都の嵐(一緒に飛ぼう)
ユードロスと一緒に夕食を取ってから、ルチャノとしてフィドーラ殿下とユードロスと一緒にいる時、いつもなんだか気まずく感じるようになった。それからユードロスは何度か私を誘ったが、平日の午後に一度だけお茶をすることに同意した。そうすれば普通のワンピースだけで済み、アデリナやシルヴィアーナに人形のように化粧や着替えをさせられることもいられない。
ユードロスは最近ルナに手紙を書き始めた。私は2、3日ごとに手紙を受け取る。ユードロスの手紙の処理は本当に面倒で、一通一通ちゃんと返事を書かなければならない。ユードロスはルナに恩があり、直接拒絶すればルチャノの評判を損なう。そして認めたくはないが、私もユードロスに好感を持っていることに気づいた。彼が本当にコンラッドから私を守ってくれたからだ。助けをもらえなかったら、私たち三人が無事に逃げ切るのは難しかっただろう。
しかしユードロスがルナに婚約者がいるのを知りながら手紙を書き続けていることはとても不愉快だ。父上と母上の関係もあり、私は常に愛は神聖であるべきだと感じている。婚約者がいる以上、たとえ結婚しなくでも、こう言うことはいけないのだ。だから私はいつも複雑な気持ちでユードロスに返事を書いているが、書けば書くほど彼を断れない自分が嫌になっていく。
もう一つ厄介なことはハルトだ。先日、私が女性の服を着て外出するのを見て、彼は父親とミハイルに「家族会議」を開くよう求めた。父親が彼に説明したが、どうやら彼はまだ受け入れられないようだ。しかし最後には私の火遊びに無理矢理同意してくれた。ただし事前に必ず彼に知らせるようにと言われた。
時はもう11月に入り、ミラッツォ侯爵の処分も最終段階に入ったので、父親も早く帰宅できるようになった。ミラッツォ侯爵は現在、家族と共に商業街の邸宅に住んでいる。彼らは警備部隊に監視されており、邸宅から出ることはできない。
しかしミラッツォ家の生活水準はあまり下がっていないようだ。領地と爵位は取り消され、ヘクトル商会の利益も剥奪されたが、コスティン本人はまだ帝都周辺でいくつかの不動産を所有している。使用人たちは毎日豪華な食材を買いに出かけており、商会への注文も少なくなかった。皇帝陛下も彼らに対する更なる処分の意向は示していない。正直なところ、こんな生活を少し羨ましく感じる。帝都の争い位を考えず、ただ生活を楽しむだけでいいのだから。
新しい財務大臣も就任したが、私の知らないオーソドックス貴族だ。財務大臣の役職をめぐって激しい争いがあったとも聞いているが、詳しいことは知らない。
ニキタス商会も注文していた板金鎧を届けてくれたが、意外にも大成功だった。板金鎧は鎖帷子よりも確かに軽く、私でも装備して通常の戦闘ができる。しかし、長時間着用して徒歩での戦闘はまだ無理だ。父親もミハイルもこの鎧に非常に興味を示していた。でもソティリオスによれば、今回は帝都とその近くの多くの工房を無理やり参加させて制作したとのこと。途中で二度失敗したが、三つの鎧がなんとか完成したらしい。
成功したと言っても、これらの鎧は試作品としか言えない。至る所に改良の跡があり、蝶番の加工も完璧ではない。錆止めには簡単に油を塗っただけで、鋼材の元の色が残っている。しかし私は満足した。どうせこの三つの鎧はソティリオスが私たちへの贈り物としてくれたものだ。ただソティリオスによれば、急いで改造した水力ハンマーは壊れてしまったとのこと。冬は寒すぎるため通常は工事を行わない。川の水流も足りずため、水力ハンマーを修理しても使えない。なので、彼らは来年春になって水力ハンマーを建て直すことにしたようだ。私は来年、また新しい板金鎧を注文することに決めた。
