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【06-06】

エリオンとの間に生温くも気恥ずかしいような空気が流れる中、シェリルは気まずさから目を逸らすために一度深呼吸をした。


そして地面を踏みしめて改めて実感。仮とはいえ、自分はルミナリアに帰ってきたのだ。一度は死の闇を見たことを思い出せば感慨深いものがある。


エーデルアルヴィアに行ってからの数日は室内に閉じこもって密やかに過ごし、国に帰る術がないままモヤモヤしていた。


攫われた恐怖と帰れない不安は体を細部まで縮こまらせていたらしく、それがたった今、大声を上げたことで少しだけ解放されたような感覚だ。



「はぁーあ……何だか大きな声でたくさん叫んだらスッキリしたわ」



フフフフッと笑ってエリオンに目を向けると、エリオンも微笑んでいた。



「そうか、それはよかった。……なぁ、こっちに来てみろ。いい頃合いなんだ」



そう言われてやんわりと腕を引き寄せられたのは崖際の方向。


さすがに恐怖心が先に立ってエリオンの服の袖を千切れんばかりにギュッと握って足を踏ん張る。



「待って、エル……」


「ん?」


「あ、あのね……そっちは怖いの」



涙目で素直にそう言うと、ぼんやり見つめるエリオンの口からは「……――いい」と何やら小さく漏れ聞こえた。



「え?」


「いいや、何でもない。その……怖いと素直に言えるのは……いい傾向だと思っただけだ」


「エルにしかこんなこと言えないわ」


「ウッ……うん、そうか……」



ちょっとぉぉ、人が怖がってるのに、なぜ照れてるの!? 照れポイントはどこなのよ!



「もう……信じられない!」


「信じていいぞ。大丈夫だ。絶対に離さない」



なんかちょっと違う返事が来たけど、頼れる返事にドッキーン。心臓がおかしなほど大きな音を立て、キュッと締め付けられるようだ。


恐怖心もあるが、さらに何かが投入されて心臓の燃料になっているかのような感覚。


暖炉に(まき)をくべるかのようにどんどん追加されていくこの燃料は一体……。


ただ、やはり怖いものは怖い。崖から落ちる時、見えたのは絶望に包まれた闇の世界。またそこに引きずり込まれそうで怖くて堪らないのだ。



「しっかり掴まってろ。そうすれば落ちたりしない。仮に落ちても、俺が必ず助ける」


「そ……そういう――……」



そういうのは、何だかわからないけど胸が苦しくなるからやめて~、と言いかけてやめる。そういうのとは何なんだ、と自分でもよくわからないからだ。



「それなら目を瞑ってろ」


「え?」


「ほら、しっかり掴まって?」



エリオンの腰にひしと掴まると、再び蝉体勢。


おかしなほどバクバク鳴る心臓は、恐怖のため……か? 


困惑で顔を(しか)めつつ、目を瞑ったまま珍妙な体勢でゆっくり連れられて歩くと――



「目を開けて見てみろ」



エリオンの声が聞こえて薄っすらと目を開ける。



「うん? なぁに?」


「崖の向こうを……遠くを見てみろ。怖くない。ちゃんと支えてるから大丈夫だ」



そう言われて恐る恐る目を開き顔を上げれば、視界には夕陽を浴びてオレンジに染まるベリタス城と城下の街並み、そのずっと先には夕陽を水面に映してキラキラ輝く海が見えた。


そこは闇色の世界ではなく、温かなオレンジ色の世界が広がっていた。



「わぁ、すごく綺麗……」



眼下に広がるオレンジの絶景。空も、木々も、家々も、みんな温かだ。



「そうだろう? 今日は天気がいいから特によく見えるな」


「今日は、って……エルはここによく来るの?」


「もう少し城寄りの場所で崖の9合目くらいの岩場だけどな……うん、色々迷って考え事をしたい時に来る」


「……へーえー」



そんな高くて恐ろしい場所で考え事ができる度胸に感服しながら夕陽を見つめていると、シェリルの鼻孔を甘い香りがくすぐる。たぶんエリオンの香水なのだろうが……なぜだろう。このいい匂いを微かに知ってる気がする。誰かと同じ匂いだろうか。でもどこで嗅いだかわからない。



