【06-04】
するとエリオンが不意に笑い始めた。
「なるほど、蝉。言い得て妙だな」
……くぅぅぅ、バレたか。
「笑わないで……」
「なかなか想像力が豊かでいいじゃないか」
……いいじゃないかと褒めつつ、笑いは止まってませんけど?
「さぁ、今度こそ出発するぞ」
ちょっと笑ってるエリオンに腰をグイッと引き寄せられる。
シェリルがチラリと隣を見上げると、すぐ間近で美丈夫の形のいい唇が何か呪文のようなものをブツブツと呟いていた。
稀に見る美しい顔、細そうに見えるわりに引き締まった腰周り、がっしりと頼れる腕、恍惚としそうな甘い香り。こんな男性に抱きついて腰を抱きかかえられる体勢なんて、どうあってもドキドキして堪らない。こんな姿をベリタスの女性たちに見られれば、さぞ羨ましがられることだろう。
ドキドキと図らずも高鳴る自分の心臓にシェリルは文句を言いたい気分だ。つい最近までユリウスの婚約者だったというのに、なんてふしだらな心臓なのだろう。
「シェリー嬢、まだ崖は怖いだろう? 目を瞑ってていいぞ」
「い、いいえ、平気よ」
精一杯のツンとした態度でそう告げると、エリオンはフッと笑った。
「そうか? 怖くなったら目を瞑るんだぞ」
「……わかったわ」
「よし、それならあなたは真っ直ぐ立ってるだけでいい。一気に上がるけど……特に気にするな」
はい? 一気に上がる? 特に気にしなくて平気なの?
そもそもそんなの無理だと思うの、と心の中で抵抗している間にも、気が付けば足元に金色の魔法陣が光っていた。
(案外、魔術で『崖の上に一瞬でヒュンッと瞬間移動』とか『魂だけ崖の上へ行って偵察』とかだったりする? そうだったらきっと全然怖くないわね。なーんてね。やだなぁもう)
シェリルは自分の空想力に、そんなわけないのに私ったら夢見すぎ~、と突っ込みつつ一時気を緩める。それにしても一気に上がるってどういうことかしら?
「行くぞ……1、2――」
エリオンの緩~いカウントが始まって瞬時に疑問が過る。
……えっ、これって何のカウント? どこまで数えるの?
なんて思っていると――
「3」
『ん』が聞こえた瞬間には足が地面を離れて一気に天に向かって浮く。ありえないほど高く浮く。
……浮く? 違う、そんなかわいらしいものじゃない。
「嘘嘘無理キャアァァァァーー!」
言うならば、ハヤブサが天に向かって急上昇していくかのよう。3秒前の余裕綽々に妄想してた自分に言いたい。「全然そんな甘いもんじゃないわよ!」と。
シェリルの悲鳴が轟く中、二人は爆速で空へ向かって上昇していった。
「イィィィィヤャァァァァーー!」
(待っっってぇぇぇーーーーっ! こんなのおかしいわ! ある意味夢よ幻よーーッ!)
すでに地面が遥か遠くに見えるという、気を抜けば失神しそうなほど歯がガチガチ鳴るこの状況。生身の体で居ていい場所ではないのは確かだ。
「やだやだやだやだぁぁぁ何これぇぇぇっ!」
全然一瞬でヒュンッとじゃない。いっそ気を失ってた方が一瞬でヒュンッかもしれない。
ガタガタ震えながらエリオンにギュッとしがみつくと、エリオンはクスッと笑う。
「だから目を瞑っていろと言っただろう。大丈夫。ほら、崖の上が見えてきた。な、簡単に行けるだろう?」
空中で余裕の笑みを見せるエリオン。
ただ……崖の高さに辿り着く前にずいぶん失速してるのは気のせいだろうか。
いや、気のせいではない。感覚的に何となくわかる。
……これ、崖の上までたどり着かないんじゃない?
「エッ、エル!? 届かな……お、落ち……落ち……ッ!」
「ん? あぁ、あなたの体重分のパワーが少し足りなかったらしいな」
重くて悪かったわね! なんて悪態をつく余裕なんてあるわけもなく、崖の上まであと1メートルというところで止まってしまった上昇は、一瞬の浮遊感ののち、すぐに下降へと切り替わる。
「ヒッ――……」
全身の血液が逆流するかのような感覚に、どんどん気が遠くなっていく。
(あぁもうダメ、私、今度こそ死ぬ……)
失神寸前。恐怖が最高潮に達して声すら出なくなった時、シェリルをグッと抱き寄せたエリオンがニヤリと笑う。
「あまり大きな音は立てたくなかったけど、仕方がないな。上手く調整しないと……」
どこからそんな余裕が来るんだぁぁぁ! と叫びたくても下降の恐怖で声が出ない。
対称的に一つの焦りも見えないエリオンは、腰に回された手と逆側の手のひらを真下に向けて何かを呟く。すると魔法陣が浮かび上がり、エリオンの手のひらの向こうからドンと爆発音がして再び体が上昇に転じた。
「今度は何なのよキャァァァァーー!」
「俺は大胆な攻撃とか広範囲の防御とかの方が得意なんだ。その代わり、小さく加減するのは難しい……って聞いてるか?」
崖の高さを余裕で超え、「やっぱり飛び過ぎたな」と言ってハハッと笑う呑気なエリオンに訴えたい。
(でもでもでも! 待ってぇぇぇっ! 真っ直ぐ飛び上がっただけで、この後どうするのよぉぉぉ!)
崖までの距離は横方向に5メートルほど離れている。手を伸ばしたところで届かない。
(結局このまま落下!? 死ぬ……確実に死ぬぅぅぅ!)
崖の頂上の遥か上の位置で上昇が止まって再び一瞬の浮遊感を感じて下降に転じると、恐怖でグッと歯を食いしばる。
するとエリオンがまた小さく何かを呟き、今度は横に手をかざす。
その瞬間、再びの爆発音とともに、今度は横方向に体が吹き飛ばされるかのように移動した。