ソティリオスはもう一つの良い知らせを持ってきてくれた。それは蒸留機と板金鎧の特許が承認されたということだ。ニキタス商会は設計図の元の寸法に従って蒸留機も製作し、調整の末に成功した。私は父親に報告し、約束通りニキタス商会の蒸留酒工房に資金を提供するようお願いした。父親は喜んで認めて、さらにニキタス商会にアドリア領内に工房を建てるよう要請した。これで領地内で売れ残った穀物を蒸留酒に加工して販売できる。蒸留機の試作品ももらってきて、少しアルコールを作ってみた。家庭で精油も作ってみたいが、それはまた後の話だ。
板金鎧が手に入ったので、ミハイルは私に重装歩兵と騎兵の戦術を教え始めた。本来これはラメラーアーマーを着た戦士のための戦術だが、板金鎧でも使える。以前は全身ラメラーアーマーを着られなかったため、この戦術を練習することはなかった。しかし今はやっとできるようになった。アデリナとハルトも私の訓練に付き合っている。ソティリオスは製作失敗の板金鎧も持ってきてくれて、私たちはそれを使って豚肉でテストした。結果、板金鎧の防護力がラメラーアーマーよりもはるかに強いことに驚いた。胴体前部は騎兵の槍の突撃にも耐えられる。軍用標準弓でもほぼ貫通できない。
今年もこのまま静かに終わるかと思っていた時、ヒメラ伯爵の反乱の知らせが届いた。ヒメラ伯爵の跡継ぎのパナティスも行方不明になった。彼は皇太子殿下の侍衛だった。ヒメラ伯爵は西部辺境のオーソドックス貴族であり、ミラッツォ侯爵家とも親しい関係にある。彼らの軍隊は周囲の領地や皇帝直轄領を頻繁に襲撃している。皇帝陛下は父親に命じ、近衛軍団の野戦部隊を率いて平定に向かわせた。パナティスの失踪により、皇太子殿下もまた巻き添えを受けている。彼の謹慎の期間もまた半月延長された。
父親が帝都を離れたが、私の生活には何の変化もなかった。学校に行き、ガヴリル教授の研究を手伝い、護衛と踊り子の仕事、フィドーラ殿下と良好な関係を築くために努力、そしてユードロスに返事を書く。まるで毎日が繰り返しのように感じる。計算尺もすでに完成し、ガヴリル教授を驚かせた。計算尺の使い方を知った彼は、私にも一本作って欲しいと頼んできた。
現在は11月中旬。冬の初雪が降り、キャラニの街も一面真っ白に染まった。今日の午前中は二年生の文学科目の実習があった。馬車に乗って帝都の南側の演習場に向かい、軍隊の状況について先生から説明を受ける予定だ。実は私はもう全部知っているが、フィドーラ殿下に付き合うために来た。ユードロスは近衛軍団の本部に行って兵棋演習の訓練を受けているから、私はフィドーラ殿下の護衛を担当する。
「文官も軍事行動に欠かせない部分だ。補給は軍事行動の前提であり、異なる兵種にはそれぞれ異なる物資が必要だ。歩兵部隊には食糧の提供だけで十分だが、馬は草を食べることができても燕麦や大豆のような飼料も必要だ。そのため騎兵部隊に必要な物資は歩兵部隊よりも大きい。ペーガソスライダーの飼料は通常の馬よりも多く、ウルフライダーは普段は人と同じように穀物を食べるが、戦時には肉を必要とする。グリフォンは完全な肉食動物であり、作戦時にはさらに多くの肉を必要とする。したがって、部隊が出征する際にグリフォンが含まれている場合、家畜の調達を考慮しなければならない。これらは全て文官の仕事だ。」講義を担当する先生がそう語った。
ここは演習場の管理所の庭で、演習場の東門付近に位置している。現在、管理所全体が積雪に覆われており、屋根や庭も一面真っ白だ。先生の隣には一名の軍官と異なる兵種の軍人たちが立っている。その中にはグリフォン騎士もいる。私はこれほど近くでグリフォンを見るのは初めてだ。前世の小型車とほとんど同じ大きさで、本当に不思議な存在だ。
「ルチャノ。パイコの反乱部族の討伐の際、重騎兵として参加してって、本当なの?」フィドーラ殿下が小声で私に話しかけた。今日は屋外での活動のため、彼女は動きやすいフラットブーツと長ズボンを履いていた。上には赤色の狐の毛皮のコートを羽織っている。この毛皮、もしかしてパイコ領地からの貢物じゃないのか?
