3.ベンと領民たちの来訪
修道女服に着替える前に、偽の死体を作る際に汚れた手を洗うために井戸に向かう。井戸から水を汲み上げ、釣瓶を覗き込むと18歳くらいの私が映っていた。やはり思っていたよりも若返っているなと思いながら手を清めて、急いで家の中に戻ると修道女服に着替える。身長が高めだった私にもぴったりだ。修道女服から漂うフランキンセンスと蜜蝋の香りに、幾分か不安な気持ちが落ち着いた。
座って待っていると、ざわざわと人の声が近づいてきたので、立ち上がりベッドの脇に立つと両手を組んだ。
「アライナさん!」
最初に飛び込んできたのは、領主の家令ベンだった。私に一瞥もせずベッドに駆け寄ると、偽の死体に触れて泣き崩れる。次に領民たちがぞろぞろと家の中に入ってきた。いつも痛み止めを出している老夫に、昨日怪我した男の子とその母親など見知った顔ばかり。皆、目に涙を浮かべているので、チクリと心が痛んだ。
「シスター、彼女は……苦しんでいませんでしたか?」
泣きながら問うベンを見て、身体がビクリと跳ねる。言い淀んでいると隣にウィルフレッドが並び代わりに答えてくれた。
「私たちが訪ねたときには、既に息を引き取られていました」
ウィルフレッドの言葉に、部屋の中ですすり泣きが大きくなる。ごめんなさいと、私は見慣れた家の床を見つめた。
「お年を召してらっしゃっいますし、老衰と思われます。寝ている間に天に召されたのでしょう」
私がウィルフレッドを見上げると、真っ直ぐにベンと領民たちを穏やかな顔で見つめていた。優しい嘘が上手いなと思いながら、ちらりとベンたちを盗み見る。
「う……良かっ、た……」
言葉に詰まりながら、ベンが乱暴に腕で涙を拭う姿に再び心が痛んだ。老夫は静かに涙を流し、大泣きする男の子を真っ赤な目の母親が慰めている。あぁ、なんて優しい人たちなんだろう。
「さて、彼女が魔女でないことを証明しますので、皆さんは証人となってください」
部屋に静寂が訪れる。ウィルフレッドは胸元から立派な取っ手の付いた針を取り出した。
「これは魔女狩りに用いる針です。生きている魔女の悪魔の印─ほくろに似ているものに、この針を刺しても痛みを感じませんし、出血もしません。死んだ魔女に同じことをすると出血し、その血は固まります」
人の死体は傷をつけてもほとんど出血しない。仮に出血したとしても、血管に残った血が流れ出る程度で凝固は起こさない。ウィルフレッドは医学の知識があるのねと考えていると、彼は偽の死体の腕にあるほくろに針を刺した。偽の死体から血は流れず、領民たちが安堵の溜め息を漏らす。
「アライナさんは魔女ではありません……ん?」
ウィルフレッドは偽の死体の袖を捲り上げた。そこには四芒星のあざがあり、少々大げさに彼は話し始める。
「これは四芒星のあざ!聖女の印です!」
その言葉に領民たちがざわめく。それは私が聖女であることを肯定的に捉える内容ばかりだったので、気恥ずかしくなりながらウィルフレッドを見た。聖女のあざなど聞いたことがないし、どんな手品を使ったのかしらと呆れた顔になる。
「アライナ様は奇跡のような力で生涯を尽くして皆さんを癒やされたのですね」
今、様をつけたよね?と、吹き出しそうになるのを堪えていると、領民たちは「そうだ」と声を上げた。ごめんなさい。魔法です。まぁ、奇跡のような力といえばそうなのかしら?と腕を組んで悩んでいると、ウィルフレッドは領民たちに語りかける。
「アライナ様の聖女としてのご葬儀の準備をいたします。皆さん、名残惜しいとは思いますが、一度お帰りいただけますか」
丁寧で柔らかな物腰でウィルフレッドがお願いすると、領民たちは頷いて名残惜しそうな様子で家を後にする。ウィルフレッドはベンを呼び止めた。
「ベンさん、葬儀には必ずご領主たちにご参列するようお伝え下さい」
「はい、必ず」
ベンはそう言って乱暴に目元を腕で擦ると一礼して帰っていく。ウィルフレッドは扉を閉めると盛大に溜め息を吐いた。
「は~……緊張しました」
「私もよ」
ズルズルと床に二人で座り込む。私は偽の死体を見つめながら口を開く。
「ねぇ、一つお願いがあるんだけど」
「何でしょう?」
「ベンをここの領主にしたいの」
突拍子もないお願いに、ウィルフレッドは目を瞬かせた。私は小さく笑って立ち上がると、偽の死体に近づく。
「葬儀の準備をしながら話してもいいかしら?のんびりしてると不審がられるし」
「そうですね」
ウィルフレッドは手を翳すと真っ白な修道女服が表れる。こんなにポンポンと魔法─いや神からのギフト?奇跡?と教会は呼ぶんだったかしら?を使って疲れないの?と私は疑問に思いながら、彼に渡された白い修道女服を偽の死体に着せた。頭にウインプルを被せると本当に聖女みたいだわ。着替えが終わったので、こちらに背を向けている紳士なウィルフレッドに声をかけた。