【08-01】恋心
極秘の帰国が1週間後に迫るその日、シェリルは複雑な気持ちを抱えながら滞在中の部屋で過ごしていた。
ルミナリアに戻ったら、とりあえず家族に自分が無事だということくらいは伝えたいところだが……極秘ゆえにそれが可能かどうかもわからない。
カミラが自分を攫わせたこと、そして『聖女伝説』の怪しさを考えると、自分が生きてルミナリアにいることはあまり知られてはならないのだろう。そう考えると、家族に無事の知らせすらできるかどうか怪しいものだ。
でも会わないと神殿の場所がはっきりわからなくて、エリオンが興味を示している魔法陣を見せてあげられるかわからない。帰国に協力してもらうわりに何の礼もできなければ不義理極まりないのに……。
考えれば難点や不安要素ばかりな気がして頭がいっぱいになり、思わず溜息が零れる。気分転換に外の空気を吸おうと窓を開けると、地上から話し声が聞こえた。
「――でしょうね。それでしたら彼女は贈呈品にでも紛れ込ませましょうか」
「あぁ、たぶんそれが一番安全だろうな。道中はお前に任せる形になる」
「心得ております」
アランとエリオンの声だ。別館の下を歩きながらルミナリア行きの相談をしていると思われる。
盗み聞きなんて悪趣味だから、やっぱり窓を閉めようとハンドルに再び手をかけると――
「そういえばユリウス殿下のご結婚で思い出したのですが……ずいぶん前にうちの父に『心に決めた人がいる』とおっしゃっていたことがありましたよね?」
アランの問いに、ついついシェリルの手が止まる。
するとすぐにエリオンの返事が聞こえてきた。
「それがどうかしたか?」
「あれは本当のことですか?」
「あぁ、あれはお前の父君が相性くらいは確かめろと、わけのわからない女を押し付けようとしたからな。あの時は面倒だったから咄嗟にそう言った」
そう聞こえた途端、シェリルはホッと息を吐き出す。気が付けば息を止めて話を聞いていたらしい。
するとアランの言葉が続く。
「わけのわからない女って……。うちの親戚筋の身持ちのしっかりした伯爵令嬢だったではありませんか」
「どうでもいい」
「またそんな投げやりな言い方……」
「だが、結婚の約束をした人ならいる」
「えっ!? ……私が面倒だからそう言ってるのではなく、ですか?」
「違う」
「へーえー。それで……その方と相性は確かめたのですか?」
「あぁ」
「そ、それで結果は?」
「よかった。しかも、かなり」
「なんと! そんな奇跡が! あなた様にそのようなお相手が現れるとは!」
「そうだよな……」
「……」
「アラン……その気色悪い顔は何だ?」
「いいえ、珍しく緩んだ顔を浮かべていらっしゃるものですから。相性云々以前にその方のことが相当お好きなのかと思ったまでです。その『結婚の約束をした人』というのは身持ちのしっかりした伯爵令嬢より、それはそれは素敵な方なんでしょうね」
「嫌味ったらしい言い方をするな」
「嫌味ではありませんよ。半ば諦めかけていたあなた様の結婚。それなのに、ほかの女性には興味をもてないくらいお気に召していらして、しかも相性がいいだなんて嬉しくないはずがありません。一体どのような方なのでしょうね。『それはそれは素敵な方』にぜひお会いしてみたい」
「うるさい。いいからさっさと仕事に戻れ」
「うるさくもなりますよ。そもそも本来ならもっと早くご結婚を――」
会話が続く中、シェリルは静かに窓を閉めて呆然と立ち尽くした。
……へーえー、エルって結婚の約束をしてる人がいるんだ。ふぅん、思い浮かべただけで顔がニヤけちゃうくらい相当お相手のことがお好き。お気に召していらっしゃる。へーえー……えっ? 相性がよかったって何?
シェリルの胸に何か得体のしれない灰色の霧のようなものが充満していく。
エリオンは適齢なのだから別に婚約者がいてもおかしくない。しかもあんなにも美丈夫なのだから、さぞかしモッテモテなことだろう。むしろいないわけがないとも言える。
そう思うのに、このどこかモヤッとする感覚は何だろう。
シェリルは胸の真ん中あたりを摩る。
このザワザワする感覚。
これは……苛立ちだ。