「はい。金属の鎧を着ているのが重騎兵で、革鎧を着ているのが軽騎兵です。」私はあまり元気なく答えた。昨日は侍衛として夜勤をしていたので、今日は少し眠い。
「それなら、なぜ重騎兵が必要なの?軍隊の全員がペーガソスライダーやグリフォン騎士であれば、相手の頭上まで直接飛んで降下して攻撃すればいいのでは?ペーガソスとグリフォンは馬よりもずっと速く、普通の騎兵が三日かかる道のりも一日で到達するの。これなら物資も二日分節約できるわ。」フィドーラ殿下が小声で尋ねた。
「グリフォンはとても貴重で、数が全然足りません。そしてグリフォン軍団だけがグリフォンを持つことができ、各貴族領の軍隊はグリフォンを持つことが許されていません。ペーガソスは少し多いが、普通の馬に比べて数は少ない。そしてペーガソスの積み荷は低く、小柄な女性しかペーガソスライダーになれません。革鎧しか装備できず、正面での戦闘では不利です。だから通常、偵察や通信の任務にしか使われません。」私も小声で説明した。
「今日の実習活動も、君たちに軍隊について直感を持たせるためのものだ。さあ、近づいて兵士たちと交流してみよう。」先生は私に睨みを利かせた後、私たちに近づくよう促して兵士たちと交流するように呼びかけた。
多くの女性生徒はペーガソスライダーのところに行った。やはり、ペーガソスは美しいからだろう。私はグリフォンのところに行きたかったが、フィドーラ殿下に引っ張られてペーガソスのところに行かされた。
「いいなあ。わたくしも小さい頃、ペーガソスライダーになりたかったの。でも父上が空飛ぶのは危険だと言って、12歳になるまでペーガソスライダーの訓練には参加させてくれなかった。その後、皇族の公務が増えて、ペーガソスライダーになることは諦めざるを得なかった。」フィドーラ殿下が遠くのペーガソスを見つめながら言った。帝国では12歳から飛行の訓練が始まるんだ。でもリノス王国ではもっと早く始まる。
「アドリア領地では、多くの低級貴族の娘がペーガソスライダーになりたいです。ペーガソスがとても美しく、戦場でも他の兵士より安全だからです。高く飛べば弓矢に当たることはなく、敵のペーガソスライダーと出会ったとしても遠くから避けるだけで済みます。でもグリフォンはペーガソスよりも速く飛ぶので、グリフォン騎士はペーガソスライダーの天敵です。しかしアドリア領地のペーガソスライダーがグリフォン騎士に遭遇することはありません。地上で戦う歩兵や騎兵に比べて、ずっと安全なのです。」私は地面の雪を蹴りながら説明した。
先生はしばらくしてこの辺りで自由活動して良いと宣言し、在場の軍官や兵士たちと交流するようにと告げた。私はフィドーラ殿下と一緒に近くを散歩した。管理所の正門と勤務室の間には広大な庭が広がっていた。勤務室は二階建ての小屋で、その隣には厩舎があり、中には鞍が備えられたペーガソスや普通の馬が数匹いた。厩舎の隣の部屋には、命令を待つ伝令兵たちが待機しているのも見えた。
最近ずっと街にいるので、外の空気が懐かしい。アドリアは新たに成立した貴族領地で、かつては皇帝の直轄領だった。父親はアドリア伯爵の初代で、城はかつての辺防軍団の要塞を改造したもの、城下町も小さなものである。そのため、城内も自然の息吹に満ちている。以前私は父親の「家事」を手伝うこともあり、外で過ごす時間も多かった。
しかしキャラニに来てからは、郊外に出る機会はほとんどなかった。演習場には至る所に草地や森林が広がり、雪の後には静寂な雰囲気が漂っていた。陽光が雪面に降り注ぎ、溶けた雪水が地面に小さな水溜まりを作っていた。私はこの空気を機嫌よく吸い込んだ。松の香りと微かに馬糞の匂いも混じっていた。まるで再びアドリア領地に戻ったかのようだった。その瞬間、まるで私の気持ちに応えるように、遠くの空にグリフォン騎士たちが現れた。
「ルチャノは軍隊にも詳しいんだね。どうして軍事学を選ばなかったの?」フィドーラ殿下が尋ねた。
「軍事学を選ぶと、軍事訓練に参加しなければならないけど、私には力が足りません。標準軍用弓は引けないし、全身のラメラーアーマーも着られません。帝国の軍官の基準では不合格です。」私は気落ちして答えた。
「ごめんね。特別入試のことを忘れましたわ。」フィドーラ殿下は言葉に詰まった。
「大丈夫ですよ、フィドーラ殿下。うちのミハイルさんは軍事学の知識を教えてくれるし、武芸の指導もしてくれます。彼は今は執事だけど、かつては父親に長年仕えた戦士でもありました。今も自分で鍛えているので、もしかしたら将来はもっと強くなれるかもしれません。」私は上腕二頭筋を見せるように言った。
「はは、それならしっかり鍛えてね。楽しみにしているよ。君は完璧な夫にならなければならないからね。」フィドーラ殿下はお腹を抱えて笑った。そんなにおかしいかな?
