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【05-04】

3年を経て知らない間に背が高くなり、長くなって(もつ)れそうな脚。こういう焦った場面ではなおさら上手く走れなくて、今にも(つまず)きそうだ。しかも胸の二丘が走る度に揺れて、走るには不便なことをこんなふうに知りたくはなかった。



「おい待てコラ!」



辺りは夜の闇に包まれ、ポツポツと降り注ぐ雨が月明かりすらも覆い隠す。


口の中は鉄の味。靴を履いていない足には石や枝葉が刺さって痛い。


でもそんなことには構ってられずに追いかけられながらも無我夢中で走り続けると、その先は残酷なほどの切り立った崖だった。


崖の下を覗き込むと、夜の闇と同じ色をしていて底が見えない。


きっと落ちれば……。


考えただけでブルッと背筋が凍るかのようだった。



「残念だったな。どうせ逃げられねーんだよ」



兄貴と呼ばれる男のその言葉から、恐らくわざとこの場に追い込まれたのだろうと思える。



「こっ……来ないで!」



震える両手でナイフを構えるものの、剣を手にする男たちに崖際に追い込まれて、(かかと)の後ろに最早一歩も足場はない。逃げ場を失い万事休すだ。



「売るか殺すか選ばせてやると言ったが……却下だ。テメーは殺す。やれ!」



男たちの手にする何本もの剣先が天を指し、それが一斉に振り下ろされた瞬間――



「ア……ッ!」



反射的に身を引いても、切っ先は胸元を(かす)めた。


体は背後に(かし)ぎ、闇の雨に暗赤色の雫が混じる。


伸ばした手は誰にも取られることなく空を切り、浮遊した体が自由を失うと、底の見えない暗闇へと誘われるように沈み込んでいった。



◇-◆-◇-◆-◇-◆-◇



「キャアァァァ――……ッ!」



シェリルは叫び声を上げながら飛び起きる。ハァッ、ハァッ、と荒い呼吸を何度も繰り返し、不規則に襲う頭痛に顔を(しか)めながら、時折ゴクリと唾を飲み込んだ。


汗だくになっている体が酷く気持ち悪い。


そしてこめかみから伝わり落ちてきた汗を拭って呼吸を整えているうちに、ようやく今の状況を思い出す。


そうだ、ここはエーデルアルヴィア王国。ルミナリアとの国境付近にあるベリタス城の客間だ。


ここには悪党はいない。ここは崖ではない。命を落としてもいない。ただ夢を見ていただけだ。


……夢? 


いや、夢であって夢ではない。現実に起きたことではあるのだから。


そう考えるとまた吐き気をもよおす。



(こんなの平気よ……平気。しっかりしなくちゃ。過ぎたことを夢に見てるだけだもの……)



それでもその夜は、思い出しては何度もえずきを繰り返し、ひたすらその苦しみに耐え続けた。




翌朝――



「シェリー様、お目覚めですか?」



朝から雨の降るその日、続く吐き気と頭痛と共に体を無理矢理起こす。



「うん……」


「まぁ大変、顔色が悪いですわ。眠れませんでしたか?」


「うーん……」



話すのでさえも億劫で短く返事をすると、アニーは不安げに表情を曇らせる。



「お体が優れないようでしたら、医官をお呼びいたしましょうか?」



病気というわけではない。現実に起きたことを何度も夢に見て(うな)されてる。ただそれだけ。それだけだ……。


だから首を横に振った。



「ううん、平気よ」


「でも……」


「本当に平気」


「そうですか……? では今日はゆっくりお休みになってお過ごしください」


「うん」



食欲もなく、寒気がして体が重い。ベッドに沈み込むように横になると、あっという間に眠気が襲う。


それなのに眠ればまた恐ろしい夢を見て目を覚ます。その繰り返し。


シェリルはその後も眠気はあるのにほとんど眠れず、吐き気や頭痛と闘いながらベッドで横になって過ごした。




その日の夜――


深い深い闇の中。


あぁ、まただ……もう何度この夢を見て、何度死の恐怖を味わったのだろう。行き着く先は苦しいばかりの結末だとわかっているのに、声も出ず、抗うこともできない。


怖い……。


心をすり減らし、恐怖に震えて荒い呼吸を繰り返し、ただ唇を噛み締めて一人で耐えることを繰り返すのだ。



『暴れるな。殺すぞ』



何か叫びたいのに、怖くて声も出ない。ただ自分の壊れんばかりの拍動と荒い息遣いだけが耳に入る。



『いてーな! 暴れんな!』


「……っ……放……し…………ッ」



体に触れようとする手が恐ろしくて遮りたいのに、金縛りにあったみたいに体が動かない。意味をなさない抵抗。霞む視界。口の中に感じる鉄の味。


……嫌、来ないで! 私に触らないで! お願い、誰か助けて! 誰か! 誰か! 



「誰……か……助け……て」



叫びたいのに、怖くて小さな声しか出ない。



『助けを呼んでも無駄です』



カルロの言葉がよみがえる。そうだ……どうせ誰も助けてなんてくれない。私はまた一人で闘わなければいけないんだ。


でもどんなに望んでも叶わない絶望が待ってるだけだ。



『ぎゃぁぁーーッ!』



突然男の口から響いた断末魔の叫び。独特の焼け焦げる臭い。腕が黒の業火に包まれて消失していく凄惨なあの光景が目に焼き付いて離れない。



「ウッ……」



吐き気をもよおしながらも縺れてどうしようもない足で必死に逃げて、逃げて逃げて逃げおおせ、やっとの思いで行き着いた先は崖。


なんて虚しいのだろう。また絶望だ。


またこの苦しみを味わうんだ。


もう嫌なのに、繰り返し、繰り返し、恐怖はただひたすら追いかけてくる。



『テメーは殺す』



何本もの振り上げられた剣先が自分に向けられたその時――



「おい」



突然男の低い声が耳に入ると同時に、体を揺すられた。



「やッ……! やめ……て……!」



絶望が待っているだけなのに、捕まりたくないと足掻く自分は一体どこへ向かおうとしているのだろう。



「やだ……っ! 触ら……な……ッ」



暗い中を震える脚で這うように逃げ出すと、腕を掴まれた。



「おい、待て」


「やっ! やだぁぁっ!」



捕らえられた腕をバシッと振り払って間もなく、足元の感触がなくなって体がグラリと傾ぐ。向かう先は何も見えない真っ暗闇。そうだ、崖だ。落ちる! 


――そう思った瞬間、シェリルの腕を再び力強い手が掴んだ。



「シェリー! シェリー、しっかりしろ!」



ハッとして背後に目を向けると、薄暗い中に明かりの揺らめきを映した宝石のような黒い瞳が目に映った。


重暗い場面にお付き合いいただきありがとうございます。

苦手なので、何かしらがすり減った気分……。

明日からは明けます。

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