嵐の名残り(一緒に踊りましょう)
「えっ、何ですか?」私は少し驚いた。
「これは最も基本的な舞曲で、踊りながら会話を楽しむためのものだわ。君も知っているだろうが、舞踏会でよく演奏される曲は10曲にも満たないの。それぞれの曲のメロディーを覚えて、どんなステップを踏むべきかさえわかればいいわ。だが、ダンスはそれだけではないの。適切なタイミングで回転したり、ジャンプしたりといった変化を加えることもできるわ。こうした変化は主に男性が主導するものだわ。たとえば、君が手を上げた時、わたくしはそれに合わせて回転することができるわ。理解しているかな?」フィドーラ殿下は私に背を向けたまま言った。
「わかります、フィドーラ殿下。母親からも、家でよく教えてもらいました。基本的な踊り方と難しい踊り方、両方とも習いました。」フィドーラ殿下には見えなかったが、私はうなずいた。母親は私がダンスを続けないことを惜しんでいた。リノスのダンスを彼女に見せたことはなかったが、帝国のダンスをどうしても教えたかったのだろう。しかし時間が限られていたため、社交ダンスの指導が終わったばかりだった。もし一人で踊るダンスを先に教えてくれていたら良かったのだが、結局舞踏会で踊る機会はなかったのだから。
帝国のダンスは決まった動作がなく、10種類以上の動作から成り立っている。一般的には男性が次の動作を選び、そして動きでパートナーに合図を送る。二人で一緒にその動作を完成させるのだ。女性のステップは通常男性のステップよりも難しい。だから、帝国の女性たちは社交ダンスの練習に男性よりも多くの時間を費やすのだ。意地悪な男性がわざと難しい動作を選んで、パートナーを困らせることもあると聞いたことがある。母親も、パートナーのレベルがわからない場合は、基本のステップだけを踊るようにと言っていた。だから私はいつも躊躇してしまうのだ。フィドーラ殿下がステップについていけなくなるわけにはいかない。私は内心でそう自分に言い聞かせた。
「では難しいステップを踊ってみようかな。ルチャノ、わたくしがステップについていけないと心配することはない。幼い頃からずっと練習してきたんだからな。舞踏会で皆にわたくしたちの関係を証明して見せるつもりだわ。ユードロス、演奏の準備をしなさい。」フィドーラ殿下は興奮したようにくるりと私に向き直り、目を輝かせた。
「わかりました、フィドーラ殿下。」ユードロスは再び楽器を手に取り、私は不安な気持ちでフィドーラ殿下を見つめた。大丈夫だろうか?
ユードロスが先ほどよりも激しい曲を弾き始めた。この曲は舞踏会で演奏される曲の中でも難易度が高い方だ。ユードロスは本気なのか?私は眉をひそめた。
「どうした、ルチャノ。この曲を踊りきれないと思っているのかな?」フィドーラ殿下は微笑んで私を見つめながら言った。
「いえ、フィドーラ殿下。ただこの曲は難しい上に、さらに難易度を上げるとかなりの挑戦になります。大丈夫でしょうか?」私は心配そうに言った。私自身は女性のステップを踏めるが、フィドーラ殿下はどうだろう?しかも今日はハイヒールを履いている。
「ルチャノ、君はもっとわたくしを信じていいんだわ。帝国の皇女であるわたくしと将軍の息子である君の間には、これからも数えきれないほどの困難が訪れるの。もしこのダンスさえ信じられないようなら、どうやってこれからもわたくしのそばにいられると言うんだ?ルチャノ、わたくしは君を信じるの。だから、今は君がわたくしを信じる番だわ。」フィドーラ殿下は優雅に体を動かしながら言った。最初はテンポも遅く、ステップもそれほど激しくなかったので、こうして小声で話す余裕があった。
「フィドーラ殿下、私はあなたを信じています。」私は歯を食いしばり、母親から教わった動きを思い出しながら左手でフィドーラ殿下の腰を支えた。もしフィドーラ殿下が倒れそうになったら、彼女を抱きしめて自分の体に倒れ込ませよう。足をくじかないことを願うばかりだ。
「それでいいわ。」フィドーラ殿下は満足そうに言った。曲が突然激しくなり、フィドーラ殿下はそのまま上半身を後ろに仰け反らせた。私は左手でフィドーラ殿下を支えた。フィドーラ殿下はとても軽かった。冬服を着ているにもかかわらず、まるで鶴のように軽やかだった。本当に彼女を守り抜くことができるだろうか?私は自分に疑問を抱き始めた。