「フィドーラ殿下はなぜ完璧な夫を求めるんですか?私は夫婦間ではお互いに愛し合っていることが完璧だと思っていました。」私は少し疑問に感じながら尋ねた。
「それは当然、わたくしは帝国の王女であり、生まれながらにして政略結婚の道具としての運命を背負っているからですわ。政略結婚だから、愛は必ずしも必要なものではないの。私が帝国の宝石である以上、わたくしの夫も私にふさわしい人物でなければならないわ。」フィドーラ殿下が答えた。
「なぜ政略結婚には愛があってはいけないのですか?」私は理解に苦しんだ。
「もし陛下の命令で君が殺されたら、わたくしはきっと他の誰かに嫁ぐことになるわ。こんなことはよくあることだわ。ミラッツォ侯爵の事件では皇后陛下と皇太子殿下も巻き込まれたじゃない?もし君を愛してしまったら、その時わたくしはとても悲しいの。」フィドーラ殿下は歩きながら言った。
「私は殺されないように気をつけます。」私は小声で言い、歩みを止めた。
「そんなことはわたくしたち二人だけでは決められないわ。陛下が君を気に入っていても、いつかは彼も死ぬ。そしでアウレル兄さんが次の皇帝になるの。彼の帝国で君が今の地位を保てると保証できるのか?」フィドーラ殿下は足を止め、振り返って私を見つめながら言った。私は顔を上げ、フィドーラ殿下の顔を見ると、その深い茶色の瞳に寂しげな表情が浮かんでいた。これが帝国の皇族にとって当たり前のことなのか?目の前の少女に、愛という感情がどうあるべきかを伝えたい衝動に駆られた。
「ん?君は血の匂いがしないか?」フィドーラ殿下が突然皇城の方向を向いて尋ねた。
「ええ、そんな匂いはしません。」私は鼻きちんと嗅いだが、全く血の匂いはしなかった。
突然、背後から男の大声が聞こえた。振り返ると、三人の男が私とフィドーラ殿下に近づいて来た。彼らは全員平民の服を着てフードをかぶり、剣を携えていた。さらに、同じような装束をした者たちが管理所の入り口で軍官たちと口論していた。平民がどうして演習場に入り込んでいるのか、しかも武器を持って。
「お前たちは何者だ。」私は剣の柄に手を掛け、先頭の男に向かって叫んだ。
先頭の男が私の前で立ち止まり、ゆっくりとフードを外した。なんとそれはコンラッドだった。彼はコスティンと一緒に商業街の邸宅で警備軍団に監視されているはずだったのでは?私は彼をじっと見つめ、いつでも剣を抜けるように準備した。
「フィドーラ殿下。皇帝陛下はすでに崩御されました。私はここに皇后陛下と皇太子殿下の命令書を持っており、全ての皇族を招集するようにとのことです。どうかご同行願います。」コンラッドはポケットから羊皮紙を取り出し、私とフィドーラ殿下に見せた。紙には確かに皇后殿下と皇太子殿下の署名と印章があった。
「わかりましたわ。それではルチャノ、さらばだ。」フィドーラ殿下は冷静に言った。彼女の言葉には何の感情も込められていなかった。
「フィドーラ殿下、これは絶対におかしいです!私は今朝陛下にお会いしましたが、彼はまったく病気になりませんでした。それに、皇后陛下は修道院に入る命令を受け、皇太子殿下は謹慎中です。どうしてここに二つの署名がある書類があるのですか?どうかコンラッドについて行かず、まず陛下のご様子を確認しましょう。」私は声を荒げて言った。皇后殿下、皇太子殿下、そしてコスティンが既に結託していることは明らかで、これはクーデターの可能性が高い。おそらくヒメラ伯爵の反乱もその計画の一部で、父親と近衛軍団を帝都から離れさせるためだろう。
帝国の争いは過酷だ。皇位が平穏に交代する場合でも全皇族が招集されるが、今回は絶対にクーデターだ。たとえクーデターの首謀者が皇太子殿下であっても、クーデターが成功して彼が皇位に就いたとしても、彼に反対する者が多数存在する。したがって皇族を招集するのは、皇太子殿下が唯一の正当な皇帝の跡継ぎであることを確認し、他の皇妃の子供たちを含む皇位の継承資格を持つ全ての者を排除するためだ。
「ルチャノ、わたくしは政略結婚で愛を求めるのがいかに愚かしいか理解できるだろうね。それはわたくしに限らず、君にも同じことなんだ。」フィドーラ殿下が静かに言った。
「さあ、急いでください、フィドーラ殿下。我々も次に用事があるからです。」コンラッドの横にいた者が言った。
「ルチャノ。今日は俺の任務はフィドーラ殿下を連れて行くことで、お前を含めるつもりはなかった。俺も事を荒立てたくはない。皇后殿下がお前の首を求める命令を出す前に、どこかの下水道にネズミのように隠れるのがよい。無駄な抵抗はやめろ。お前も見たように、我々は数が多い。アドリアの姫には手に負けるはずはない。我々は馬も持っており、お前たちは逃げられないぞ。」コンラッドは私に言い、続いてフィドーラ殿下に「どうぞ」と手を差し出した。フィドーラ殿下は頷いて、コンラッドについて行こうとした。
いや、そうじゃない!まるで6年前のヤスモス城に戻ったかのようだった。父上とバシレイオス兄さんが鎧を身に着けて部屋を飛び出した瞬間。母上が私を置いて去って行く後ろ姿。桜のように舞い散る灰。そして下水道に縮こまっていた無力な私。私はもうこんな風に、誰かに捨てられる気持ちは耐えられない!突然、皇帝陛下がなぜ私に実力があればフィドーラ殿下が秘密を守ると言ったのかがわかった。彼女は自分自身を政略結婚の道具にしてしまったからだ。彼女にとって夫もまた別の道具に過ぎない。
フィドーラ殿下との出会いがたった一か月余りとはいえ、もう随分と長い時間が経ったように感じる。フィドーラ殿下は私を通じて特別入試に合格させてくれ、私を夫として認めてくれた。たとえ彼女が私に特別な感情を見せていなくても、彼女が離れていくをただ見ているだけの私は完璧な婚約者になれるのか?
