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【07-11】

シェリルは不安を抱えながらもアニーに案内されて居住している別館を出ると、エリオンの執務室のある本館へ向かう。そしてとある一室のドアをアニーがノックした。



「シェリー様をお連れいたしました」


「入れ」



……ちゃんと「無理して食べないで」ってエルに言わなくちゃ。


アニーがドアを開けてくれて、シェリルは決意してその部屋に足を踏み入れた。



「あのねエル――キャッ!」



……びっくりした。


危うくクッキーを乗せたプレートをひっくり返しそうだったが、何とか足を踏ん張る。


部屋の中に大きくて灰色の……犬? いや、何となく犬っぽいようで大きすぎて犬ではない気もするが、犬という以外に表現方法がわからない生き物。ポニーくらいのサイズの非常に迫力のある、銀の瞳のかっこいいモフモフが伏せて寛いでいるのが見えるのだ。



「あぁ、それは特に気にしなくていい。そこのソファーに座ってくれ」



気にしない……のは無理。気になる。だって飼い主に似たのか、エリオン同様じっと、じーっと瞳が逸れない。警戒している様子で、釣り目だからから余計に怖い。


そして一応運んできたものの、エリオンが苦手とするマーマレードを挟んだクッキーをどうすべきか迷っていると、エリオンがそばに近づく。



「それは俺に」



クッキーを乗せたプレートをエリオンが手に取ろうとするのを見て、シェリルは首を横に振ってプレートを持つ手にギュッと力をこめた。



「あの、無理して食べなくてもいいわ」


「……ん?」


「嫌いなものを作ってしまってごめんなさい。エルの優しさは十分に伝わってる。だからもう大丈夫よ」


「え? いや、ちょっと待て」


「今度はマーマレードではないもので作るわ。リンゴもあったし、ベリーもあったし、アプリコットやプラムもあった。よかったらエルの好きなものを教えて? それで作り直すからちょっと待ってほしいの。だからこれはもう無理して食べなくてもよくて――」


『話を聞け!』



空気がビリビリと揺れるような頭の芯に響く声でそう言われてハッとすると、エリオンの漆黒の瞳が真っ直ぐ見つめていた。


まるで神殿で聞いた魔物の声のようで、ブルッと体に震えが走る。畏怖するように胸が騒がしく鳴って妙に息苦しく、すぐに目を逸らした。



「は……はい……っ……」



ギュッと目を瞑っておずおずと返事をすると、エリオンが「あ……」と悔いるように小さく声を上げ、息を吐き出すのが聞こえる。



「違う。怒ってるわけではないんだ。すまない。その……昂った感情の制御は難しい」



今度はいつものエリオンの声に戻っていることに気づく。先ほどの声は何だったのだろう。


意味がよくわからないままエリオンに目を向けると、エリオンは困ったような顔で微笑んでいた。



「シェリー嬢、怖がらせて悪い。何か誤解しているようだが、無理して食べるわけではない」


「……え?」


「かなり美味い」


「……」


「だから全部持ってきてくれと言ったんだ」


「……」


「聞いてる?」


「……うん? うん……。え? マーマレードは嫌いなのではないの?」


「嫌いではない」



……あれ? ちょっと意味がわからない。



「でもガスパルさんが言ってたの。エルにマーマレードを作って出したら、あまり好みではなかったみたいで『もういらない』と言われたって。だから苦手なのかと……」


「あー、それは――……うん、少し正しいがだいぶ違う。とにかく、これは美味い」



少し正しいがだいぶ違う? なんて難しい言い回しだろう。意味を掴むのが難しいが、ではあの様子は一体何だったのだろうか。



「そ、そうなの? エル、ぐったりしてたし苦しそうな顔をしてたし、てっきり食べて好みではなかったとか吐きそうとかそんな感じかと――」


「いいや、違う。それは大いなる誤解だ。そんなふうには全く思ってない」


「そっか……そうなんだ……」


「あぁ。その……城で働く者たちの前で腑抜けた顔はできないなと誤魔化した結果ああなっただけであって、好みではないなんてことは全くもってありえなくて…………つ……つまり……」


「……つまり?」



エリオンは口元を手で覆って目を背けると、ぽつりと呟く。



「あまりにも、その……美味しくてだな……顔が緩みそうなのを必死に堪えただけだ。誤解させて悪かった」



トスッ。心臓のド真ん中に矢が命中した気分。


頬が熱を持つのがわかる。そしてエリオンは照れているのが丸わかりで耳が赤い。



「そ、そうだったの? もう……紛らわしいわよ」


「すまない」


「でも私の前では結構笑ったり優しい顔をしたりしてるのに、お城の人たちには見せないってこと?」


「そうだな……あなたの前だけだ」



ドスッ。心臓に太い槍でも刺さったかのよう。


……えっ、私の前だけ!? そうなの!? 


あっ、あぁ、あれよね、城主として威厳を保つためよね。私は余所者だからその必要がないってだけのことよね。



「へ、へーえー、そうなんだ。それにしても、クッキーは気に入ってもらえたのね。それなら作った甲斐があったわ」


「あぁ、物凄く……好きだ」


「ひぇっ……」



好きだ、好きだ、好きだ、好きだ、好きだ、好きだ、好きだ……


ぼんやりと霞む脳内に、エリオンの放ったその言葉が延々と繰り返される。そして我に返った時には、心臓が壊れたかのように拍動を忙しなく繰り返す。


何がどうなってるのかわからないが、どうやら心臓に取り返しのつかない重傷を負った模様。


しかも「ひぇっ」とか淑女らしからぬ珍妙な奇声を上げてしまった気がする。


……大惨事だわ。


『好きだ』――エリオンのその言葉の破壊力たるや一体全体どうしたことだろうか。せっせと働く心臓は生命維持に必死だ。


……えっ、だから何だっていうのよ。エルはクッキーが好きだって言っただけよ。ただそれだけのこと。そうよ、それだけ……。


そう思いながら手元にあるクッキーを見つめていると、なぜだかへそを曲げたくなってきた。


……クッキーを渡すのはやめようかしら?


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