「気を抜くないて!」フィドーラ殿下は私の迷いを見抜いたのか、静かに注意を促した。私は慌ててうなずき、右手でフィドーラ殿下の右手を取った。フィドーラ殿下はすばやく立ち上がり、曲のリズムに合わせて後ろへ倒れ込んだ。すると私の手を引いて回転し、そのまま私の腕の中にすっぽり収まった。
「素晴らしいわ。」フィドーラ殿下は嬉しそうに言った。私も難しい動きをやり遂げたことに喜びを感じて、うなずいた。
私たちは三人だけの宴会場でぐるぐると踊り続けた。フィドーラ殿下の動きはとても軽やかで、ダンスによく慣れていた。彼女の足を踏む心配は全くなかった。誰かが社交ダンスを空を翔るペーガソスライダーに例えることがあるが、まるで言葉がなくても、騎手が一つの動きで自分の意志をペーガソスに伝えるかのようだ。
一瞬の間、私はフィドーラ殿下に連れられて雲の上を飛んでいるかのような錯覚に陥った。幼い頃、リノス王国の空を笑いながら駆け巡っていた日々が思い出された。どんなに激しいリズムの中でも、フィドーラ殿下は常に笑顔を保っていた。その笑顔は太陽のように輝いていた。その表情を見ていると、自分が抱えていた悩みがとても些細なものに思えた。私はずっと彼女の側にいたいと思った。それが夫であろうと従者であろうと、どんな形でも構わない。たとえ自分の秘密がバレで、フィドーラ殿下が皇帝陛下に道具のように扱われるに怒っても、彼女はきっと笑顔で私を抱きしめてくれるだろう。
ユードロスが最後の音を弾き終え、私はフィドーラ殿下をしっかりと抱きしめた。実際のところ、私たちの身長差を考えれば、ユードロスの視点からはフィドーラ殿下が私を抱きしめているように見えていただろう。フィドーラ殿下の体温を感じながら、私は自分が汗をかいていることに気づいた。フィドーラ殿下も同じく額に汗を浮かべ、軽く息を切らしていた。
「見なさいよ、ルチャノ。わたくしたちはやり遂げたわ。」フィドーラ殿下は息を切らしながら言った。
「はい、フィドーラ殿下。私たちはやり遂げました。」私はまるで大仕事を終えたかのように言った。
「思ったよりも難しくはなかったではないか。ルチャノ、わかったか。わたくしを信じても、何も悪いことは起きなかったわ。それどころか、素晴らしい思い出ができたじゃないか。」
「はい、フィドーラ殿下。」
「君はもっとわたくしを信じるべきって、そしてわたくしたちの絆を信じるべきだわ。ルチャノ、時々君がわたくしを避けているように感じるの。まるで、いつかわたくしと別れることを恐れて、そのときに悲しくならないようにわざと距離を取っているようだわ。以前のわたくしとまるで同じなの。しかし、君がわたくしを好いていることはわかっているわ。君は言葉では表さないが、行動でそれを示しているの。君は何を心配しているんだわ?話してごらん。安心してください、わたくしも君を離したりしないの。」フィドーラ殿下は私の頭上から囁いた。本当に彼女には何もかも見透かされている。
「フィドーラ殿下、もう少しだけ時間をください。まだ心の準備ができていません。」私はフィドーラ殿下の胸に顔をうずめ、小さな声で言った。今では彼女が私たちの関係を主導しているように感じる。
「ふふ、甘えん坊ね。他の舞踏会の相手にはこんなことしないでよ。」フィドーラ殿下は私の背中を優しく叩いた。
「はい。」
「率直に言わない君も悪いが、わたくしも同じことをしていたからな。お互いに帳消しにしよう。来月にはわたくしたちの婚約式が行われるわ。神々の前で誓いを立てるの。誓いの神が証人なのだから、わたくしが決して君を離さないこと。君も安心して。」
私は何も言わず、ただフィドーラ殿下をしっかりと抱きしめた。偽りの上に築かれた婚約に、誓いの神と運命の神が本当に祝福を与えてくれるのだろうか?私は深い疑念を抱いて、再び恐れを感じ始めた。私とフィドーラ殿下の関係は、まるで子供が砂で作った城のようで、潮が満ちれば波に消えてしまうような儚いものだ。私たちの絆は、どうすれば嵐を乗り越えて生き残れるのだろうか?
