20.一生分振ってください
翌日、私はフィオレンティオとともに魔法省に赴いていた。
「え~……我々が今回打倒したのはグランデル湖に封印されていた水属性のドラゴン……伝説のドラゴン・カインの生き残りとされるものです」
うおお、と観客席から歓声が上がる。しかしすまない、私はこの凄さがわからないんだ。
私は手元の台本に視線をやり、そこに書いてあることをそのまま読み上げる。
「今回作成した魔法障壁展開装置は使用魔力量が少ないぶん材料が限られているので、水ドラゴンの亜種であるアクエリウス・サラマンダーを用いた魔法障壁展開装置の作成方法を提案します――」
私がそう言うと、脇にいるニアが魔道具を操って背後の壁に図を映し出す。竜の鱗を張った傘のようなものが描かれている。
これも私にとってはわけのわからないものだが、またしても歓声が上がった。
「大賢者様。こちらの魔道具を構想されるのに使った魔導書などはありますか?」
前方に座っていた男が、手を挙げて質問してきた。私は台本に書いてある質疑応答例のところを見て、参考文献について説明する。
「こちらは千年前の魔法文明の石板から取っており――」
……と。
そこで、質問者の男の後ろに座っていた人間の顔が、目に入った。
メルクスだった。
「…………」
「大賢者様? いかがなさいましたか?」
驚きすぎて一瞬言葉を失ってしまった。質問者の男の声でなんとか持ち直し、台本の続きを読み上げる。
中身が私だと知っている者の前で魔法の話をするのは、多少羞恥心が伴うものなのだ。これが自信のある剣術などならこんなに緊張はしないだろうな、と思いながら、なんとか演説を終わらせた。
演説が終わったあとは、そのまま立食パーティへと移行した。権力者というものは、何かと理由をつけてほかの人間と話したがるものなのだ。
「大賢者様、今回の研究もお見事でした」
「あ、ええ……どうも」
他国の魔法使いと名乗る人間が、私の周りに群がって称賛の言葉を投げかける。人だかりの向こうでフィオレンティオが不満そうな顔でこちらを見てきているので、あまり詰め寄らないほうがいいと思う。
「大賢者様はまだお若いでしょう? それなのにエリン王国の技術を年々進めていらっしゃる。いったいどこでどんな教育を受けたのでしょうか」
「あ~……」
実はフィオレンティオの身体になってから一番困る質問は、魔法関連ではなくこういうフィオレンティオの出自に関わることだった。
フィオレンティオの出自は、父も知らないようなことだ。唯一先代魔法省大臣であるギルバートは何かしらの正解に辿り着きそうだったというが、それを口にする前に死んでしまった。
彼女は誰にそう訊かれても、『知りません!』『どこでもいいでしょう?』など空気の読めない回答をしては魔法の教育に携わる人間を怒らせてきた。
しかし質問した人間を激高させるなんて王位継承者がやっていいことではない。そんなふうに頭を悩ませていると、私の右肩に手が当てられた。
「大賢者様は他国を遍歴なさって魔法の技術を学ばれたそうですよ」
どこかから私の窮地を知って駆け付けたメルクスが、そう言って私を救い出したのだ。私がメルクスに視線を送ると、彼は静かに頷いた。
「失礼。今回のドラゴンは私の父の領地で封印されていたものなのです。そのことについて大賢者様とお話がしたいので、少し席を外してもよろしいでしょうか」
メルクスはそう言って、私の肩を引いた。まわりの魔法使いたちはメルクスの権力の前にひるみ、私への質問攻めをやめてどこかに行ってしまった。
メルクスは魔法使いたちが方々に散ったのを見ると、私に笑いかけてきた。
「すみませんメルクス様、助かりました」
「いえ。先ほどの発言の半分は事実ですから」
「どういうことでしょうか?」