「コンラッド、お前は下水道のネズミに私を例えるとは何たることか。私はお前と決闘することを求める。」私は震える声を抑え、平静を装って言った。コンラッドは初めて会った時から私と決闘するつもりだったが、彼は自分の実力を知らずに誇り高く思っているのだろう。決闘を受け入れさせれば、随行者の二人は手を出せない。そしてコンラッドの体格から判断して、私は彼に勝てるだろう。同行する他の者は軍官たちと口論している。だからコンラッドを倒せば目の前の敵はあと二人だけだ。
「ふん、無謀な奴め。俺に勝てると思うのか、アドリアの姫殿下。」コンラッドは軽蔑して言った。
「ルチャノ!」フィドーラ殿下は驚きのあまり私の方に向き直った。
「私方の立会人はフィドーラ殿下に決まりました。」私は言いながら、手袋を外して地面に投げ捨てた。
「ふん、望むところだ。ルチャノ、一か月前にお前は俺の剣の下で死ぬべきだったが、運命の神はお前を逃がさなかった。お前たちは私方の立会人と見なす。これは貴族の名誉に関わる決闘だ。私の指示がない限り、絶対に手を出すな。」コンラッドは最初に私に、それから二人の随行者に言った。彼は足で手袋を蹴飛ばし、決闘を受け入れたことを示した。コンラッドはすでに貴族ではないが、ここで取り上げれば決闘を拒否する可能性があるので私は我慢した。
「フィドーラ殿下、どうか私の背後に立って、この決闘を見届けてください。」私はフィドーラ殿下に言い、彼女を背後の馬屋の方に立たせた。続いて私はフィドーラ殿下にささやいた。「もし私がコンラッドに勝てたら、一緒に馬屋まで走ってください。」
フィドーラ殿下は私を見つめて一瞬戸惑ったが、次に頷いて同意してくれた。彼女は言った。「気をつけて。コンラッドは君よりずっと大きい。負けそうになったら逃げなよ。わたくしのために命を賭ける必要はない。」
私は首を横に振った。そんなわけないだろう。フィドーラ殿下がすでに二十歩以上後ろに立っていることを確認してから、コンラッドに向き直った。我々の間はおよそ四歩の距離がある。それぞれ立ち位置を決めた後、剣を抜いて構えた。
コンラッドはフード付きの外套を脱ぎ、赤い服とズボンを露わにした。彼の剣の柄と鞘は私が予想していた通り豪華で、金糸や宝石がちりばめられていた。刃は曲がって細長く、突きよりも斬撃を重視した剣だ。最近、帝国の貴族たちはこのような美しい剣を佩剣として好んで使っている。
「死ぬ覚悟はできたか?」コンラッドは見下すように私を見下ろした。
「死ぬのはお前だ。」私は答えた。
「始め!」コンラッドの随行者の一人が叫び、それに続いてコンラッドは私に猛然と突進してきた。彼は剣を力強く振り回し、私を真っ二つにするかのようだった。私はすぐに後ろに跳んで、その攻撃をかわした。コンラッドは一撃外すと、そのまま私に突進しながら剣を連続して振るった。勢いはあったが、彼の剣術は初心者レベルだった。腹部と緩んだ筋肉が彼の足手纏いになった。私は慎重に距離を保ちながら戦った。
「どうした、お前の実力はその程度か?」コンラッドは剣を振りながら私に叫んだ。彼は勢いはあったが、足元は乱れていた。私は彼が剣を振り下ろし、彼がまだ戻していない瞬間を見極め、前に踏み込み彼の右太ももの付け根に突きを入れた。剣の柄からは筋肉を切り裂く滑らかな感触が伝わり、それから骨に当たる粗い感触に変わった。私は素早く横に跳んで、剣を引き抜いた。コンラッドはバランスを失って地面に倒れ、傷口から泉の水があふれ出るかのように血が噴き出した。
私は剣を引き抜くと同時にフィドーラ殿下の方向に走り出した。フィドーラ殿下も馬屋の方へ走っていた。私は走りながらコンラッドの様子を確認した。彼はまず股間を触っていた。重要な部位が無事であることを確認したのか、彼は叫んだ。「ルチャノ、お前の攻撃はなんて卑怯だ!そして決闘の途中で逃げ出すとは!お前はまだ貴族だと思っているのか!」
「それならお前も決闘中におもらししじゃいませんか?いくつなの?」私は走りながらコンラッドを嘲笑った。ズボンが赤いため、血の跡は目立たなかった。遠くから見るとズボンが濡れているだけに見えた。コンラッドの二人の随行者も驚いたようで、最初は優勢だったコンラッドが突然倒れた理由が分からない様子だった。
