22.反転攻勢
次に私が目を覚ましたのは、知らない教会の中だった。
「……目を覚ましましたか、王女殿下」
声のした方へ視線を向けると、メルクスがステンドグラスを背に立っていた。
彼の前には私に声をかけてきた子供が数人並んでいる。メルクスは右手でナイフ、左手で子供の肩を掴んでいた。
「メルクス、これはどういうことだ?」
私はまだ本調子と言えない身体を起こす。子供の泣き声がこだまする教会は、夕方の薄暗さも相まって不気味なものだった。
「貴女ならもうお判りでしょう。脅しですよ、単純に言ってしまえば」
「……そうでないといいと思ったのだがな」
私は傍らに落ちていた杖を拾い、メルクスに向かう。
「お前の望みはなんだ?」
「王女殿下との結婚ですよ」
「なぜ……なぜお前は、女王の夫にならなくても十分な境遇にあるのに、私との結婚を望むんだ?」
王でなければ空っぽな、王になるためだけに生まれた人間を、どうしてそんなに求めるのか。
彼は子供たちの悲鳴をかき消すくらいの大声で、答えた。
「王女殿下をお慕い申しているからです!」
「………………は?」
こいつは何を言っているんだ。
「それは――王として、ということか?」
「いえ、ひとりの女性としてです」
似たようなセリフをここ六年毎日聞いてきた気がする。最近フィオレンティオを振ってなくなった分の求婚が、ここで帳尻合わせされているのだろうか。求婚の帳尻合わせという概念は意味不明だが。
「私は王女殿下と婚約するため、色々と手を回してきました。入れ替わりの魔法をアンディ・ランダンに教え、実行させたのは私です」
「やはりか……」
先程感じた感覚は、入れ替わりのときのものと酷似していた。おそらく魔法が一部同じなのだろう。私にはよく分からないが、両方とも精神に働きかける魔法の応用、とかなのだろうか。
「お前もドラゴンの心臓を研究に使いたかったのか?」
メルクスが魔法使いだとかの話は一切聞いたことがないが、一応魔力は多かれ少なかれ全ての人間が持っている。
彼にたまたま魔法の才があり、それを叶えるためという可能性も――。
「違います」
なかった。
「私は魔力量が少なく、知識しか持っていません」
「ええ……じゃあなぜ……」
「大賢者様の求婚を断る際に、王女殿下が何とおっしゃっていたか思い返してみてください」
思い返すのは、十六歳の誕生祭のこと。
「女同士では王族の血を継げない……と言った」
いつもどおり派手な魔法で求婚してきたフィオレンティオを、私はそうやって断った。
それを受けて、フィオレンティオはアンディから人造人間の存在を聞かされると、彼女は目を輝かせて詳細を聞き出そうとした。
――それってシャノン様との間に子供を作れるってことですか!?
あのときの喜んだフィオレンティオの――正確には私のなのだが――笑顔は、実に気持ちのいいものだった。初めて登城したときの無気力な彼女からは考えられないくらい、最近のフィオレンティオは活発だ。
メルクスは私の答えに満足げに頷き、それが理由です、と言った。
「ドラゴンの心臓から人造人間を作り出せるということは、すでに聞いているでしょう?」
私は肯定を返す。
通常の人間よりはるかに大きな魔力を持って生まれるだとかでフィオレンティオは忌避していたが、理論上人間を作れることには変わりがない。
「それだと大賢者様の求婚を、王女殿下が断る理由がなくなってしまいますでしょう?」
「……あいつにも言ったが、私があいつの求婚を断るのはなにも世継ぎのことだけではない」
「しかし障壁がひとつ減ってしまうのは確かです」
メルクスはナイフを子供に突きつける。子供は椅子に座らされているだけなので、ナイフに怯え、逃げようとする。
彼は声高に従者を呼ぶと、教会の陰から二、三人の使用人が出てきた。
「――!」
その中のひとりに、私は見覚えがあった。
七年前、私とともに賊に捕らえられた、私の元侍女だ。
彼らはナイフを突きつけられた子供を複数人で抑え、子供から逃げる手立てを奪った。
メルクスは初対面の印象からは程遠い、冷たい視線を私に投げかける。
「――せっかくここまで実績を上げてきたのに、そんな馬鹿げた魔法で私のシャノン様を横取りするだなんて……許せません」
この台詞を口にしたのが普段のフィオレンティオならば、不敬だと言って一蹴できていただろう。
しかし、なぜだか身体が動かない。蛇に睨まれた蛙のように、指先までもが痺れて動けない。
「おまっ、えは……」
意識が過去を巡る。
それは七年前――私が王位継承権を父から授かる前のことだ。
薄暗い路地裏、そこにぎゅうぎゅうに詰められた大人たち。ひとりだけ連れてきた侍女は見せしめのように人間に捕らえられ、魔道具によって意識を奪われていた。
