【03-04】
「――っ……痛たたた……っ……」
肩の痛みを感じて目を開けると、体が触れているのは硬く冷たい地面。
ひんやりとした空気が肌を覆い、周りは真っ暗でよく見えない。
……どこ?
「お目覚めになりましたか、聖女様」
どこか離れたところから聞こえる声はカルロのものだ。
恐怖を少しでも和らげたくて、声の聞こえるほうへ縋るように向かうと、足裏にはいくつもの小石を踏んづけているような感触がする。
躓いて転びそうになりながら手探りで進んでいくと、やがて冷たい石壁に触れた。
「ねぇ、ここどこ?」
そう問うと、壁の向こうから答えが返ってきた。
「そちらは神殿内でございます」
「……えっ? ねぇ、暗くて怖いの。開けて?」
手で叩くものの、ペチペチと虚しい音が鳴るだけだ。
「お役目を果たせば出られましょう」
「嫌よ! 私はユリウスと結婚するの! 聖女にはならないわ!」
「神の導きにより定められる聖女は、ただお一人しか存在しないのです。次の聖女が現れるのはあなたが死する時のみ」
「そんな……!」
「ですからいい加減に覚悟をお決めください」
すると――
『ようやく来たか』
低くおぞましく、まるで雷の轟音のような声が頭の中に響き渡り、恐怖で肩を縮ませる。
「――ッ! 何……? ね、ねぇ――」
今のって誰の声? とカルロに聞こうとしたところで、遮るようにカルロが告げる。
「さぁ、立派にお役目を果たしなされ。壁際からから3歩ほど後ろに下がるのです」
「嫌よ! ここから出して!」
「下がらねば命に関わりますぞ」
そう言われると全身の筋肉が硬直するかのように縮まり、カタカタと体が震え始める。
(なっ、何よそれ……言うことを聞かないと私は死んでしまうの?)
急に自分のいる場所に恐怖を感じて、震える脚を引きずるようにして3歩後ろに下がった。
「下がったわ! ここから出して!」
「ではペンダントを握って、今から一つ呪文をお唱えください」
暗闇の中で壁から離れて立つというのは、なんと心許ないのだろう。天地の感覚が薄れ、足元が覚束ない。恐怖で脚がガクガク震える。
「い、いやっ……真っ暗で怖いの。お願いだから……ここから出して……っ、出してよ! お願い!」
シェリルの恐怖が極限に達して助けを求めても、カルロからの返事はない。
すると再び大きな声が頭の中に鳴り響いた。
『待っていたぞ』
「キャ……ッ!」
驚いて慌てて耳を塞ぐ。そうしていないと耐えられないほどのおぞましい声だ。怖くて体中が震え、寒気がするのに全身に汗が流れる。
一人で乗り越えると決めた。
決めたけれど……。
「やっ……助けて、お父様お母様! 助けて、誰か……! 助けて!」
誰の返事もないことに酷く孤独と恐怖を感じる。
シェリルが耐えきれずに啜り泣いても、カルロの容赦ない言葉は続いた。
「さぁ聖女様、ペンダントは握りましたか? ご自身を守るためにもお唱えください。呪文は『イーゼク・アディス・エディ――』」
「やだぁ……誰か……っ、お願いよ、誰か助けて!」
力いっぱい石壁を叩いても、鈍くペチペチと音が鳴るだけでビクともしない。ただ手の痛みばかりが増していく。
「そんなことをしても無駄です。さぁ早く――」
「誰か! 誰か……!」
「助けを呼んでも無駄です。ここには我々以外誰もおりません」
カルロに冷たくそう言われてゾクリと背筋に寒気が走った。
だったら先ほどから頭の中に響いてくる声は誰のものなのだろう。
……まさか魔物の声!?
