6.諦めません結婚するまでは
部屋に戻ろうとすると、部屋の前でメイドがワゴンを持ったままうろうろしていた。ワゴンには夕飯が乗っている。フィオレンティオに夕飯を届けに来たのだろう。
「どうしました?」
私がメイドに声をかけると、彼女は私を見てびくりと肩を跳ねさせたのち、困った表情で話しはじめた。
「姫様が、お返事をされなくて……大賢者様、姫様は本当に中にいらっしゃるんでしょうか」
私だったからよかったものの、メイドは王女の部屋に無断では入れまい。
「ええ、今手が離せないだけです。代わりに私が持っていきますよ」
先ほどのように、フィオレンティオが入れ替わっていることを忘れて暴れないとも限らない。私はメイドから夕飯を乗せたワゴンを受け取り、自分の部屋に入った。
やはりというか、フィオレンティオはまだ机に向かっていた。私はドアを閉め、彼女の背に呼びかける。
「おい、フィオ。夕飯が届いた」
反応はない。もう呼びかけるのも面倒なので、後ろから頭をばしんと叩いた。
「うぎゃ!」
フィオレンティオの貧弱な腕で叩いたからか、変に腕を動かして肩を痛めた。しかし彼女が反応したのでプラマイゼロだ。
「ぅあ、シャノン様……晩御飯ですか、どうも」
「お前、普段からこうなのか?」
「いやあ、シャノン様の身体、体力がすごくって……いつもなら疲れて集中が切れちゃうんですけど、今は面白いほど体力が持つのでテンションが上がっちゃうんですよ」
頭脳労働にも耐えられないほどの体力なのか、この身体は。おそらく疲れる要因は、あの物置のような部屋にもあると思う。
私は夕飯のラムチョップを執務室の机に置きつつ、先刻のことをフィオレンティオに訊くことにした。
「お前の身体でダイニングに行ったら驚かれたんだ」
「ああ、はあ。まあそうですね」
「そして周囲がマンドラゴラやら猛毒コブラやらを勧めてきた」
「そうですねえ」
「そうですねではないだろう」
フィオレンティオはワゴンからパンとカトラリーを取って、その流れで食事を始めた。
もぐもぐと肉を口に放り込みながら、彼女は話しだす。
「ふつうの食事って、魔力の供給量が少なすぎてもたないんですよ」
「宮廷魔法使いの食事は他の者と同じものだろう」
「わたしの場合、魔力がすぐ溢れるので常に全力で魔法を使うんですよ。だから上級の魔物のお肉とかから魔力をいっぱい取り入れないといけないんです」
燃費の悪さを解消するために、蓄積する魔力量を増やした魔道具みたいだ。解決策が力技すぎる。
「じゃあ私もマンドラゴラだとかを食べたほうがいいのか?」
「いやあ、見たところシャノン様はそんなに魔法を使っていないみたいですし、多分当分はもちますよ」
小屋を爆発させたことは、彼女にとって大したことではないらしい。まあ複数の魔法を同時に使うより、魔力の使用量は少ないだろう。
「それで……進捗のほうはどうだ?」
私が尋ねると、フィオレンティオはパンをくわえたまま机に置いた紙を差し出してきた。見ればわかる、ということだろうか。
その紙には、アンディから取り上げた杖の絵が描いてあった。例の魔道具の仕組みについて書いてあるらしい。
「……水魔法で精神を分離させ、闇魔法で操って交換、土魔法で精神を固定することで入れ替わりが完成する、ということでいいのか?」
フィオレンティオはパンを口に含んだ状態で、頷いた。
こいつ私が王女だということを忘れていないかと思ったが、そういえば前からこんな感じだった。
国際魔法連盟は彼女に「歩く不敬」とか二つ名をつければいいのではないか。ちなみに今の二つ名は「求婚の魔女」である。不本意だ。
「思ったんだが、この手順をもう一度繰り返したら戻れるんじゃないか?」
フィオレンティオはパンを飲み込むと、口を開いた。
「さっき魔道具を使ってネズミ相手にやってみたんですけど、二回やったら死にました」
「よしやめよう」
フィオレンティオによると、もとの身体と入れ替わり後の身体、両方と精神が結びついてしまうらしい。その結果うまく精神をいじれずに、精神がそのまま消滅するという。普通に死ぬよりずっと怖い。