「フィドーラ殿下。私の周りの人々は、いつも不幸に見舞われてしまうんです。だから、私は自分が呪われているのではないかと疑っています。おそばにいたいと思っていますが、不幸になるのは嫌なんです。」しばらくの間を置いて、私は口を開いた。
「そんなこと心配する必要はないわ。ほら、シルヴィアーナもルナも、みんな幸せじゃないか?君が不幸を招くとは思えないわ。それに、君はあの日わたくしを救ってくれたわ。君はわたくしを救う人で、もう不吉ではない。それに呪いなら、エルグハ様は教会の枢機卿なんだから、彼に頼んで呪いを解いてもらって、祝福をもらえばいいわ。」
「ありがとう、フィドーラ殿下。」私はフィドーラ殿下をさらに強く抱きしめた。
「わたくしも配慮が足りなかったね。君は普通の貴族ではないし、考え方や行動も、私の周りの人たちとは違うの。なのにわたくしは君をユードロスたちと同じように扱っていたの。だが、君もわたくしにそれを教えてくれなかったの。君が孤児院で過ごしていたことさえ、わたくしは最近知ったんだ。そんな秘密を隠しているなんて思わなかったよ。君をもっと知りたいんだわ。それは単にわたくしの好奇心だけじゃないの。お互いをもっと理解するためなの。そう思わないか?」フィドーラ殿下は、私の考えを察することなく、一方的に話を続けた。
「フィドーラ殿下、私はこれまで帝国の貴族や皇室がどう考えているのかを知りませんでした。というか、それを理解しようとすらしていなかったんです。私もフィドーラ殿下をもっと理解したいと思っています。しかし時間が足りませんでした。そしてフィドーラ殿下がおっしゃる通り、私は自分の秘密を隠していたため、自分にはもうフィドーラ殿下に積極的に理解しようとする資格がないと無意識に思っていました。でも、フィドーラ殿下。これから何が起きても、私はあなたのそばにいられるでしょうか?」私は勇気を振り絞って尋ねた。
「もちろんだわ。約束するよ。でも、君もわたくしに約束して。愛はお互いのものだし、誓いもお互いにするものだ。」
「約束します、フィドーラ殿下。私はいつでもあなたのそばにいます。」私は安心して言った。私はもう一人ではない。9歳のあの日からずっと伴っていた孤独感から、ついに解放されたことに気づいた。私はいつの間にかフィドーラ殿下を好きになっていたのだ。今日から、この気持ちを正面から受け止めることを学ばなければならない。今すぐにでもフィドーラ殿下に自分の秘密を打ち明けたい衝動に駆られたが、ユードロスが近くにいるので今日はやめておこう。私はユードロスを断る決心もした。彼には申し訳ないが、これも神々の導きなのだろう。
「もし浮気なんかしたら、私はお前を捨てはしないが、わかってるよね?」フィドーラ殿下は突然私を押しのけ、ハサミの形をした手をして見せた。彼女が指を開いて閉じる様子を見て、私は呆然としてしまった。実際にはフィドーラ殿下が私にそんなことをする可能性がないとわかっているのに、それでも恐怖を感じてしまった。
「聞いているのかな?」フィドーラ殿下は不満そうに言った。
「はい、フィドーラ殿下。」私は慌ててうなずいた。
「フィドーラ殿下、終わりましたか?そちらはまだ暑いかもしれませんが、私の指は凍えそうです。」ユードロスの声が遠くからタイミングよく聞こえてきた。助かった!
「うむ。ルチャノ、舞踏会ではこのように踊れよ。先ほども言ったように、あの場にいる皆にわたくしたちの関係を見せつけたいのだわ。君の従者や侍女たちも一緒に来るべきだわ。君と貴族たちの関係を改善するための一環として、わたくしは貴族たちを招待するつもりだわ。君も他の貴族の少女たちとも踊る必要があるだろうが、他の者とは基本のステップしか踊ることは許さないわ。わかったか?」フィドーラ殿下は私を解放し、出口に向かって歩き出した。
ハルトとアデリナにダンスを教えなければならないな。ハルトは問題ないだろう。以前も私と一緒に練習したことがあるからだ。しかし、アデリナは本当にどうしたものか。彼女はダンスを習ったことがないからな。でもこの件は母親に任せればいいだろう。悩むのは私ではない。
「かしこまりました、フィドーラ殿下。」私はすぐに彼女の後を追った。ユードロスも楽器を箱に収め、私たちの後についてきた。
「そうだ、これをお前に。」フィドーラ殿下は突然振り返り、ユードロスの手からドーナツの入った木箱を取り、私に手渡した。そして軽く私の頭を撫でた。私は微笑みながらうなずいた。




