【09-04】
しばらく馬車が走ると、やがて東の森へと入る。
「シェリー嬢、大丈夫か?」
シェリルがブルリと体を震わせて腕で自らを抱え込むと、エリオンがそれに気づいたらしい。悪いイメージしかないこの場所はシェリルにとってあまり進んで立ち入りたい場所ではないのだ。
「ええ、大丈夫よ」
ちょっと無理して答えたものの、アニーが「僭越ながら、わたくしめがギュッといたしましょうか?」なんて言って目を爛々と輝かせているのを見れば、自ずと体から力が抜けた。
「ありがとうアニー。おかげで平気」
「そうですか?」
残念そうにするアニーがかわいらしく目に映る。
これはあえてギュッとしてもらった方がよかったかしら、なんて考えていると、エリオンが馬車の窓枠に肘をついてアニーをギロリと睨んでいるのが見える。不満げに見えるが……もしかしてこれが標準仕様? 本当にアニーには笑顔なんて向けないらしい。
ただ、そんなことは気にも留めない様子でアニーは不思議そうに窓から外を眺めた。
「立ち入りの禁じられた森というわりには、案外普通に入れるものですね」
アニーの言うとおり、森の手前に『これより神殿区域』という古い立て看板が一つ立ってるだけで何か柵があるわけでも門があるわけでもなく、普通に入ることができたのだ。
「うーん……まぁルミナリア王国民なら恐れて誰も近づこうとも思わない場所だから、そういうのは必要ないのかも」
シェリーの言葉にアニーが首を傾げる。
「ここってそんなに怖い場所なんですか?」
「小さい頃からそう教わるのよ」
「何だか普通の森っぽいですけどね。森林浴をしたら気持ちよさそうな清々しい雰囲気ですもの。……あぁほら、あの木にはリスが」
木の実を抱えた小さなリスが、枝の上をチョコチョコと駆けて口元をモグモグさせているのが見える。何とも平和な光景だ。
落ち着いて辺りを見回せば、至って普通の森。確かに何がそんなに怖い場所なのかよくわからない。
これまで何の疑問も持たなかったのだが……もしかしたら幼い頃から植えつけられる恐怖心が強く影響しているだけなのかもしれない。
森の中へ馬車を進めると、しばらくは見知った景色。そしてだんだんと知らない場所へと変わっていった。
「うーん……この辺りから記憶がないわ」
進む道もなくなったところで、馬車を降りて辺りを歩いてみることになった。
「アニーはここで待機してろ」
「はい、かしこまりました。お気をつけて」
シェリルはエリオンと共に森の中を歩き始めたものの、周りを見渡しても特に何も見えず、視界を覆うような木々が生い茂るばかりだ。
「うーん……迷子になりそうだわ」
「あぁ、それなら問題ないぞ。馬車に印を残してきたからな」
魔術で、ということらしい。なんて便利なのだろう。
「でも魔物が出ると言われてるけど、アニーと御者の方は大丈夫かしら?」
「……魔物ねぇ。どちらかというと、多少弱ってはいるが、充分すぎるほどの聖域という感じだけどな」
そう言ってエリオンはフッと笑う。
「えっ? それってどういう――」
すると突然、エリオンにグイッと腕を引っ張られた。
「なっ、何!?」
「誰か来る。静かに」
自分たちが来た方向とは少し違う方から、白馬が駆けてくるのが見える。その馬上の人物には見覚えがあり、近づいてくれば確信に変わった。
「あっ、ユリウスだわ」
木々が鬱蒼と茂るこの辺りは馬で進むのも限界で、案の定ユリウスは馬を降りて近くの木に馬を繋いだ。そしてユリウスはさらに森の奥へと歩いて進んでいく。
「ユリウス、どこへ行くのかしら……」
「追いかけてみるか」
エリオンの後ろに付いて、シェリルは足音を忍ばせながら進んだ。
しばらく進んで行き着いた、森を抜けた開けた場所。
「あ、もしかして……」
遠くの方に古めかしい建物が見えてきた。何本もの柱が列をなした長方形の石造りの建物で、神殿のように見える。この森には一つしか神殿がないため、つまりは、ここがシェリルが魔物の封印を行った神殿ではなかろうか。
それにしてもどうしてここにユリウスが来たのだろう……と木の幹に身を隠しつつも、気もそぞろになったところで不意に踏んでしまった枝がパキッと目立った音を立てた。
「誰かいるの?」
ユリウスはハッと振り返り、警戒した様子で辺りを見回す。
あぁ、やってしまった……。