「嘘……! やだ! ねぇ、あなた神官でしょ? 助けて! 魔物が――」
「両親の元に帰りたいのでしょう? さぁ唱えるのです!」
すぐそばにいるカルロですら助けてくれない。こんなにも怖い目に合っているのに、助けてと叫んだところで誰も助けになんて来ない。
喉に痛みが走るほど泣き叫んでも誰にも助けてもらえず、心には次第に絶望感が広がっていく。
……そうよ……私は独り。誰も助けてなんてくれないんだ。
体が、心が、次第に闇に溶けていく。
「聖女様、今こそ聖なる力を発揮される時。そしてそこから出たければ唱えるのです。唱えれば、怖いことなんて何もなくなります。さぁお早く。『イーゼク・アディス・エディヴィル・レイアビス』」
孤独な暗闇に聞こえてくるのはカルロの声のみ。それが一本の細い命綱のように思える。
(……唱えれば出してくれるの? 怖くなくなる?)
シェリルは胸元のペンダントをギュッと握りしめる。恐怖と切迫感が、望まぬ方向へと無理矢理足を進ませた。
「……っ……イー……ゼク……っ……やぁっ、わからない。怖い……もうやだ……」
ガクガク震えながら溢れる涙を拭っていると、ハァッと溜息をついたカルロの声が急に優しさを纏ったものに変わる。
「聖女様、落ち着いてください。私の後に続くのです。イーゼク・アディス」
そのカルロの声が唯一の福音のように感じられて、シェリルは救いの手を求めるように言われるままに唱え始めた。
「イーゼク……ッ、……アディス」
そう唱えると突然地面がぼんやりと光り、巨大な円と共に不思議な文様が浮かび上がってきた。そして急に足の力が抜け、抗えずにその場にへたり込む。
「やっ……! 何これ……何なの、この光……もう外に出して!」
足元には無数の緑の欠片が転がっており、一つ一つが小さな光を放つ。
すると頭の中に再び地鳴りのような声が再び響き渡った。
『やめよ』
「キャッ……!」
「聖女様、さぁ、呪文の続きを」
「で、でも今……また変な声――」
「そこから出たいのでしょう? 出るための呪文です。さぁ唱えて。エディヴィル・レイアビス」
「エディ……ヴィ――」
『やめよと言っているであろう』
「キャーッ!」
言われるまま唱える間にも雷の轟音のような低い声が頭の中に響いてきて、怖くて耳を塞ぐ。
……もう嫌。怖い。こんなのたくさんよ。どうして私がこんな目に合わなくちゃいけないの? 私が何か悪いことをした?
どんなに泣き叫んでも、自分の声が虚しく神殿内に反響するだけで誰も来てはくれない。こんなにも望んでいるのに叶わない絶望感が心に満ちる。なんて虚しいのだろう。もう諦めるしか……。
そう思ってハッと息を呑む。
……諦める? 夢を? そんなの嫌。
それならどうすればいい?
答えは一つだ。自力でここから出るしかないんだ。
封印を終えて無事家に帰る。お父様が、お母様が、お兄様が、マチネとルーシーが、そしてユリウスが、私の帰りを待ってる。だから必ず帰って、そして夢を叶えるんだ。
恐怖で零れ出た涙をグイッと拭うと、震える声で呪文を唱え始めた。
「エディ――」
『聞け。すぐにその陣から出よ』
「うるさいうるさいうるさい……! 魔物なんかに負けないわ! あなたを封印して私は家に帰るのよ……邪魔しないで! ……エディヴィル・レイアビス!」
唱え終えると円陣が突然パァッと光を増す。
するとさらに体に力が入らなくなり、起きていられずに地面にバタリと倒れ込んだ。
「……何……? 私、魔物を封印……でき……たの?」
そして地面にぐったりと横たわっていると、急に意識が遠のいてきた。眠くて仕方がない。
「聖女様、よくぞやり遂げられました。ゆっくり、ゆっくりとお休みください」
カルロの声がぼんやりと反響するように遠くで聞こえる。
(やったわ……私、ちゃんと封印できたのね……一人で乗り越えられたのね……)
ホッとして涙が頬を伝うのを感じつつ、遠くでカルロがフフッと笑う声が聞こえた。
「恐怖も絶望も希望も何もない深い無の世界へ、どうぞごゆっくり」
(無の……世界……?)
薄れゆく意識の中、また低い声が響いた。
『だから言ったであろう。仕方がない、もう少し待つとするか……』
……魔物の……声? あれ? 封印は……できた?
『本当に――か? ――と2つだぞ……――、エレーヌ』