9.頑張ると結婚できるらしいですね!
「姫様。こちら書いていただく書類です」
ニアがどん、と執務室の机に紙の束を置いた。そこにはびっしりと文章が書いてあり、『デルレイ邸破壊の件について』との表題が付けられている。
「いつの間にか小屋もなくなってますし……私がいない間に一体何があったというんです」
「すまん……魔法の練習をしたら加減がわからなくて大惨事になったんだ。デルレイ邸の件も、ちょっと風を吹かせるだけのつもりだったんだ」
天井に文字通り風穴が空いたデルレイ邸は、人が暮らせるようなところではなくなってしまった。そのためヴァルカンは、帰り際に魔法省へ損害賠償を請求した。
その結果がこの始末書である。まあ当然の帰結だ。先程からスルタジア王国魔法省やら国王やらエリン王国魔法省やら国王やら、多方面に謝り倒している。
「壊すつもりがなかったのならいいのですが……なぜ先程から大賢者様が満足そうなのでしょうか」
ニアが視線を送ったところには、私を見てにやにやしているフィオレンティオがいた。スルタジア王国から帰ってきてからずっとこうだ。私の顔で変態的な表情を作るのはやめてほしい。
「シャノン様がわたしのために怒ってくれたからですよ、ニア」
「違う。エリン王国を侮辱されたからだ」
「またまたあ……」
この身体だとどこに行ってもまともに取り合ってくれないので、つい頭にきただけだ。フィオレンティオだからというわけではない。勘違いしないでほしい。
膨大な始末書にサインを書いていると、自分のやらかしたことの大きさがしみじみと身に染みる。
「次の見合いまでに魔法の練習をしないといけないな……」
「次のお見合いはいつなんですか?」
後ろに立っていたニアが、覗き込んで訊いてきた。フィオレンティオが私の代わりに「明後日です」と答える。
明後日の相手は自国の貴族なので、幾分か気が楽だ。もう国際問題になる心配をしなくていい。
「わたしが教えましょうか?」
「私が知りたいのは強力な魔法ではなく力の制御の仕方だ。お前では話にならん」
「そんなあ……」
威力の高い魔法は打とうと思えばいくらでも打てるので、もう練習しなくていいだろう。
「ドロシーに教わる」
ドロシーは、私の戦術学の家庭教師だ。魔法関係の学校を出ており、本人も魔法はある程度使えるとのことなので、魔法についても教えてくれるだろう。
「ドロシーになら、私とお前の中身が入れ替わったことを言ってもいいだろう。彼女は口が堅い」
「いいですけど、ドロシーさんのことですしなんか研究されそうですね」
「それはもう仕方がない」
ドロシーもフィオレンティオに負けず劣らずの変態であり、魔法のこととなると目の色が変わる。ならば魔法の研究者になればよかっただろうと言ったことがあるのだが、「才能の壁がある」と言われた。魔法使いの界隈もなかなかシビアらしい。
「ドロシーは私の身だしなみを気にしてくるから、朝食には来なくてもちゃんと起きろよ」
ドロシーは私のことをやたらとかわいがってドレスなどを贈ってくる。孫娘かなにかだと思っていそうだ。
「その点は大丈夫です! シャノン様に起こしてもらいますから、いつもみたいに寝坊しませんよ!」
「いや、私は今日から別の部屋で寝る」
「えっ」
フィオレンティオはあからさまに落胆した。だが毎日こんな奴と一緒に行動していると精神が摩耗する。
「三食食事を摂れ。体力がもつからといってぶっ続けで研究をするな。あとちゃんと寝ろ」
「わたしを心配してくれてるんですか?」
「私の身体を慮っているんだ。元の身体に戻れても剣が振れないんじゃ意味がない」
フィオレンティオがしかめっ面になった。
「それって……わたしも剣の鍛錬とかしたほうがいいですか?」
「そうだな。騎士団に稽古をつけてもらえ」
いくら私の身体に筋力や体力が備わっているとはいえ、技術が全くないのでは意味がない。いざというときに戦えるようでないと、第一王女の名が廃る。
「嫌ですよ! あの人たちわたしを見ると人でないものを見るような目を向けてくるんですから!」
騎士団にも恐れられているのか。力が強すぎると色々と厄介だ。
「元はと言えば、大賢者様が騎士団でかわいがっていたコカトリスを全羽唐揚げにして食べちゃったからでしょうが!」
「魔力量が多くて美味しかったで――いだだだだ!! ニア! このほっぺたはシャノン様のものですよ!?」
魔女云々は全く関係なかった。せいぜい頬を抓られて反省するがいい。
「え……ということは、もしかして明日はずっとシャノン様と別々なんですか……?」
大賢者は王女の最側近としての役目もある。そのため、私が家庭教師の授業を受けている際も、フィオレンティオに特段用事がない限り一緒に受ける。なのでこういう事態はあまり起こらない。