「……シェリー嬢、そんなに嗅がれると恥ずかしい」



どこだったかしら、と考えるうちに、気が付けばスンスン鼻を鳴らして嗅いでいたらしい。



「ごめんなさい。だって……エル、いい匂いがするんだもの」



そう言うとエリオンは目を見開き、次には優しい表情に少しだけ喜びを滲ませてフッと笑い始めた。


何だかエリオンという人は不思議な人だ。


なぜ笑うのか、そしてそんなに嬉しいことだったのか……よくわからない。



(でも本当に綺麗な人なのよね……)



オレンジに染まるエリオンの横顔を、シェリルはぼんやりと見つめる。


変な人だけど美。ダイナミックでめちゃくちゃな人だけど美。感覚ズレてるけど美。とにかく美。人間離れしてるわ……。


ついついボーッと見惚れていると、エリオンまた優しい笑顔をシェリルに向ける。



「シェリー嬢、この景色は気に入ってくれた?」


「あ、うん。とても綺麗だわ。それに豊かな街ね」


「そうだな」



広くて店や家も多く、賑わいのあるこの街。整えたのはエリオンだとアニーからは聞いている。


そういえばベリタスの街中はアットホームで優しい雰囲気で、少しだけレドモンド伯爵領の雰囲気を彷彿とさせる温かなものだったことを思い出す。



「ねぇ、エルはベリタスの生まれなの?」


「……いいや」


「そうなのね。それならなぜこの街に?」



アニーの話では、エリオンが『自らこの地を変えたいと志願した』と言っていたはずだ。てっきり近しいか思い入れがあるか、何か理由があるのかと思って聞いたのだが……予想に反してエリオンは遠くを見たまま黙り込んだ。聞いてはいけないことだったのだろうか。


するとエリオンは迷いつつ口を開いた。



「ここは――……」



そう言ってシェリルをじっと見つめたまま、また黙り込むエリオン。


ここは……何なのだろう。


すると目を逸らしたエリオンが再び口を開いた。



「ここは王都からは離れてるけど、結構大きな街なんだ。そうだ、街中を案内するよ」



何かごまかされたような……。気のせいだろうか。



「あ……うん、見てみたいわ」


「あなたが気に入ってくれるといいんだけどな」



ポツリとそう言ったエリオンの、少しだけ不安そうな横顔が目に映る。


……どうしてそんな顔を? 



「……エル?」


「ルミナリアのご令嬢には退屈かもしれないけどな」



エリオンがクスッと笑うのを見て、シェリルは口を尖らせた。


……今のはちょっと嫌味よね? 


退屈なんてするはずがない。


だって……ここはルミナリアの王都よりも規模が大きいくらいよ?



「もうっ、そんなはずないじゃない! 意地悪!」



はははっ、と笑うエリオンの美しい笑顔からはもう不安の色は消えていたけれど……


『相手に踏み込み過ぎず、あえて手前でとどまることもまた淑女の美しい姿である』と淑女教育の先生が言ってたことを覚えている。だからたぶん話したくない事情があるのだろうなと思えて深掘りするのはやめておいた。



「エーデルアルヴィアの王都は……確かロディアだったかしら? そこはもっと大きいのでしょう?」


「あぁ、そうだな」


「へーえー……王都も行ってみたいわ」


「いいよ。いくらでも案内する」


「本当? 楽しみにしてる」



ルミナリアより格段に大きな国・エーデルアルヴィアの王都とはどんなものなのだろう。


胸を膨らませていると、気が付けば崖際の恐怖なんて吹き飛んでいた。



「ねぇ、エル……」


「ん?」


「ありがとう」



崖から落ちて怖い思いをした闇色の記憶が、美しい夕陽のオレンジに少しずつ塗り替えられていくような感覚だ。


シェリルがエリオンに微笑みを向けると、エリオンはツイッと目を逸らした。



「……あぁ。元気になったなら何でもいい」


「エルのおかげよ。本当に感謝してるの」



素直にそう伝えると、一度逸れた瞳がチラリと戻り、また逸れる。



「それ以上は……今は勘弁してほしい」


「え、何が?」


「……い、いや、何でもない。よし、そろそろ偵察を始めるぞ」



エリオンの耳が赤くなっているのが見える。夕陽に染まっているせい……ではない気がする。


なぜか照れスイッチが入ったらしいエリオンがいつになくソワソワしてるのがかわいらしく目に映った。



「そうね」



クスッと笑ってエリオンにそう伝え、崖とは反対方向に振り向いた瞬間――



「偵察って何だ」



二人の喉元に鋭い剣先が向けられた。


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