4.上は大火事、下は洪水
私は王城に帰ると、王宮図書館に向かった。
本当は人に頼みたいところだが、大賢者が簡単な魔法を教えてくれと言ったら宮廷魔法使いは警戒するだろう。
ニアもフィオレンティオも頼れない状況では、ひとりで努力するしかない。
何冊か図書館から初級の魔導書を借り、部屋へ戻る。私の部屋は人目につきやすいところにあるので、フィオレンティオはそちらを使うらしい。つまりここで言う「部屋」とは、大賢者の部屋である。
中庭に建つフィオレンティオの部屋――というか小屋――のドアを開ける。途端に魔法薬のものだろうか、刺激的な匂いが鼻をつく。
「うわ……ここに人間が住むのか?」
予想通りと言うべきか、部屋の中は強盗でも入ったのかと訊きたくなるような有様だった。
壁は全面が棚で埋めつくされ、本や薬品が乱暴に詰め込まれている。
「――ぐえっ!」
奥に見える机らしきものを目指して歩いていると、何かにつまづいて転んだ。抱えていた魔道書は床に散らばり、床に積まれた魔道書に頭を突っ込んだ。
足元を見ると、魔道書の間から生えたツタのようなものに足を絡め取られていた。
「まったく、トラップかここは……」
床も魔道書やら薬草やらが置かれ、足の踏み場がない。途方に暮れて天井を見上げると、また衝撃的な光景が飛び込んできた。
(……青空が見えるぞ……?)
小屋の屋根に、大穴が空いていた。
それを見て、「これである程度魔法が失敗して小屋が破損してもバレないな」と思ってしまった私を、誰か殴ってほしい。
私は魔道書の山から抜け出し、多数の魔道書を踏みつけながら机へ向かう。手に持った魔道書を机上の僅かなスペースに載せると、ふうと一息つく。
「……物置か?」
床にも壁にも天井にも小屋の面影はなく、ベッドもクローゼットも見当たらない。ローブの下に着るワンピースや下着が床に落ちていることから推測するに、寝るときも床で寝ているらしい。
「すごく片付けたい、が……時間がない……」
最初の見合いは明日の昼。猶予は一日も残されていない。
私は初級の魔道書を開くと、『精霊魔法の適正について』というページが最初に出てきた。そこにはこう書いてある。
『魔法を使うには、各属性の精霊の力を魔力により呼び起こす必要があります。相性の悪い精霊の魔法は使えません』
(……あいつ、得意不得意とかあったか……?)
魔法使いの間では、自分が使えない属性の魔法は、その都度魔道具で代用するものらしい。
魔道具は魔力を消費しない代わりに、精度や威力が多少落ちる。魔道具は込められた魔力を消費し、魔物の身体の一部を媒介として精霊の力を呼び出すものだからだ。
『魔法の属性は火・水・風・土・光・闇の六つがあります』
その下には属性別に使える魔法の種類が書いてある。しかしいくら考えてもフィオレンティオの得意不得意がわからなかったので、とりあえず最初に書いてあった火属性の魔法の使い方を見てみる。
「最初はロウソクに火を灯すイメージで……って、この部屋ロウソクがないな……」
フィオレンティオのことだから、明かりが必要となれば光属性の魔法を使うだろう。そう考えるとロウソクがないのも当たり前なので、とりあえず近くにあった鉛筆を手に取った。
「火を灯す……んん、なんか押し出される感じがあるな……」
鉛筆にかざした手のひらに、目に見えない斥力が働いている。空気の質が変わる独特な雰囲気。間違いない、今手のひらには魔力が集まっている。手のひらの魔力に呼応して、自然界の精霊が動き出しているのだ。
「えー……そのまま力を抜くと、魔法が発動し、て――」
かざした手のひらの力を緩めると、巨大な力が発生した。部屋の隅まで身体が吹っ飛ばされ、次の瞬間、轟音が耳を劈いた。
小屋が爆発した。
これ以外に、この状況を言い表せる言葉はないだろう。
「あー……どうするべきだろうか、これ……」
火属性の魔法だったからか、小屋が炎上を始める。私は崩れた壁を踏みつけて、小屋から一時避難する。
あの小屋にはフィオレンティオの研究成果が詰まっている。全て燃えれば、この国の魔法の発展は止まるどころか逆行するだろう。
「助けを呼んでいる暇はない、だろうな……」
私は再び手を小屋にかざし、今度は水を放つイメージを固める。
大丈夫だ、今度はいくら威力を出してもなんとかなる。何せここは屋外なのだから。
「よし、最大出力――」
……結論から言えば、私はフィオレンティオの魔力量をなめていた。彼女は大賢者就任当時、国際魔法連盟から天災認定された大魔女なのだ。