その侍女――エミリアがいま、メルクスの従者として彼の悪事に加担している。これはいったい何の悪夢だろうか。
「私は七年前――父の政敵だった貴女を攫った際、貴女と会っております」
七年前、私と侍女を攫った人間――長らく不明となっていた犯人は、メルクスだったのだ。
私は自分に魔道具の杖を向けるエミリアを、視線の端で捉えた。彼女の瞳には光がない。
「エミリアっ!」
「無駄ですよ王女殿下。彼女……エミリアの精神は、もう残っていません」
「……!」
生死不明のまま、エミリアは七年も姿をくらましていた。王族に愛想を尽かしたか死んだかの二択だと思っていたが、まさか魔法で操られているとは思うまい。
私はメルクスを睨みつける。彼のように人間の精神を蹂躙するような存在に、魔法の力を与えてはならなかった。
「ああ……いいですよ、王女殿下! 最高だ! やはり自分より強い人間を屈服させるのは気分がいい!」
「この――変態が!」
フィオレンティオといいこいつといい、私は性的に倒錯した変態に好かれる能力でもあるのだろうか。
「見合いの際に私は倒しただろう!」
「いえ……やはり、精神が別人だと張り合いがありませんね。私は貴女の剣の腕前ではなく、貴女の強靭な精神が羨ましかったのです。そんなお方を伴侶にできるだなんて、素晴らしいことだと思いませんか?」
羨望から生まれる劣等感。メルクスの感情の起源は、そんなところだろう。
「ですが時間をかけすぎましたね。もっと早くこうしていればよかったと言うほかありませんよ」
彼は子供の顎を押し上げ、その首筋にナイフを突き立てる。
「さあ王女殿下……いえ、大賢者様。お選びください」
子供の怯えた目が私を見据える。彼は恐怖で声も出せないのだ。あの日の私と同じように。
「私と、結婚してくださいますか?」
何度も繰り返し聞いた求婚の文句が、やけに恐ろしく感じた。
足がすくむ。冷たい汗が手に張り付いている。
それでも、引くわけにはいかない。自分ひとりと国民ひとりを選べと言われたら、悩まず自分を犠牲にすると答える。それが私の目指している国王だ。
私はいつの間にか地面を撫でていた膝をゆっくりと上げ、杖を支えにして立ち上がる。
魔力を込めると、杖の先にある琥珀色の宝石が光を増すが、しかし魔法が発現する直前、私はその灯火を消した。
「……クズが……!」
メルクスが、魔法を放つ直前に自分の正面へ子供を連れ出していたからだ。
彼の前に立つ子供は十人程度。以前のフィオレンティオなら間を縫って魔法を撃つことも可能だっただろうが、今の私にそんな精度はない。
「国王陛下になられるお方は、まず対話を重ねるべきでは?」
メルクスが笑う。私は魔力を身体に戻し、杖の先をわずかに下げる。
「ああ、そうだな。だが――」
その杖の構えは、剣の構えと一致する。
普段の剣より重いそれを私は振り上げ、メルクスの頭に向かって真っすぐ振り下ろした。
「悪人と議論するつもりは毛頭ない!」
杖の先端が、メルクスの脳天に落ちる。ごん、という重い音が響いた。
無論、この程度の威力で彼が倒せるとは思っていない。これはメルクスに反撃されない程度の隙を作るための行動だ。
「――フィオ、いるんだろう!」
教会に私の声が響く。すると天井から音がして、窓から縄を伝ってフィオレンティオが降りてきた。
メルクスが何か企んでいる。そう思った私は、この逢引にフィオレンティオを同行させていた。メルクスには秘密のことなので、同行というより尾行のほうが近いかもしれない。
「子供を避難させてくれ!」
フィオレンティオは鎧を脱いだ黒いドレス姿で教会に降り立つ。いつも身にまとっている黒い鎧では、降りる際に邪魔になると私が言ったからだ。
「わかりましたっ!」
彼女は身体を軽々と翻し、子供たちのほうへ駆け寄った。彼女はメルクスの従者による子供の拘束を解き、子供たちを逃がしていく。
唯一メルクスがナイフを突きつけた子供にだけは、手出しをしなかった。
「……何が、起きているのですか」
メルクスが、突如現れたフィオレンティオに視線を奪われる。
その隙に私は足を軽く持ちあげ、メルクスのナイフを持った方の手へ踵落としを決めた。
「――ぐ、あ!」
メルクスの持っていたナイフが地面に落ち、鋭い音を立てる。その隙に子供はメルクスの腕の中から逃げ出し、フィオレンティオのほうへ走っていく。
「……勝負あったようだな」
私は杖の先端をメルクスに突きつける。彼は絶望したようなまなざしで、私を見返してきた。
「メルクス。お前を国家転覆罪で突き出す」
これで彼は二度と、私の婚約者候補として名が挙がることはないだろう。それどころか、きっと一生日の下を歩くことさえかなわない。
「――大嫌いだ、お前のような卑怯者は」