【12-03】
シェリルは震える足を必死に動かし、すぐそばに見える滞在先の宿に向かって走る。だが、すぐに兵に腕を掴まれて捕らえられた。
「……ッ……放して!」
「怪我をさせたくはありません。おとなしく我々と同行してください」
「嫌!」
抵抗しつつも心の中で僅かに冷静な自分が顔を出す。
ダメ……強く拒絶をしたら、この兵もルカニエルの最後の翼も燃えてしまう……。
荒くなる呼吸を必死に整え、気持ちを落ち着けて腕を掴む兵に告げる。
「お、お願いよ……放して?」
「それはできかねます」
ギュッと力をこめられて、腕に強い痛みが走る。それでもシェリルは詰め寄る兵たちに懸命に告げた。
「あなたたちもやめて? 王国の未来を考えるなら、私ではダメなのよ」
ユリウスとの結婚は、呪いを解けなくなる弊害だけにはとどまらない。
正妃との間に生まれる嫡男にのみ与えられるこの国の王位継承権。それなのに、子を儲けない正妃となることが何を意味するのか兵たちにもわかるはずだ。それなのに一向に誰も引く気配がない。
「我々は殿下のご命令に従うまで」
「そんな……。ユリウス! お願い、やめさせて! こんなの間違ってるわ」
そう言ってもユリウスは薄気味悪く笑って見ているだけだ。
どうしよう……どうしたらいいの?
そう考えている間にも、目の前の兵がシェリルの腕をグイッと引く。
「さぁシェリル嬢、大人しく我々に従っ――」
不意に腕を掴む力が緩み、バタリと地面に倒れ込む兵の顔が足元に見える。
「……え……?」
何が起きたのかわからず呆然としている間にも、シェリルを囲む兵の周りを、電光石火のごとく人影が俊敏に動きまわる。そして兵たちが皆次々と倒れていく。
するとシェリルの目の前に一人の人物の背中がザッと立ちはだかった。
「シェリー様、遅くなりまして申し訳ございません。シェリー様と楽しむ旅とグルメに浮かれてちょっと夜更かししたら、わたくしとしたことが、とんだ大失敗。寝坊してしまいましたわ」
少しだけ寝癖ではねた束ねられていない赤毛が、朝日を浴びてより一層鮮やかな赤に染まって見える。
その声、そしてその後ろ姿でわかるこの人物。
「……アニー……?」
信じられない気持ちで、シェリルは目の前に立つアニーの後ろ姿を見つめた。
「もうっ、シェリー様ったら、お出かけでしたらわたくしをお誘いくださいませ。置いていくなんて……わたくし、寂しくてシクシク泣いてしまいますよ?」
ウフフフフッと不敵に笑うアニーは横顔しか見えないものの、ブルッと震えが走るような恐ろしさを感じる。何となく今、アニーの顔をまともに見てはいけない気がして僅かに視線を逸らすと、続けてアニーがシェリルにだけ聞こえる声でひっそりと呟く。
「シェリー様、わたくしがエーデルアルヴィアの者と露見するのはあまり都合がよろしくなく、魔術を使用することができません。ですので少し下がってお待ちください」
そう言うアニーの両手には2本の木の棒が見える。それは料理に使う長めの麺棒のようだ。
「アニー……まさか、それで戦うの?」
するとフゥッと息を深く吐き出して麵棒を構えるアニーが呟く。
「爽やかな早朝、他国の王都内、ご令嬢の御前。血生臭さは御法度ですもの」
「血……生っ……?」
「おかげでこんな短い木の棒しか使えなくて物足りませんけれど……わたくしの愛刀たちを振り回すわけにはいきませんでしょう? 致し方ないですのよ」
フフフッと笑うアニーの言ってることが妙に物騒なのは気のせいでないはずだ。
「すぐに片付けますからね」と告げて目の前から瞬時にいなくなったアニーは、目にもとまらぬ速さで動き回り、跳ね回り、打ち回し、残りの兵たちをバッタバッタと麺棒と体術で伸していく。
それは鮮やかとも言えるほどの立ち回りで、こんな状況でも見入ってしまうほどだ。
もしかして前にアニーが言ってた『一番得意なのはもっと別のこと』ってまさか……これ?