【05-08】
それからはエリオンに全てを話した。
婚約者にきちんとお別れを言おうと思っていたのに悪党に攫われてしまったこと、悪党たちに襲われそうになったこと、暴力を受けたこと、そして――
「急に……男の人の腕が燃えたの……」
「……ん? 腕が燃えた?」
思い出したら怖くなってきて体がカタカタと震える。でもエリオンがギュッと手を握って宥めてくれて、どうにかやり過ごした。
「うん……本当に怖いことばかり起きたの。みんなにとっての3年は長くても、私にとっては昨日と今日みたいで……たった10日の間にいっぺんに怖いことが起きて、どうして私ばっかりこんな目にって……っ……」
もうこれ以上怖い思いをするのは嫌なのに、まだ怖いことが続いてるみたいに何度も何度も夢に見る。そしてそのたびに死の恐怖を繰り返すのだ。
「もう一人で頑張れないって……そう思ったら心も体も闇に溶けていくみたいに真っ暗闇に包まれるの。私は地獄に落ちるんだって思って……その瞬間が……諦める瞬間が……すごく苦しい……っ……」
崖から落ちる瞬間、視界には雨で濁った闇色の夜空が映った。
頬や瞼にヒタヒタと当たる冷たい雨が重く圧し掛かるかのように体に降り注ぎ、背中が闇に引き寄せられていくようだった。
手を伸ばしても、どうせ誰も助けてはくれない。だから全部どうでもいい。もう手なんて伸ばさない。だって無駄だから。空を切る手が虚しくて苦しいから……。
そう諦めた瞬間、ヒュッと息が詰まり、深い絶望が襲った。
怨み、妬み、憎しみ、嘆き……孤独感で世界が真っ暗に染まり、心までもが闇色に塗りつぶされていった。
それはまるで――
「自分が悪魔になっていくみたいだった……」
シェリルがポツリと呟くと、エリオンが優しく手を握ってくれた。
「ならなかったみたいだな」
「……なってないかな?」
「なってないな。むしろ――……」
「……え?」
「……」
「……」
「なっ、何でもない」
そう言って恥ずかしそうに手で口元を覆うエリオンは「あっぶなすっげー恥ずかしいこと言いそうになった……」とぶつくさ呟いていた。
それにしても、本当に自分が悪魔にでもなってしまいそうな感覚だったのに……。
そう思ってふと思い出す。
「……あれ? そういえば、キュイの鳴き声……」
チチチ、とキュイの鳴き声のようなものが聞こえた気がして闇の侵食が止まったような感覚だったことを思い出したのだ。
「キュイ?」
「うん。青い羽の小鳥。飼ってたの」
「へーえ。それならそいつのおかげだな」
「うん、そうかも。大事な家族なの」
「そうか」
「すごくかわいいのよ」と言って笑みを向けると、エリオンが優しい笑みを返してくれる。握られた大きな手が、力強さが、全てを委ねてしまいたくなるくらいホッとする。不思議な人だ。
するとエリオンはハッとして手を離した。
「悪い。掴んだままだったな」
手が離れて気づく物寂しさ。もう少し掴んだままでいてほしかった……なんて思うのははしたないことだろうか。
ずっと誰も助けには来てくれなかったのに、この人だけが来てくれた。甘えたいのか縋りたいのか……理由はよくわからないが、エリオンの手が離れてすぐに冷ややかな空気が当たり、今にも凍えて震え出しそうだ。
凍えそうなのは……手? それとも――
「少し落ち着いたみたいだな。ほかに何か望みがあれば、俺にできることなら叶える」
ほかに望み……? 心細くて凍えそうで震え始めた手に、温かさがもう一度欲しい。そう言ったら困らせる?
黙ったまま震える手をギュッと握りしめていると、エリオンがその手を見つめる。
「震えているな。寒いのか?」
「うん……寒い……」
「あなたは熱があるからな」
するとエリオンは自らが羽織るローブをシェリルの肩にかけた。
「あり……がと……。あの……」
「何だ?」
「あなたの手がすごく温かかったの。だから、その……もう一度……」
握ってほしいと言えずに口ごもっていると、エリオンはクスッと笑って「いいよ」と手を差し出してくれた。
おずおずとシェリルが手を伸ばすと、エリオンの繊細な指先にちょこんと触れ、迷うように握ると、次には温かで大きな手がそっと包んでくれる。まるで胸の真ん中までじんわりと温かさが伝わってくるかのようなホッとする手だ。
「温かいわ……」
「そうか。それならよかった」
でも、まだ寒くて仕方がない。ブルッと体を震わせると、エリオンが憂うように見つめる。
「まだ寒いか。それなら――」
エリオンは掛け布団をシェリルの頭にすっぽりと被せる。
「……なぁに?」
「包まってろ」
「え? うん……」
「少し待ってろ。今温かく――」
するとエリオンがシェリルを見てフフッと笑う。
「何? どうして笑うの?」
「ん? いや……顔だけ出てるのがかわいいなと思って」
シェリルは頭と体をデュベで包み、顔面だけをひょっこりと出していたのだ。
「だ、だってエルが包まってろって言うからそうしたのに……」
笑われて恥ずかしい……というより、頭の中にはエリオンの『かわいいなと思って』が反響していた。妙なくすぐったさを感じて胸がソワソワするのはなぜなのだろう。『かわいい』は嬉しくなくて『綺麗』と言ってほしかったはずなのに……。
するとエリオンがシェリルの肩の位置のデュベに手を当てる。鈍く金の光が放たれてしばらく待っていると――
「……わぁ……温かい」
デュベの外側から内側に向かってじわじわと温もりが伝わってきた。次に反対の肩、背中とエリオンが手を当てていくと、デュベが温もりを持ち始める。
それは次第にデュベ全体へと行き渡り、まるで着る暖房器具のようだ。
「よし、これでしばらく温かいはずだ」
「ありがとう」
さすがに頭だけはデュベから出した。頭痛がして、頭は冷やしたいくらいからだ。
「手は? もう一度いるか?」
「……いる」
照れながらも素直にそう答えると、エリオンはフッと優しく笑う。
「わかった」
差し出されたエリオンの手を握ると、先ほどよりさらに温かかった。
デュベが体を温め、エリオンの手が冷えた指先を温めてくれる。程よい温もりが体を芯まで温めてくれるようだった。
(はぁ……ホッとする……)
頬も弛み、体のこわばりもほどけていった先は……シェリルの口から、ふあぁ、と欠伸が零れた。