私の手のひらから放たれた大量の水は、私の身体と小屋の残骸を吹き飛ばした。私は背を思いきり王城の壁にぶつけ、小屋の残骸は王城の壁を容易く破った。
結果、王城の壁にはふたつの大穴が開いた。大賢者の腰痛も悪化した。
医務室でたっぷりと治癒魔法を浴びた私は、第一王女シャノンの執務室兼私室に向かった。
自分の部屋の扉に向かってノックする。
「……シャノン様、今お時間よろしいでしょうか?」
呼びかけるが、返事はない。
「おい、おーい……愛しのシャノン様〜?」
フィオレンティオが言いそうな言葉を使って呼びかけるも、返事はない。ただ恥をかいただけで終わった。
女同士だし見られて困ることもないか、と思って、部屋の扉を開ける。
部屋は薄暗く、窓から差し込む陽の光だけが満ちていた。その中で薄ぼんやりと浮かんだのは、見慣れない自分の背中だった。
「おい、いるなら返事をしないか。王女だからといって、周りの人間をないがしろにしていいわけではないぞ。人として最低限のマナーは守れ」
沈黙。
「おい、聞いているのか、フィオレンティオ!」
私はつかつかと机まで歩き、横からフィオレンティオの顔を覗き込む。実際目に入ったのは、自分の顔だったが。
フィオレンティオが視線を端にやる。私と目が合った。
すると彼女は、がばっと目を見開いた。
「うわぁぁぁあああ!! わたしがいるぅぅう!!」
「静かにせんか!」
私が叫ぶと、フィオレンティオは絶叫をやめて動きを止め。
「シャノン様だぁぁあ!?」
またわめいた。入れ替わりの件はちゃんと覚えているらしい。少し安心した。
フィオレンティオが落ち着くまで、ひとまず待機する。彼女は私を目にして乱れていた息を整えると、口を開いた。
「わたしが恋しくなっちゃいました……?」
「頬を赤らめるんじゃない!」
「ちょっとシャノン様、恥ずかしがらなくていいんですよ? わたしは女同士の恋愛、全然アリだと思いますし……」
「違う違う全ての物事を好意的に解釈するな! 話を聞け!」
先ほどの小屋大爆発と中庭の大洪水の件は、彼女に伝わっていないらしい。私は杖で身体を支えながら、彼女に事の顛末を話した。
「言いにくいのだが、魔法の練習をしていたら魔法が暴走してお前の部屋を爆発させてしまった」
「あっ、はい」
「炎上したので水魔法で消そうとしたところ、瓦礫が吹き飛んで王城に突き刺さり、ついでに中庭も水没した」
フィオレンティオは大賢者になってから、ずっとあの小屋にこもりきりだ。あそこにはフィオレンティオの大賢者たる全てが詰まっている。
怒るかと思ったが、フィオレンティオは気の抜けた笑みを浮かべていた。
「あはは、何かと思えばそんなことですか!」
挙句の果てに、そんなこと呼ばわりである。
「えっ、い、いいのか? あそこにはお前の書いた論文やら貴重な魔道書やら、薬草やらがあったが」
「いやぁ、論文の内容は全部覚えてますし薬草も必要があれば取りに行けますし……自分じゃ捨てられなかったので、むしろありがたいというか……」
「気にしてないならいいが……」
大賢者とは思えない大雑把さだ。一応権力者なのだから、最低限のこだわりくらいは持ってほしい。
「あ、でも服は調達しないとですね」
「中に着る服だけでいいんだろう? ならば私の服で十分だ」
フィオレンティオより私のほうが背が高い。ならば私の服は問題なく着られるだろう。
私は寝室に移り、クローゼットから適当な服を見繕う。フィオレンティオは着替えが面倒だからと、いつも丈の長いワンピースばかり着ている。それに似たようなものでいいだろう。
「おい、着替えるから入るんじゃないぞ」
着替える前に、寝室から顔を出してフィオレンティオに投げかける。
「着替えてるのがシャノン様なら大興奮しているところでしたが、身体が自分なのでなんとも……」
「……お前私の身体に変なことしていないだろうな?」
「してません! まだ!」
"まだ"がなかなかに不穏だが、未遂なので見逃しておこう。
私は寝室のドアを閉めて、くるぶし丈のローブを脱ぐ。紺と白だけで構成されたワンピースを脱いで、私の式典用のワンピースを身に纏う。
そして背中のホックを止めれば――。
……止めれば。
「……止まらん」
この服はオーダーメイドであり、第一王女シャノンの身体に沿って作られている。つまり今胸がきついのは、まあ、そういうことだ。
腹が立ったので、普段着ているチュニックとズボンを拝借した。ズボンは動きやすいよう、ぴっちりとした仕立てになっている。入れ替わりが解消された暁には、着替えが面倒になって困るだろう。