「君の剣術は男のあれを狙うの?しかも失敗したみたいだな。」フィドーラ殿下は走りながら私に尋ねた。
「いいえ、そこは股動脈です。彼はすぐに失血死するでしょう。」私は言った。ラザルがかつて教えてくれたように、致命傷を与えた場合、とどめをしなくでも良い。コンラッドの二人の随行者は驚いて彼を助け起こそうとしたが、私たちの後を追う者はいなかった。
「えっ?」フィドーラ殿下は驚いた声を上げた。
私たちは馬屋に着くと、すぐに二頭のペーガソスの手綱を解いた。隣の小屋からペーガソスライダーが出てきて私たちを見つめたが、何も言わなかった。私は彼女に軽く頷き、二頭のペーガソスを引いて庭に出た。
「フィドーラ殿下、私がペーガソスにお乗りになるのをお手伝いします。これは安全ベルトです。後で私が締めて差し上げますから、両足でしっかり鐙を踏んで、鞍の前の取っ手を握ってください。どんな状況でも手を離さないようにしてください。」私はフィドーラ殿下に向かって言い、彼女をペーガソスに乗せるための姿勢をとった。
「ルチャノ、君はペーガソスにも乗れるの?」フィドーラ殿下は再び驚いて尋ねた。
「少しだけ。時間がないから急いでください。」私は言った。遠くにはコンラッドがすでに倒れていた。元々軍官たちと口論していた随行者たちも剣を抜きながらこちらに走ってきた。
私はフィドーラ殿下をペーガソスに乗せ、鞍の安全ベルトも締めた。さらに二頭のペーガソスの首を撫で、自分ももう一頭に乗り込んだ。私はフィドーラ殿下のペーガソスに「ついてこい」の合図を送り、ペーガソスは理解したかのように鼻を鳴らした。私は右手で胸の紅い宝石を押さえ、母上に静かに祈りを捧げた。そして、自分のペーガソスに乗って中庭を駆け巡った。ペーガソスは二歩走った後、宙に舞い上がり、そのまま空中に飛び出した。
風が私の赤い短髪をなびかせ、目を開けていられないほど強く吹き付けた。先程のペーガソスライダーにゴーグルを借りればよかったと、私は冷静に考えた。私はリノス王国で学んだペーガソスの操縦技術を思い出しながら、徐々に高度を上げていった。フィドーラ殿下のペーガソスも一緒に飛び上がった。彼女は興奮して大声で叫んでいたが、私の注意を守って取っ手をしっかり握り続けていた。
私は地面を見下ろし、中庭が既に混乱していることに気づいた。学院の生徒たちは教師や軍官の保護の下で退避していた。コンラッドの随行者たちは馬に乗って逃げ出す者や、コンラッドの周りを回る者、そして私たちを見守る者がいた。これで一時的には安全だろう。
「ルチャノ、まさか本当にペーガソスに乗れるとは思わなかったわ。背が低いから、ペーガソスライダーになれるかもってすっと思っているの。でも君は本当に訓練を受けたのね。」フィドーラ殿下は私のペーガソスを隣に飛ばしながら、嬉しそうに言った。
「子供の頃に少し学んだだけです。」私はさらりと答えた。
「ははは!本当に君はわたくしに驚きを与えてくれるわね。学院の特別試験を通過したのも、わたくしを空に連れて行ったのもそうだわ。君にはまだどんな秘密が隠されているの?」フィドーラ殿下は振り返って私を見ながら言った。
「秘密がある男性は女性に好かれると聞いたことがあります。フィドーラ殿下、どうか取っ手をしっかり握って手を離さないでください。」私ははぐらかした。
「握ってるわよ!ずっと空を飛んでみたかったの!でも父上は許してくれなかったの。ペーガソスも、グリフォンも。帝国の公女にはふさわしくないって言われたのよ。」フィドーラ殿下は言った。
「もしかしたら、今回の事件が終わったら、陛下が特別にフィドーラ殿下をグリフォン騎士にしてくれるかもしれませんね。」私は言った。
「いや、それで十分ですわよ。グリフォンを操るはもちろん君を操るよりも楽しいとは思えないわ。」フィドーラ殿下は笑いながら言い、私はダメ息をつけた。
「聞きたいことがまだたくさんあるけど、一番重要なのは次にどこへ行くのかしら?」フィドーラ殿下が尋ねた。