「魔法省とか国際魔法連盟に持ち込んで審議しますけど、これ自体結構古い魔法みたいなんで時間はかかると思います」
「ふむ……では明日の見合いはお前が出ることになるのか」
「そうなりますね」
不安だ。今まで人間の食事さえ摂っていない人間が、国の命運を握ってしまっていいのだろうか。
「心配しないでください、シャノン様」
私の懸念を見透かしたように、フィオレンティオが頼もしい笑みを浮かべた。
「シャノン様の評判は落とさずに破談にさせますから」
「それが不安だと言っているんだろうが!」
「だってわたしのほうが絶対シャノン様のこと好きですから!」
「理由になっていない!」
大賢者と王族が結婚した前例は、歴史にもいくつかある。が、女同士での結婚は前例がない。王には統治者という役割だけでなく、王族の血を未来に継ぐ必要があるからだ。
もし王女と大賢者という関係でなかったら――と考えたことはあるが、こんな変人には近づくことさえしなかっただろう。恋愛関係になる以前の問題だ。
「なるほど、つまり周囲の人間を蹴落とすのではなく、自分のアプローチのみで成り上がれということですね!」
「なぜそうなる! やめろ!」
フィオレンティオは食器を戻し部屋の外にワゴンを置いてくると、再びペンを持った。
「ごちそうさまでした。わたしは研究に戻るので、シャノン様はベッド使っていいですよ」
そうしてまた、執務机に向かった。
「いや待て」
聞き捨てならないことを言っていた。
「お前はここで寝るんだろうな?」
「いえ、時間がもったいないので寝ませんけど」
「寝ろ」
フィオレンティオは苦笑いを浮かべて、自分の指をこねくり回す。
「え~、でも睡眠って無駄じゃないですか?」
「お前はもう少し自分の健康に気を使え! 風呂に連れて行くからもう寝ろ!」
フィオレンティオの右手を掴み、鉛筆を机の上に落として部屋の外に引きずっていく。
「え!? シャノン様とお風呂!? やったあ!」
フィオレンティオは喜んでいるが、一緒に入るのは彼女の身体に入った私なので無駄な期待を抱くのはやめてほしい。あと入れ替わったのをいいことに私の身体を変態的な視線で見はじめた場合は、鉄拳制裁も辞さない。
のちに王女を風呂に連れていく大賢者を見た人々は、大賢者の求婚が更なる段階に至った、と噂したらしい。断じてそんなことはないし、フィオレンティオもなんだかんだ言ってへたれなのでその噂が本当になることはない、はずだ。
***
風呂に入って、ともに寝間着に着替えた。着替えを担当したメイド曰く、フィオレンティオは寝間着を持っていないらしい。なので私の寝間着はシャノンのものである。
寝室に着いて早々、フィオレンティオは寝室にある姿見の前で足を止めた。
私がベッドの縁に腰かけても、一向に動こうとしていない。
「……おい、フィオ。何をしている」
フィオレンティオは何を考えているのか、姿見を見ながらポーズをとっている。
「いや……裸より寝間着のほうがロマンチックだなと思いまして」
「何を言っているんだお前は」
「あえて名をつけるのなら、詩……ですかね」
だめだ、完全に自分の世界に入っている。こうなったら奴は止められないので、私は無視してベッドに入ることにした。
今日一日あまり動いていないせいか、あまり眠くない。まるで身体が眠り方を忘れたみたいだ。
私が寝室の窓から見える中庭の明かりを眺めてぼーっとしていると、背中側の布団が持ち上がった。ざわざわと衣擦れの音が響いて、そのあと背中に柔らかい体温が伝わってきた。フィオレンティオだった。
「……もういいのか?」
「わたしはプラトニックな純愛派ですから、シャノン様本人とお話ししたほうがいいかなって」
何を言っているのかわからないが、人の熱があるとよく眠れそうだ。
「今日はどうでした?」
フィオレンティオが腰に手を回してきた。私は長い一日を思い出しながら、言った。
「お前も大変だな、と思った」
王女として生きてきた自分にとって、今日は初めての体験ばかりだった。
魔法を使える身体になったのも新鮮だったが、それよりも周りの反応が目についた。
