5.大賢者ディナーショー
チュニックとズボンを手に持って執務室に戻ると、フィオレンティオは机に向かってまた何か書いていた。
また大声で驚かれるのだろうか、と思って歩み寄ると、その足音で彼女が顔を上げた。今はさほど集中していなかったらしい。
「あっ、シャノン様。魔法の制御の方法を書いたので、これを参考にしてみてください」
フィオレンティオは私の執務机に置いた紙を、私に差し出してきた。そこにはフィオレンティオの字が、びっしりと書き込んであった。
書き出しは、『永遠に愛するシャノン様へ』だ。
「もう少しましな一行目はなかったのか」
「事実ですから」
フィオレンティオの求愛行動は今に始まったことではないので、もうだいぶ気にならなくなってきた。
「じゃ、わたしは晩御飯まで解析を続けます。シャノン様はこの部屋で魔法の練習をしてかまいませんので」
そう言って、フィオレンティオはアンディから受け取った杖を手にした。私は来客用のテーブルの前に腰かけて、フィオレンティオから受け取った紙を見る。
『まずは魔法の威力をなるべく落としましょう。ひと単語でも詠唱すると威力が大きくなりすぎてしまうので、無詠唱かつ魔力を溜めたらすぐに発射します!』
世の魔導書と正反対のことが書いてある。尋常ではない魔力があるということは、とりあえずわかった。
『あとネックレスは外しちゃダメです。人体発火します』
首から下げられた、青い宝石が付いたネックレスに触れる。目立たないので目を向けてこなかったが、宝石の中に何らかの呪文が刻まれている。おそらくこれは魔力を封じるための魔道具だろう。
『細かい魔法を使うときはイメージだけだと厳しいと思うので、シャノン様が使いそうな魔法をピックアップして構造をまとめてみました』
その文末に、裏面に続きます、と書いてある。書かれた通りに裏返すと、そこにはフローチャートが書かれていた。
『「シャノン様大好きビーム」……火属性魔法を細かく何回か使用→風属性魔法で圧縮→ハート型を杖で描いて放出』
『「男の子になりたい」……水属性魔法・土属性魔法を同時展開→体内の魔力を全体的に活性化→男になった自分を想像しつつ放出』
『「シャノン様愛してるドラゴン召喚」……光属性魔法を遠隔魔法で空中にドラゴンを描くように展開→魔力放出』
さらっと書いているが、魔法の高速使用・同時展開は非常にレベルが高い。高速で頭を切りかえたり、同時にふたつ以上のことを考えたりする必要があるからだ。
さらに言うと、ドラゴン召喚に関しては遠隔魔法まで使っている。たしかこれは、二年ほど前にフィオレンティオが提唱した魔法だったはずだ。空間全体を完全に認識しないとできないとかで、彼女以外の使い手は未だ現れていないとかいう、常識外れの魔法だ。
「……わかってはいたが、天才がすぎるな……」
とりあえずフィオレンティオが開発するであろう、入れ替わり解消の魔法さえ使えればいいのだ。それまでにすべきことは、フィオレンティオの魔法の威力を常人レベルに落とすことだ。
最強の魔法使いの身体を得ても、使い方を学ばないと初級魔法さえ使えないとは。現実はそんなに甘くない、ということを突きつけられた心地がした。
「イメージを一瞬で繋ぎ、一瞬で放出か……これもなかなか難しいな」
夕飯のときまでに、私は三回ローブを燃やした。もうこれ以上服を失いたくはないので、全力で消火した。
日が沈んだ。
こんこん、と執務室のドアがノックされる。
フィオレンティオは机にくっついたまま離れようとしないので、私が代わりにドアを開ける。
「晩御飯の時間ですか?」
「えっ、あっ、大賢者様……?」
ドアを開けたところに立っていたメイド長、リリィは私を見て驚く。もうこういう反応にもだいぶ慣れた。
「小屋が爆発したのでシャノン様の部屋に来ていたんですけど、取り込み中だったようです。食事もあとで部屋に届けてくれればいい、とのことです」
「ああ……そうですか、わかりました」
よし、何とかなった。フィオレンティオはあとでいわれのない伝言により夕飯が手元に届けられるが、観念して食べてほしい。
「では私はダイニングのほうへ……」
「だ、大賢者様、お待ちください!」
なぜか引き止められた。リリィのほうを振り向く。
「どうかしましたか?」
「あの……本日は大賢者様用の食事を用意していないんですが……」
大賢者様用の食事とは。フィオレンティオはペットのような扱いでも受けているのだろうか。
わからないがここでいつも食べている者のことを訊くのも変なので、「大丈夫ですよ」とだけ答えた。あとでそれとなく訊くこととしよう。
リリィに案内され、私がいつも食事を摂っているダイニングまで移動した。本来大賢者は王族とともに食事を摂るものだから、私がダイニングで夕飯に列席しても文句は言われまい。夕飯をメイドに運ばせて部屋で食べているフィオレンティオが異常なのだ。
「あの、大賢者様」
ダイニングの扉を開ける前に、リリィが話しかけてきた。
「なんでしょうか」
「…………食事が気に入らなくても暴れないでくださいね?」
「私をなんだと思っているんだ!?」
思わず地の口調が出てしまった。フィオレンティオは突然豹変する怪獣のように見られているのだろうか。
パーティに参加したときは、いつもしぶしぶながらみんなと同じ食事を摂っていたが、あれは私がいたから暴走を抑え込めていただけなのかもしれない。
「だ……大丈夫です。今日の私はいつもと違うので」
なにせ中身が別人である。
「そうですか……では、お入りください」
リリィは恐る恐るといった様子でダイニングの扉を開いた。
ダイニングには第一王子ネルドと王妃アイリーン、国王ローレンスが揃っていた。私の弟と父母にあたるが、大賢者フィオレンティオにとっては他人だ。
「あっ、お姉さまやっと来……えっ!? フィオ様!?」
開口一番に驚きの声を上げたのは、第一王子ネルドだ。王妃と国王も私の姿を見ると、驚いて目を見開いた。
「ど、どういうこと、フィオちゃん……? ここにマンドラゴラはないわよ……?」
「悪いが猛毒コブラは食事には持ち込めないんだ」
王妃と国王が揃って言った。普段こいつは何を食べているというのだろうか。
「え~っと、お義母様、お義父様、私は普通の食事で大丈夫ですから……」
私は心配して駆け寄ってきたメイドを押しのけ、普段自分が座っている席に向かう。これは癖とかではなくて、第一王女シャノンの席にしか夕食が置いていないからである。
「あのフィオちゃんが、人間の食事を自ら食べるなんて、……感激だわ」
「今日は宴だ! ヴィンテージのワインを持ってこい!」
なぜか国王と王妃が大喜びしている。ネルドはいまだに驚いたままだ。
そのあと、主役だけがなぜ祝われているのか理解できないという、前代未聞の宴が開かれた。ちなみに夕飯はいつも食べているものと同じだった。