「皇城へ行って、陛下の安否を確認します。皇后陛下が陛下を迂回して命令を出している可能性が高いので、皇帝陛下の状況を確認する必要があります。そして私は陛下の侍衛ですから、こういう時こそ主の側にいるべきです。」私は言った。
「わたくしも同じことを考えていたけれど、そっち見て。」フィドーラ殿下は皇城の方位を見ながら言った。
まだ少し距離があるが、皇城のあちこちで既に火が上がっているのが見えた。演習場に通じる南側の吊り橋を除いて、他の吊り橋はすべて上がっていた。皇城の上空にはグリフォン騎士たちがハエのように飛び交っていた。一人のペーガソスライダーが皇城から飛び立とうとしていたが、すぐにグリフォン騎士によって撃墜された。さらに飛ぶと、皇城を守る親衛隊たちが各地でさまざまな格好をした侵入者と戦っているのが見えた。
侵入者の中には帝都の警備部隊の鎧を着た者もいた。侵入者の数は親衛隊の数を大幅に上回り、親衛隊たちは分断され、建物内でどうにか守っている。今朝の勤務交代前にイオナッツは陛下が今は謁見の間にいるだろうと言っていたのを覚えている。しかし、今そのあたりでは戦闘は行われておらず、庭に数人の侵入者が立っているだけだった。軍営に通じる南の吊り橋を除いて、他の吊り橋と城門はすべて侵入者に支配されていた。
これでは直接皇城に降りて皇帝陛下を見つけるのは無理そうだった。この反乱は、皇帝陛下が簡単に詔書を出せば解決するというものではなかった。一人のグリフォン騎士がこちらに突っ込んできたため、これ以上皇城に向かうのは危険だと判断し、私はペーガソスを指示して近衛軍本部の砦の中庭に降り立った。
「お前たちは何者だ!」降り立った途端に、数人の軍官らしき者が駆け寄ってきて私に叫んだ。
「アドリア伯爵の跡継ぎのルチャノで、皇帝陛下の侍衛でもあります。こちらは帝国の姫であるフィドーラ殿下です。演習場で前ミラツォ侯爵の跡継ぎコンラッドの襲撃を受け、ペーガソス二頭を借りてここに逃げてきました。父親から危険な時は近衛軍本部でマティアス様を探して避難するように言われました。」私はペーガソスから降りながら言い、続いてフィドーラ殿下をペーガソスから下ろす手助けをした。
「おお、ルチャノですか。私は近衛軍の中将のマティアス、オルビアでは何度か会いました。ダミアノス様は軍を率いて反乱を鎮圧しに行かれましたので、今は私が近衛軍野戦部隊の留守部隊の責任者です。ダミアノス様からも、万が一の際には君がここに来る可能性があると聞いていました。しかし、まさかペーガソスに乗ってくるとは思いませんでした。でもここに来たからには安全です。フィドーラ殿下、どうぞこちらにお入りください。」先頭の軍官はそう言って、フィドーラ殿下を会議室に招き入れた。
「いいえ、マティアス様。皇城が制圧され、事態は非常に緊急です。私は陛下の侍衛を務めている間に、陛下が危急の際には近衛軍の野戦部隊に平定命令を出すことを許可していると聞いていました。どうか今すぐに軍を率いて皇城に入ってください!」私は言った。
「ルチャノ、私たちはまだ陛下の命令を受けていません。現在確認できているのは皇城の火災と吊り橋が上がっていること、そしてグリフォン騎士たちが皇城の外部通信を封鎖しているだけです。陛下やダミアノス様の命令がない限り、近衛軍団は皇城に入れません。親衛隊も同意しないでしょう。」マティアスは言った。
「私はペーガソスの上から皇城中で戦闘が繰り広げられているのを見ました。反乱軍はすでに親衛隊を制圧しています。しかし、陛下の状況はまだ不明です。コンラッドは皇后陛下と皇太子殿下の署名と印章がある文書を持っていて、皇帝陛下がすでに崩御されたと述べています。マティアス様、今皇帝陛下は間違いなく危機的な状況にあります。マティアス様は帝都で唯一信頼できる力です!」私はマティアスの手を握りしめて言った。
「ルチャノ。先月、ダミアノス様は警備のレベルを上げるように命じました。野戦軍の主力はダミアノス様がヒメラ伯爵の反乱を鎮めるために連れて行きましたが、私たちにはまだ待機している数千人の部隊があります。しかし、勝手に軍を率いて軍事行動を起こすのは重罪です。特に皇城に入ることは、死刑を科される可能な重罪です。さらに、近衛軍が皇城に入るには親衛隊の同意も必要です。ルチャノとフィドーラ殿下はここで安全です。陛下の命令を待ちましょう。」マティアスは私の手を離した。
