【06-02】
「ねぇエル……私、このまま国に帰ったらどうなるのかしら」
「そうだな、生きてることがわかれば都合が悪いだろうから、また命を狙われるんじゃないか?」
そう言われると自分がなおも崖っぷちに立っていることを思い知らされて、震える腕で自らを抱え込む。
「じゃあ私、ずっと帰れないの?」
「命を狙われる覚悟で帰るか、それが嫌ならこの国にこのまま隠れ住むか――」
「そんな……」
「もしくは秘密裏に動いて問題をクリアにするか、だな」
「……クリアにする?」
「あぁ。あなたの命を狙ってる者を見つけ出して、関わる者を一掃すればルミナリアで暮らせる」
一掃する、か……。仮に依頼者がカミラだとして、一対一で問題をクリアにするならなんとかなりそうだが、何となく再び崖の上の輩に攫われるのがオチという気がしてならない。
そして自分には武術の心得なんてないわけで、お金で解決なんていうレドモンドの名を汚すような真似はできないわけで、つまりは一掃なんて果てしなく無理そうなことで……。
シェリルがしょんぼりと俯くと、エリオンはフッと笑う。
「あぁでも……あなたが見たという神殿にある巨大な魔法陣には興味がある。ぜひとも見てみたい」
エリオンのその言葉に、シェリルはパッと目を輝かせた。
「それなら私が国に戻れるように協力して! そうしたら魔法陣のある場所へ案内してあげるわ!」
……とは言ったものの、シェリルも実はピンポイントに場所を知らないことを思い出す。何せ連れていかれた時は途中で寝てしまって道をきちんと覚えていないのだから。
でも今それを伝えるとエリオンが協力してくれないかもしれない。絶好のチャンスを逃しては困ると思って黙っている自分は、なんて狡賢いのだろう。罪悪感も無きにしも非ずだが背に腹は代えられない。
するとエリオンはクスクス笑いながら返事をくれた。
「本当にシェリー嬢がその場所に案内できるのかは疑問だけどな」
ギクッ。
「どうして……?」
「だって、『小さい頃から決して近づいてはいけないと言われてる場所』で『気づいたら神殿に閉じ込められてた』とあなたは話していたからな。想像するに……あなたは眠っていたのだろう。はたして場所がわかっているのか……」
ギクッ! 鋭い! 確かにエリオンに話した時にそう伝えたのだ。
「ご、ごめんなさい……」
「脆いな。目が泳ぐから、あなたの嘘はすぐにわかる。それに表情が豊かで……つまりは非常にわかりやすいということだ」
そう言ってエリオンは再びクスクス笑う。真っ直ぐな性格のシェリルは嘘をつくのがとても苦手だ。
(あぁ……ダメかぁ……)
帰国への道は、距離は短いのになんて険しいのだろう。真っ黒な靄がかかっていて見通せず、一歩踏み込めばそこには決して這い上がれない落とし穴が待ち構えているかのようだ。そんな恐怖の道を一人で進んでいく勇気はない。
叩いてでもつねってでも、あの時眠らずに頑張ってれば……と神殿行きの馬車で眠ったことを今さら大いに後悔していると、エリオンが「ただ――」と話し始めた。
「どのみちあなたをこのままここに長期間置いておくわけにもいかないし、なんとかしなければならないのは変わりない。だからいいよ、協力しよう」
エリオンの返事は、落ち込んだシェリルの心を一気に上向かせた。
なんて頼もしい味方だろう。
シェリルは自然と込み上げる涙で瞳を潤ませ、エリオンを見つめる。
「本当!? ありがとう、エル! すごく嬉しい。あなたって優しくてとても親切な人なのね。私、必ずあなたのために神殿を見つけてみせるから!」
「ウッ、うん……」
そう小さく返事をして絶句するエリオンを見て、シェリルは首を傾げた。
「どうかしたの?」
「いや……ちょっと心臓に激痛が……」
そ、それってまさか……!
「もしかしてエルって心臓に病気があるの?」
「……いや、そういうことではなくて、猛攻を受けてちょっと胸にグサッと……」
「嘘っ!? 胸を刺されたことがあるの!? 命が助かってよかったわね」
「……」
「ねぇ、そんな体でルミナリアには行ける?」
「……行ける。心配無用だ」
手で顔を覆いながらなぜかクスクス笑っているエリオン。
「エル、無理してはダメよ? 私が帰ることより、あなたの命のほうが大切だもの」
「ウッ、うん……なかなかの破壊力……」
「え?」
……心配してるのに、なぜ笑われてるのかしら?
「ところでエル……エーデルアルヴィアからルミナリアってどうやって行けばいいの?」
シェリルはエーデルアルヴィアに来たのはこれが初めて。しかも崖から落下するという、どう考えても非正規で特殊な方法でこの国に入った。だから通常の入国方法がわからないのだ。
するとエリオンが数秒考え込んでクスッと笑う。
「来た道を戻ったらいいんじゃないか?」
来た道。崖から落ちてここに来たのだから、そこを登れと? なんて非現実的な提案だろう。
「意地悪」
不満を露わに口を尖らせると、エリオンはハハッと笑う。
「案外そう意地悪でもないんだ。基本的にルミナリアとの国境には少なからず役人連中の目が光るからな。あなたはルミナリアの役人の誰にも顔を知られていないのか?」
そう言われると自信がない。
シェリルの家があるレドモンド伯爵領は、ルミナリアの中でも非常に広い領地を有しており、当主で宰相を務めている父は国内でも非常に有名人。その娘であるシェリル。自身が覚えていなくても、どこかで誰かに顔を知られていてもおかしくはない。
もしも知ってる人がいれば、きっとあっという間に居場所を知られて……。
「もしも私を知ってる人に出会って顔を見られたら、また命を狙われる……」
「そうだな」
つまりは帰国への道が閉ざされている、という状況に心細さが胸を占め、震えそうな体を自ら抱えて黙り込んでいると、エリオンの言葉が続いた。
「唯一『あの崖を下りようとするバカはいないだろう』ということで、ルミナリアもあの場所には役人を置いていないらしい。だから役人の目を盗むにはもってこいの場所だ。ただ、目を光らせる役人がいないぶん、ゴロツキ共の溜まり場になってると聞く」
そのゴロツキ共にシェリルは攫われたわけだ。
それにしても、そんな不可能なところからしか帰るチャンスがないとは――
「つまり……私は国に帰れないのね……」
シェリルが悲しみに目を潤ませていると、エリオンは首を傾げた。
「いいや、行こうと思えばすぐにでも行けるよ」
「……はい?」
「俺なら行ける」
「行けるってどこから?」
「だから、崖から」
……意味不明。何を言ってるのだろう、この人。
シェリルは涙目をぱちくりさせて顔を引きつらせた。