルに「お願い」と再度促すと、ルカニエルは迷いつつも話し始めた。
『お前の母親は――』