「でも、せめて自分自身の立場を考えてみてください。マティアス様は父親によって引き立てられたのです。もし反乱が成功したら、マティアスは父親の同党として処罰されるでしょう。もし陛下が生き残った場合、マティアス様の中立的な行動は反乱側に傾倒していると見なされるでしょう。現在の地位を保ちたいなら、積極的に出撃して陛下を守るしかありません。」私は言った。
「だめだ。軍隊は上官の命令に従うだけで、命令に従わなければならない。」マティアスは言った。彼はまだ責任を負いたくないらしい。
「わかりました。マティアス様はダミアノス様の署名された命令を見て、さらに親衛隊の同意を得なければ、軍隊を出動しないのですか?」私はマティアスの目を見つめながら言った。
「簡単に言えば、そうです。」マティアスは言った。
「わかりました。マティアス様、フィドーラ殿下をよろしくお願いします。殿下の侍衛であるユードロスは今も近衛軍本部で兵棋演習の訓練をしているはずです。どうか彼を呼んで、フィドーラ殿下を護衛してもらってください。」私はペーガソスに乗る準備をしながら言った。
「ルチャノ、何をするつもりだ?ここは安全だと言ったでしょう、勝手に離れないでください。」マティアスは言った。
「マティアス様。私は陛下の侍衛です。神々に誓って、陛下の剣と盾となり、命を懸けて彼を刀剣から守ると誓いました。こういう時こそ主の側にいるべきです。」私はマティアスを見ず、ペーガソスをなだめながら言った。
「わかりました。ではルチャノ、武運を祈ります。どうか生き延びてください。私はユードロスに知らせます。」マティアスは私に一礼した。
「もしマティアス様が私と一緒に軍を率いて皇城に向かってくれたら、私は必ず生き残れるでしょう。今のところはどうか分かりません。」私は口を曲げて言った。マティアスは口を開けて何か言おうとしたが、最後には何も言わなかった。
「ルチャノ!」フィドーラ殿下が突然駆け寄り、私を抱きしめてきた。さらにキスをした。私が反応する前に彼女は私を放した。しかし、彼女は続けて私の手を握り、頭を下げて私の目を見つめた。
「ルチャノ、わたくしを空に連れて行ってくれてありがとう。ずっとペーガソスに乗って空を飛ぶチャンスがなかったことを残念に思っていたけれど、あなたがその夢を叶えてくれたわ。コンラッドからもわたくしを守ってありがとう。わたくし、本当は自分が見せているほど強くないんだけど。いつでも別れの準備はできていると思っていたけれど、最近になってようやくあなたを離れたくないことに気づいたの。父上があなたを私の側に送ってくれたことに感謝し、運命の神々の糸に感謝するわ。今日は私たちが最後に会う日かもしれないから、どうしても言いたいの。もしもう一度会えたら、心から私にプロポーズしてくれる?」フィドーラ殿下は震えながら言い、涙が彼女のメノウのような目からこぼれ落ちた。
「フィドーラ殿下。私もあなたに言いたいことがたくさんあります。私は不吉な存在で、まだ多くの秘密を抱えています。でももし生き延びることができたら、私にあなたに説明するチャンスをください。受け入れてもらえるとは思っていませんが、どうか秘密を守ってください。」私はフィドーラ殿下を抱きしめ、彼女の耳元で静かにささやいた。私の涙もこぼれた。
「うん、約束するから。だから絶対に死なないで。」フィドーラ殿下も私をしっかりと抱きしめた。
しばらくして、フィドーラ殿下は先に私を押し離した。彼女は涙を拭き、ペーガソスを指さして言った。
「行って、主が待っているわ。」私も涙を拭い、彼女にうなずいた。それからペーガソスに乗って大将軍の屋敷の方向に飛び去った。
そうだ、私は不吉な存在だ。私は帝国をかき乱すことができると思っていたが、実際に帝都で反乱が起きてしまった。しかし、反乱が起こってみると、それが私の望んでいたものではないことに気づいた。私はフィドーラ殿下の幸せを奪いたくないし、皇帝陛下が危険にさらされることも望まない。私は本当に私の大切な人々の傍にいられるのか?幼い頃の悪夢が再び現れるのは絶対に嫌だ。