フィオレンティオは大賢者として王国に仕えることで、存在を許されているような魔法使いだ。その力は畏れられ、その言動は警戒される。なんというか、人間として生きた心地がしなかった。
「お前、故郷でもこんな生活だったのか?」
フィオレンティオは静かに笑って、そうですね、と肯定した。
「わたしには家族がいなかったので、冒険者ギルドに登録して物心ついたころから魔物でお金を稼いでいました。わたしも魔物みたいなものだって、よく言われましたね」
「物心ついたらって……何歳くらいからだ? さすがに乳飲み子が魔物を狩るのは無理があるだろう」
冒険者ギルドに魔物を持ち込むと買い取ってもらえるため、それで生計を立てている者も多い。しかし経済の仕組みを理解していないような子供がそれでひとりで生きるには、少々無理のある話だ。
「あんまり覚えてませんね」
「……ふむ、それもそうか」
記憶の限りでは、だが――彼女は高い魔力を生まれ持ち、ひとりも理解者がいないままここまで生きてきたらしい。
それならこんなに人の話を聞かない変態にもなるか、と思った。ひねくれるならどうせなら悪役側に落ちてほしいな、とも思った。ただの悪役よりよっぽどたちが悪い。
「そのときからほかの女にプロポーズを続けていたのか?」
「嫉妬ですか?」
フィオレンティオが満足げに言った。
「断じて違う」
「ゼロなんですか? それともどちらかといえば違うんですか?」
「ゼロだ」
そんなあ、という嘆きが聞こえてきた。事実なので勘弁してほしい。
フィオレンティオは口をとがらせたまま、私の問いに答えた。
「シャノン様が初めてですよ。初恋です」
初恋なのにこんなにぶっ飛ぶのか。
恋というものを知らないので何とも言えないが、世の人間がこんなエキセントリックな求婚をしているとしたら怖すぎる。
「わたし、シャノン様に怖がられたくて頑張ってるんです」
「どういうことだ? 求婚し続けている時点で相当恐ろしいが」
魔法を使ってしぶとく求婚を続ける姿は、なかなか体験できない類の恐怖を私に与えてきた。
「わたしが大賢者に就任した時のこと、覚えてますか?」
「……まあ、あれはだいぶ衝撃的だったな」
ほかの大賢者は、就任式で見た目が派手な魔法を使ったらしい。王城の天井に星座を映し出すだとか、巨大な火球でドラゴンを作ったりだとか、そういう魔法だ。一般的には、その際に使った魔法により大賢者の二つ名がつけられるそうだ。それに従ってフィオレンティオの二つ名を付けるとしたら、「終焉の魔女」あたりだろうか。
「あのとき、シャノン様だけがあの魔法を怖がらなかったじゃないですか」
怖がらなかったというか、魔法の標準がわからなかっただけだ。今となれば、あれが規格外の魔法だったと理解できるが。
「怖がる以外の人の反応を見たの、あれが初めてだったんですよ。だから、シャノン様がわたしの魔法を怖がったときが、プロポーズの終わりです」
「私と結婚するのが終点じゃないのか?」
「それはプロポーズを受けてくれるということでよろしいですか?」
「万が一の話だ」
フィオレンティオは私の耳元でううんと唸りを上げて、口を開いた。
「やっぱり、貴女は王女ですから。……」
フィオレンティオの腕に力が籠められる。彼女にも、女同士の恋愛に対する懸念はあったのか。
口では「愛は性別の壁を超える」と言いながら、実は心のどこかで諦めていたのかもしれない。彼女に諦めさせたのは、私かもしれないが。
「お前、そういう考えはあったのか」
「はい。さすがにわたしの血を王族に入れるわけにはいきませんよね」
「……そっちか」
心配して損した。変な話だが、どこかで諦めずにプロポーズし続けてほしいと思ってしまった。
「大丈夫だ。お前がネルドと結婚でもしない限り、お前の血は王族には入らない」
その場合フィオレンティオが私の義理の妹になる。どちらにせよ勘弁してほしい。
「……結婚するなら、シャノン様しか考えられません」
「そうだな、お前はそういう奴だった」
しばらく窓の外を眺めていると、背中側から安らかな寝息が聞こえてきた。首を小さくひねって後ろを見ると、すぐ目の前に私の寝顔があった。この身体はやたらと寝つきが悪くて、眠りに落ちたのは月が昇りきったあとだった。