【04-06】
昨日まで結婚の約束をしていた人との破談を今日受け入れる。そんな感覚なのは恐らくここにいる中で自分だけなのだろうとシェリルは思った。
皆には3年という年月が存在していて、眠っていた自分にだけそれがない。みんなは受け入れていて、自分だけが受け入れられていない。
自分の心の中とは対照的に静まり返る周りの様子を見れば、それが現実なのだとよくわかる。
王を前に「そんなの嫌だ」と言えるわけもなく、グッと唇を噛み締めて、今にも零れ落ちそうな涙を必死に堪えた。
すると王妃が王に告げる。
「陛下、カミラが聖女様にお会いできるのを楽しみにしておりましたわ」
「そうか……」
王は「カミラ」と一人の女性を呼んだ。
透き通るほどの白く美しい肌にパッチリとしたグリーンの瞳、美しいブラウンの髪、バランスよく整った顔立ち、女性らしい丸みと華奢な体型。美しく着飾った大人っぽいその女性は、絶世の美女と言えるほど美しい人。
そんなカミラと呼ばれる女性はユリウスのすぐ後ろにいて、名前を呼ばれるとユリウスのそばへぴったりと寄り添った。
シェリルはその様子を凍り付いた心で微動だにせず見つめた。
「来月ユリウスと婚礼の儀を執り行う予定の、ドリー伯爵息女のカミラだ」
王の言葉はシェリルにとってまさに傷口に塩。ショックに追い打ちをかけるような状況だった。
するとカミラは目に涙を浮かべてシェリルに近づき、シェリルの手を取る。
「シェリル様、よくご無事で。お目覚めになられたと伺って安堵しておりました。同じ年頃の女性として、シェリル様の痛み、苦しみは察するに余りあるほど。私、シェリル様のことを考えるとどうしたらいいのか戸惑ってしまいますわ」
ポロポロと美しい表情で涙を流すカミラを、シェリルは無言でぼんやりと見つめる。
すると王妃が感嘆の息を漏らした。
「カミラはなんて慈悲深く優しい子なのかしら。ユリウスの将来の相手として、カミラ以外に相応しい女性なんていないわ。そうですわよね、陛下?」
「……あぁ」
そんな会話を王妃と王が交わすと、カミラがシェリルの手を握ったまま告げる。
「ユリウス殿下のことをよく知る『ご友人』のシェリル様にはいろいろお話を伺いたいわ。どうか私のお友達になってくださいませ」
カミラの言葉が胸にグサリと刺さる。
(ユリウスが私の友人? 違う、友人なんかじゃない。結婚の約束をしていたの。婚約者よ。それなのにユリウスの新しい婚約者と私が友達に? そんなのって……)
何も言えずに俯くと、すぐそばにいるブラッドが小声で告げる。
「さぁシェリル、謹んでお受けするんだ」
有無を言わさぬような声。ショックでブラッドに目を向けると、ブラッドは険しく悲痛な表情をしていた。
言いたいことは何となくわかる。ただ『はい』と答えなさいと……この玉座の間で拒否なんてしてはいけないと言いたいのだろう。
そんなことはわかってる。でもこんなのあんまりだ。
シェリルは込み上げる涙を押し殺し、狭まる喉をこじ開けるようにして返事をした。
「はい……よろしく……お願いいたします」
「まぁ嬉しい。聖女様とゆっくりお話しできることを楽しみにしていますわ」
カミラが瞳を潤ませてかわいらしく笑う中、シェリルは握った手をワナワナと震わせながら唇を噛み締めてその場を耐える。
目覚めた世界には、目覚めない方が幸せだったと思えるほどの悪夢のような世界が広がっていた。
(何なの、これ……)
張り裂けそうな気持ちを抱えてブラッドと共に玉座の間を出たところで「シェリー!」と名を呼ばれる。聞き覚えのない男性の声。でも顔を見なくとも誰が呼んでいるのかすぐにわかった。
「ユリウス……」
そばに来たユリウスは見上げるほどに背が高くなっていた。
「シェリー、目覚めたと聞いて安心したよ。体調は問題ないの?」
そして記憶しているユリウスの声よりずっと低い声だ。
「うん、平気……」
「そうか、よかった」
見た目が変わっても、声が低くなっても、かわいらしい笑顔は変わらない。ユリウスはユリウスだ。
それなのに今はただ遠く別の場所にいるように感じられる。
(よかった? どうしてそんなふうに笑えるの? 信じられない……)
空白の3年がもたらした気持ちの差なのだろうか。沸々と湧く苛立ちは決して彼に向けてはならないとわかってはいても、今にも牙をむいてしまいそうだ。それを自覚すると同時に、別の人と婚約したユリウスを真っ直ぐ見ることができなくて顔を伏せた。
「ねぇ、シェリー……僕は――」
「まぁ聖女様、もしかして『お友達』になった私に何かご用かしら?」
ユリウスの言葉を遮るようにカミラが姿を見せ、シェリルはビクッと肩を揺らす。
「カミラ様……」
「それとも、『私の婚約者』のユリウス殿下に何かご用?」
私の婚約者。わざわざ強調するように放たれたその言葉に、喉の奥で息がグッと詰まる。
「い、いいえ……」
「そう? それならぜひまたゆっくりお会いいたしましょう。さぁ殿下、この後お出かけになるのでしょう? お急ぎになって」
「あ、あぁ……。シェリー、体を大事にね」
そう言って背中を向けたユリウス。そしてユリウスに腕を絡ませたカミラはシェリルに目を向ける。
先ほど玉座の間で儚げに目に涙を浮かべていた姿から一転、刺々しさを前面に押し出し、妖艶で誇らしげに笑っていた。
ユリウスと、ユリウスの腕にしなだれかかりながらシェリルに笑みを向けるカミラ。
真っ直ぐな廊下を寄り添って歩く二人の背中を見ているのが苦しくて、シェリルはすぐに目を逸らした。
(これは悪い夢? そうだったらいいのに……)
うぅぅぅ……
重い・暗い・悲しい展開は、嫌い・苦しい・辛い……