【08-06】
心がざわつくようなモヤモヤを抱えつつ、食事中は雑談を交わす。エリオンは今日の仕事中にあった話をし、一方のシェリルはアニーの素晴らしいメイクやヘアセットの技の数々を熱心に語りながら、二人で絶品の食事を満喫する。
特に美しく盛り付けられたスイーツにはうっとり。ついつい頬が緩み、食べて思わず「美味しいぃぃ……」と感嘆の声を漏らすと、エリオンは「そうだな、うまいな」と随分嬉しそうに微笑んでいた。
シェリルが美味しそうに食べると、エリオンはとても嬉しそうにする。
その光景は一緒に食事をするうちに最早恒例となりつつあるのだが、エリオンが笑顔を見せることは特別なこと。そう知った今、欲を言うなら私だけに見せてほしいとシェリルは願う。
そしてもっと笑顔が見たくて「うん、美味しくて幸せだわ」とさらに返すと、「そうだな」とエリオンがもっと嬉しそうに笑う。
それはとても幸せな瞬間で、ずっとこうしていたいと欲深にも願ってしまい、あと何度この笑顔が見られるのだろうと思ってしまい……
ちょっと視界が潤んだのを誤魔化すように、パクパクとスイーツを口に運ぶ。
私は国に帰るんだ――自分にそう必死に言い聞かせた。
そして食事が済むと、夜空が綺麗に見えるバルコニーに出て二人で夜風を浴びた。
「あー、お腹いっぱい」
「よく食べてたな。食欲が戻ったようでよかった」
上弦の月にぼんやりと照らされたエリオンの顔は、優しく微笑んで見える。ただ、横顔で遠くを見ているせいで目が合わない。
「あの……エル、私……失礼な態度をとってしまったことを謝りたかったの。ごめんなさい」
アニーに話したせいか随分気持ちが落ち着いていて、スッと謝罪の言葉が出た。
「いいや、俺が何かあなたを怒らせるようなことをしたんだろう」
「違うの。あなたは何も悪いことなんてしてなくて……少し、気持ちに余裕がなかっただけで……」
話していてもエリオンと目が合わないことを苦しく思いつつ、シェリルはアニーに言われたことを思い出し、行動に移すことにした。
「あのね、エルの……婚約者の話を聞かせてほしいの」
そう言うと、驚きに見開かれた漆黒の瞳とようやく視線が交じり合う。
「どこでその話を?」
「あっ、それは……窓を開けた時に、偶然アランさんと話しているのが聞こえてしまって……」
「そうか、迂闊だったな」
エリオンは都合悪そうに大きな手で顔を覆って俯いた。やはり聞いてはいけないことだったのだろうか。
「ごめんなさい……」
「あなたが謝ることではないよ。それで、どうしてそんな話を聞きたいんだ?」
「なんとなく……気になるから」
その時に穏やかに吹き込んだ夜風がエリオンの黒髪をふわりと撫で、沈黙の気まずさを幾分か和らげるかのようだ。
「俺の婚約者のことが気になるの?」
「……なっ……てる……かも」
ボソボソと躊躇いながらおおよそ正直に答えると、エリオンはグッと唇を引き結んで顔を背けた。
「聞いてどうするっていうんだ?」
そう聞かれると閉口してしまう。自分でもどうしたいのかなんてわからないのだ。
すると暫く黙り込んだエリオンは、一つ息を吐き出して迷うように口を開いた。
「婚約者と言うと少し大袈裟だが……幼い頃にそういう約束をした相手がいるというだけだ」
「えっ、そうなの? まるで私とユリウスみたいね」
そう返事をすると、エリオンの横顔が僅かに苦しげに歪んだように見えたのは気のせいだろうか。
「……そうだな」
何かいけないことを言っただろうか。エリオンの一挙手一投足が気になって仕方がない。
怖気づきそうな自分を奮い立たせ、シェリルはさらに口にした。
「その相手って……アニーだったりする?」
「……は? 待て待て、あり得ない。絶対にない。なぜそうなる?」
「だって昔からの知り合いで、すごく仲良さそうだったから……」
「仲が良いというのか、あれは……。とにかく違う」
何か違うらしい。勇気を出して聞いてみてよかったと密かに胸を撫で下ろした。
「じゃあ、別の人?」
「あぁ、別の人。……全然違う人だ」
そう話すエリオンの横顔は穏やかに微笑んでいて、でもどこか寂しそうにも見える。
「そうなんだ……。ねぇ、幼い頃の約束って何か特別な感じがしない? キラキラしてて大切に守りたい感じ」
「あー……うん。だけど俺の場合は……もう約束は無効なんだ」
エリオンがそれ以上何も言わずにぼんやりと遠くを眺める様は酷く悲しげに思えて、シェリルの心をズキズキと痛みが占めていく。
エリオンの表情を見れば『無効』の意味は何となく予想がつく。きっとその相手とは結ばれないということなのだろう。
相手が別の人物と結婚したとか、約束を反故にされたとか、亡くなったとか……いずれにせよ叶わないということなのだろう。
そう考えると切なさが胸の中に充満していく。
「ごめんなさい……辛いことを聞いてしまったのね」
「いいや、別にいいよ」
そう答えるわりに、苦笑いを浮かべたエリオンの顔はとても寂しげに見える。何か慰めることを……。
「あ、そうだわ……あなたがしてくれたみたいに、私も壁になる。それか、寝ぼけてたとはいえ胸を借りたみたいだから、お返しに私も貸すわよ?」
そう言って腕を開くと、エリオンがクスッと笑う。
「さすがに女性の胸を借りるのはまずいだろう」
「あ……」
そうよね、ダメよね、じゃあ背中を貸すならいいかしら? なんて思っていると、エリオンはシェリルをじっと見つめる。
「それならシェリー嬢が来てくれればいい」
「……どこに?」
「ここに」
そう言ってエリオンは親指で自分の胸を示した。