メルクスは私の肩に置いた手を離すと、私をまっすぐに見つめて言ってきた。
「貴女にお話があるのは事実なのですよ」
こういうときにプラスな話があったことは皆無なので、身構えた。メルクスの指す『貴女』とは、おそらく私――第一王女シャノンのことだ。
「……聞きましょう」
「その前に、場所を移しましょうか」
メルクスは高い背丈を生かして周囲を見渡し、魔法省のホールにあるテラスのひとつで目線を止めた。
「ついてきてください、……大賢者様」
「あ……はい」
フィオレンティオに手紙が届けられてから彼と会うのは、これが始めてだ。十中八九あの手紙のことだろうな、と思いながら、彼の背を追いかけた。
ステンドグラスの施された窓を抜け、テラスに出る。薄暗い外の景色の中には、私がいつも暮らしている王城もある。
「――で、私に話とは何だ、メルクス」
人気がないので、シャノンとして彼に問いかける。グレイソンの件で反省したので、いつでも逃げられるようにフィオレンティオの杖は手元にある。
「貴女もお判りでしょう。大賢者様にお送りした手紙の件ですよ」
「……やはりか」
テラスの外を眺めたまま、メルクスは口を開く。
「その……王女殿下に正式に婚約の申し出を始めようと思いまして」
「ああ」
「ですが会っていきなり婚約者というのはいささか古風ですから……逢引のお約束などをしてはいただけないか、と思い参上した次第です」
「ああ?」
メルクスの口からまさか逢引なんて言葉が出てくるとは思わなかったので、私は首を傾げた。
「何を勘違いしているのか知らないが、私の婚約者を決めるのは私でなく国だ。そういった手順は必要ない」
メルクスはただラドニー家の次代当主として国王に婚約の申請をすればいいだけだ。私と恋愛をする手順は、そこに含まれない。
「肩書や利益だけで相手を定める従来のやり方は、時代にそぐわないと思うのです」
「知るか。私は十六の乙女ではなく、次の王となる者だ」
私がそう言うと、メルクスは困ったような顔で私のほうを向いた。
「そうおっしゃらずに。近年は王族でも恋愛結婚は珍しくないのですよ」
「私は恋愛などしない」
昨日も同じようなことを言ったな、そういえば。この歳になるとどこもかしこも色めきだして、能天気な空気になってくる。
「やはり大賢者様と婚約をされるおつもりなのでしょうか」
「そんなわけがあるか」
なぜそうなる。お前たちは全員同じ思考回路でも持っているのか。
「とりあえず、逢引をして婚約の件をご一考いただきたいのです」
我が家で従者も用意します、とメルクスは付け足す。
メルクスの狙いはわからないが――とにかくこの男は、私と婚約したいらしい。王配の優劣なんて王の治世にはかかわりがないので、そんなことはどうだっていい。
なのでとりあえず、彼の提案に乗ることにした。
「まあいい。逢引してやろう。ただ、お前と婚約するかどうかは関係ないからな」
「承知しておりますとも」
メルクスはテラスの柵から離れ、まばゆい会場のほうへ踵を返す。
「では明後日の十時、王城まで我が家の者が参上します」
彼はシャンデリアの光で照らされた会場の中に戻っていった。彼の背をぼんやり眺めて自失していると、テラスに人影が差し込んだ。
「……シャノン様」
私にそう声をかけてきたのは、誰でもない、フィオレンティオだった。
私の姿をした彼女は、赤いマントを翻しながら私の目の前に立った。
「メルクス様と、逢引されるのですか」
話を立ち聞きしていたようで、彼女はそんなことを訊いてきた。逆光で顔はよく見えないが、声からしてたぶん悲しそうな顔をしている。
「ああ。これで婚約決定はしないがな」
彼女には十六になってから、我慢ばかり強いている。まあ以前の求婚し放題の無法地帯のほうがおかしいのだが。
フィオレンティオが歩み寄ってくる。逆光が薄まって見えた彼女の顔は、険しい顔をしていた。