「そうなるな」
「世界には絶望が多いですね……」
「大袈裟すぎるだろう」
フィオレンティオの魔法使いとしての人生のほうが、よほど絶望に満ちたものだったと思う。大賢者に就任したときの様子を考えると、感受性はあってないようなものなのかもしれない。
「シャノン様ぁ……」
「何だ」
「せめて、お部屋くらいは教えてくださいませんか?」
膝をついて上目遣いに懇願してくるフィオレンティオ。こんな無様な自分の姿を、誰が好き好んで見るものか。
「……夜這いするおつもりですか、大賢者様」
ニアが冷ややかな視線を彼女に投げかける。フィオレンティオは頬を膨らませて言った。
「しませんよそんなこと! 月光に照らされたシャノン様、誰も来ない隔絶した空間、火照った顔を春の湿った空気の中で近づけて見つめ合う……そんなことできませんよ!」
「詩人か?」
あな恐ろし、大賢者である。
「……まったく。大賢者様のせいで、姫様が大賢者様の求婚を受け入れたとかいう噂が流れているのですから、ほどほどにしてくださいね」
「その噂が流れることによるわたしのデメリットが一切ないのですが」
「なくてもです」
ええ、とフィオレンティオが残念そうな声を上げる。その噂で得をするのはフィオレンティオだけなので、ぜひともニアの言うことを聞いてほしい。
「でも、ギルバート様は功績を挙げたらシャノン様と結婚できるって仰っていましたよ」
「お父様ァ!?」
ギルバート・ダンチェスターは先代の魔法省大臣であり、ニアの実の父だ。二年前に病で彼が亡くなったあと、ニアは彼の遺した大賢者の保護者というポストに就いた。不憫である。
「どんなに功績を挙げても結婚は無理です! お父様の言うことを全て信じないでください!」
ギルバートはかなり適当な人物だったが、行動力があり人望はかなり厚かった。なので素性不明のフィオレンティオを大賢者に採用することができたのだ。
「……本当に、なぜお父様はあなたを大賢者に選んだんでしょう。どこで知り合ったんですか?」
「知りません!」
「そんな気はしていましたよ……」
フィオレンティオは十年前、ギルバートに連れてこられた。そのときは王城が何か、国王が何か、魔法省が何か――といった基本知識が全て抜け落ちていたらしい。
彼はフィオレンティオにそれらを教えこんだあと病に倒れ、幼児と同程度の知識を持った莫大な魔力を持つ魔女だけが残された。ニアはその魔女を社会に適応させるために日々仕事に追われているのだ。
「ともかく、あまり人前でいちゃいちゃしないでくださいね!」
「はぁ〜い……」
上司と部下というより娘と母親だな、と思いながら、私は始末書を書き進めた。
***
始末書を王女として培った処理能力で捌ききり、少し遅めの夕食を摂った。風呂で一日の疲れを洗い落としたあとは、寝巻きの上からローブを羽織って神官の寮へ向かう。春になったとはいえ、まだ夜は肌寒い。
寮の階段を昇りきると、ちょうどグレイソンが部屋に入るところだった。
「あ、大賢者様。お部屋、準備しておきましたよ」
グレイソンは私を見つけると、まさに好青年といった笑みを浮かべた。神官らしい誠実な青年だ。
「ああ、ありがとうございます」
「……大賢者様、少しお疲れのように見えますね」
顔に出ていたか。昨日今日と慣れない魔法に振り回されてばかりで、精神的に疲労していたのは確かだろう。
「ホットミルクでもいかがですか? 魔法の森で採れた蜂蜜も入れますので、魔力も回復するかと思います」
「お言葉に甘えて、いただきましょうか」
承知しました、と言って、グレイソンは部屋の中に入っていく。廊下は少し寒いので、私も彼の後ろに付いて入口付近で待つことにした。
ポットに牛乳を注ぐ音。外の梢が夜風に吹かれる音。魔道具で火をつける音。寮内で響く誰かの足音。ホットミルクを注ぐ音。淡々とした音に耳を傾けていても、この身体は一向に眠たくならない。私なら立ったまま寝ているところだ。
やがてグレイマンは、白いマグカップに注がれたホットミルクを渡してきた。マグカップには何かを象った幾何学的な模様が並んでいる。
「大賢者様、熱いのでお気をつけて」
「ありがとうございます。コップはいつお返ししましょうか?」
「引越し祝いということで、差し上げます。こちらに越してきたときに買ったものなので、まだ新品ですから」
彼の厚意に甘えて、ホットミルクを部屋に持ち帰る。
王女として一生を過ごしていたら、こんな経験はしなかっただろう。フィオレンティオの身体は、いい意味でも悪い意味でも新鮮な体験をさせてくれる。
今日も昇りゆく月を見ながら、眠りについた。