【03-05】
『――て……』
何かが……聞こえる……?
『――いよ、シェリル』
……うん? 何? よく聞こえない。
『――お願いシェリル!』
あなた……誰?
『――に間に合わなくなるわ』
……え? ……何?
『お願い、起きて!』
起きる? でも、とても体が怠くて嫌なの……。
『早く起きないと――』
……起きないと?
『リンゴとカスタードのタルト全部食べちゃうわよ!』
えっ!? ダメーーッ!!
ハッと目を開けると、シェリルの視界には差し込む朝日と共に自分の部屋の天井が映り、すぐ近くで鳥の鳴き声が聞こえる。
今のは夢……?
目をぱちくりさせて固まっていると、チチチ、チチチ、とキュイがしきりに鳴いている様子だ。それにしても今朝はやけに騒がしい。
見れば、いつもは窓に近い机の上に置かれている鳥かごがベッドサイドテーブルに置かれていた。道理で騒がしく感じるはずだ。
ただ、キュイは10日ほど前に逃げてしまったはずなのに、いつの間に鳥かごに……? 夜のうちに戻ってきたのだろうか。
シェリルは酷い眠気を抱えてぼんやりしたまま、妙に重怠く感じる体をどうにかこうにか起こす。体中にある全部の関節がミシミシバキバキと鳴っている感覚がするのは気のせいだろうか。
今日はずいぶん鳴るわね……と不思議に思いつつ、置かれた鳥かごの中にいるキュイに向かっていつもどおりに挨拶をする。
『おはよう、キュイ』
そう言いたかったのに、なぜだろう……声が嗄れて上手く出ない。咳払いを数回するとようやく声帯が半覚醒したかのように掠れつつも僅かに声となる。
「お゛……はよう……キュイ……」
いつものように鳥かごの扉を開けて人差し指にキュイを乗せると、キュイは腕を伝って肩まであっという間に登り、甘えるように頬ずりする。
かわいい……と思いつつ、ちょっと気になることが。
……これって私の腕?
ちょっと手のひらが大きく、そして腕が長くなっているような気がする。
自分の腕に違和感を覚えて目を瞬かせながら見つめていると、部屋のドアが開く。マチネがそこに立っていた。
「おはよう、マチネ。……あら、あなたには確か暇を出していて……戻ってきたのね」
するとマチネは手にしていたシーツをドサッと落として「だ、旦那様ー! 奥様ー!」と慌てた様子で階下に行ってしまった。
どうしたのかしら……と首を傾げていると、部屋の入り口からひょっこりと顔を出す女の子が見える。
「……誰かしら? おはよう」
そう挨拶しても黙ってこちらを見つめている少女はなんとなくルーシーに似ていて、ルーシーに姉がいるならこんな感じかなと思うような容姿だ。
しばらくするとドタドタと足音がして、部屋の入口にはぽっかりと口を開けて信じられないものでも見るかのように凝視する母・セイラの姿が。
ただ、どこかセイラの姿に違和感があるのだが気のせいだろうか。
「おはよう、お母様」
疑問を抱きつつも掠れる声でいつもどおりセイラにそう挨拶すると、セイラは呆然とした様子でその場に佇む。
「お母様?」
「『おはよう』じゃないわよ……。シェリー……シェリーなのね?」
何が疑問なのかわからないまま「うん、そうだけど……」と頷くと、途端に涙を溢れさせて顔をクシャクシャにしたセイラが抱きついてきた。
「シェリー……ッ……よく……よく戻ったわね。シェリー……」
「……え?」
抱きつかれてまたもや違和感。
……お母様、小さくなった?
自分より大きいはずのセイラの体が妙に小さく感じられるのだ。
さらにはセイラが抱きつく自分の胸元を見て、シェリルは眼球が飛び出んばかりの衝撃を受ける。
なんとびっくり。あるではないか。むっちりとはいかないまでも、自分の胸に切望のニ丘が……。
こうなるとさすがにおかしいことに気づいてきて、鳩尾のあたりがゾワゾワするのを感じながらゴクリと唾を飲む。
すると父・ブラッドともう一人、男性がバタバタと忙しない様子で部屋に入ってきた。
「シェリー!」
母ごとシェリルを抱きしめた低い声の体の大きな男性……恐らく兄のデヴィットだ。
「お、お兄様!?」
「シェリー……おかえり、シェリー」
そして父と兄の姿がシェリルの中の仮説を確信に変えた。
「お父様……髪に少し白髪が見えるわ」
「あぁ、そうだな。お前が眠っている間に、私もさすがに少し年を取ったよ」
そう言ってブラッドは手で顔を覆い、肩を震わせて小さく嗚咽を漏らす。
「それに、お兄様は背がそんなにも高く、ご立派になって……」
「あぁ、背は20cm以上伸びたな。騎士団に入って体も鍛えてるんだ」
シェリルは少しずつ記憶を整理しつつ、一番知りたくて、一番聞くのが怖いことをブラッドに尋ねた。
「お父様……私は一体、どのくらい眠っていたの?」
するとブラッドは涙ながらに微笑んでシェリルの頭を撫で、次には苦しげな表情に変えて答えた。
「丸3年だ」
ゾワリと背筋に寒気が走って体を震わせた。
「……3……年?」
昨日まで子供だった自分は、目覚めて起きたら大人になっていたらしい。
でもショック……なのだろうか。正直言って、まだショックを受けるほどの実感がない。何せ一晩寝ただけのつもりが、気が付けば3年経っていたようなもので、そんなにも眠っていた感覚なんて少しもないのだから。
ただ、自分の感覚以上に切実に痛烈に訴えかけてくるものがある。家族の憔悴しきった姿だ。それを見ていると、自然と言葉が口を衝いて出た。
「お父様、お母様、お兄様……心配かけてごめんなさい……」
そう言うと、セイラが大きく首を横に振る。
「どうしてあなたが謝るのよ……ッ……あなたは何も悪くないのに……」
「お母様……」
「立派よ、シェリー……あなたは私の自慢の娘よ……。おかえり、シェリー……おかえり……」
するとブラッドが涙を浮かべて告げる。
「シェリー、よく生きて戻った」
「お父様……」
「立派だ。お前は立派にやり遂げたんだ……ッ」
母が泣き、父までもが泣く姿を見ていると、シェリルの目にもジワリと涙が滲む。
そして涙目でセイラとブラッドを見つめていたデヴィットが、ブラッドをシェリルのそばへ引き寄せる。
「ようやく……家族がみんな揃ったな」
マチネと娘のルーシーも泣いて見守る中、4人で肩を組んで抱きしめ合い、涙を浮かべて皆で笑った。