「グレイソンさんの件もありますから、心配は不要だとは思いますが」
「そうだな」
「念のため、位置把握の魔道具を渡してもよろしいでしょうか」
グレイソンの件ではドラゴンの心臓を盗もうとする彼を止められなかった。これ以上王女として無様を重ねるわけにはいかないので、彼女の提案を呑んだ。
彼女が渡してきたのは、エメラルドのような魔道具だった。錆びたような色合いの金属が、中心の宝石を取り囲んでいる。
「ありがとう。王女として恥じない行動をしてくる」
ローブのポケットに魔道具を仕舞い、フィオレンティオにそう言った。彼女は私の目の前で突っ立ったまま、私のことを見つめてきた。
「……どうした」
「あの。メルクス様と結婚したあとでも、わたしが貴女を好きでいつづけることを許してくださいますか」
普段めちゃくちゃなフィオレンティオが、しおらしい態度でそんなことを訊いてきた。
「好きなことには変わりがないと言っていただろう」
「そうじゃなくて……邪魔にならないかなと思って」
「もうすでに生活を送るうえで邪魔だが?」
フィオレンティオはなぜか私の発言を聞いて笑顔になった。そういう特殊な趣味でもあるのだろうか。
「シャノン様。これが最後の機会になるかもしれませんから、言っておきます」
「ああ」
フィオレンティオが私の手を取った。なんとなく、この先の言葉はわかった。
「――結婚してください」
最後かもしれない求婚は、なんとも直球なものだった。
私の返事は決まっていた。
「断る」
「ですよねえ」
フィオレンティオはゆっくりと私の手を離した。それでも彼女はまだ立ち去ろうとしない。
「……結婚をすっぱり諦めたいので、嫌いって言ってくださいませんか」
「私がお前をどう思っているのか関係ないと言っていなかったか」
「それはシャノン様が嫌がっていない場合の話です。わたしはシャノン様を困らせたいわけではないので、嫌と言ってくだされば心残りなく諦められます」
自分の行動を自分で制限できないだなんて、いかにも彼女らしい。
「嫌いでないとしても、地位の違いがあると何度も言ってきただろう」
「そうじゃなくて」
フィオレンティオは私の頬に触れ、視線を合わせてきた。至近距離で見る自分の顔は、なんとも珍しかった。
「――このままだと、王女の地位を捨てて駆け落ちしませんかなどと口走ってしまいそうなんです」
切実な声色に、思わず閉口した。
王女でない私をそこまで好きな人間がいるだなんて、今まで知らなかった。こんなにも近くにいるのに、彼女のことを私は何も知らない。
「私は、嘘が吐けない」
「知っています」
「そのうえで、私はお前が嫌いではない。魔法省のいち役人だったら、……お前とは無二の友になっていただろう」
「……はい」
フィオレンティオの目が潤む。泣いている自分なんて、初めて見た。最後に泣いたのはいつだっただろうか。
「……だからすまない。お前の言うような断り方は、私はできない」
フィオレンティオは私の頬から手を離した。第一王女シャノンの傷だらけの手が、夜の空気を裂いた。
「――諦めさせてくださいよお」
私の目の前で、私の姿をした少女が泣いていた。
「こっぴどく振って、一生会えないくらい拒否してくださったら、諦められたのに……」
「……すまない。私は自分を慕う家臣を軽んじる王にはなりたくないんだ」
フィオレンティオは手のひらで涙を拭きとり、鼻水を垂らしながら私に抗議を続けた。
魔法省のいち役人だったら、お前と流れで結婚していたかもしれない――私は先ほど喉奥まで出かけていた言葉を頭の中で反芻しながら、彼女の涙をぬぐった。
泣いているフィオレンティオを見ると、なぜかとんでもない悪さをしたかのような感覚があった。ただの罪悪感とも言い難い感情が、私の胸を満たしていった。