19.王様じゃなくても
ニアに馬車で城まで送ってもらい、私はフィオレンティオの部屋まで戻る。
(しかし、ニアがあそこまでフィオと関わりがあったとは)
上司と部下以外の関係はないと思っていた。しかし、フィオレンティオの昔の話をするときのニアは微笑んでいた。親しさの証拠だろう。
思えば、私にはそんな関係にある人間はいない。王になるためだけの人生だ。
「……そんな私が、メルクスを愛せるものか……?」
五百年ほど前に女王として即位したリェステは、名君として知られる。彼女は王として君臨し、王配を愛し、自分の子孫と国民を慈しんだ。
リェステは剣の達人でありながら魔法の名士でもあり、聖剣を使わずにドラゴンを倒したという伝説もある。まあ五百年も前の話なので、かなり眉唾ものではあるが。
「……あ」
廊下の先に、フィオレンティオが立っていた。彼女は私を見つけると、歓声を上げてこちらに駆け寄ってきた。
「フィオ、城下に降りていたのか!」
「シャノン様、どうも……」
周りの目もあるので口調は私のものを真似ていたが、私はそもそもフィオレンティオに抱きつくような人間ではない。私は自分と同じ顔を手でぐいぐいと追いやって、フィオレンティオと距離を取った。
「そんなに冷たくしないでくれ。お前があの手紙を出したら、メルクスがわたしの元に正式に婚約の申し込みをしに来るんだからな」
あの手紙――というのは、メルクスがフィオレンティオに送った、『私とメルクスの婚約を認可してくれたらフィオレンティオと私の結婚を取り持つ』という趣旨の手紙だ。
あの手紙を出したところでメルクスと私の婚約が決まるわけではない……が、あちらは本格的に婚約成立に向けて動きだすだろう。
私がこの歳まで婚約者もなく生きてきたのは、フィオレンティオの求婚が抑止力になっていたからだ。次代王の婚約者は十歳前後で決まるから、遅すぎるくらいだ。
「……もうこうしてスキンシップを取ることも難しい、ということですか」
私がフィオレンティオに尋ねると、彼女はゆっくりと頷いた。
「わたしはお前のそばにいられるだけで幸せだ」
私って、そんなに多幸感に満ちた表情ができるのか。自分自身でさえそう驚いてしまうほどに、フィオレンティオは喜んでいた。
「だから、たとえ『わたし』がメルクスに恋をしても……それはそれで、構わない」
口ではそう言っているが、顔に寂しそうな色が浮かんでいた。以前嫉妬はしないと言っていたが、独占欲はあるらしい。
「……あいにく、私は恋を知りません」
「したことはなくても、いずれするかもしれないだろう? メルクスは剣の達人だ、わたしより話が合うかもしれない」
そうは言っても、私は王になるために必要でない感情は捨ててきた身だ。王女がフィオレンティオのように身分も弁えず求婚していたら、国の格が落ちる。
「王に恋愛感情は必要ありませんよ」
私がそう言うと、フィオレンティオは面食らったように目を見開いた。
「王に必要ないからと言って、お前に必要な理由にはならないだろう」
「……私は王でなければ空っぽな人間ですよ」
私がそう言うと、フィオレンティオはふいに周囲を見渡し、かがんで私に耳打ちしてきた。
「わたしは、貴女が王女だから貴女に恋しているとでもお思いで?」
そうとしか考えられない。私が頷くと、フィオレンティオははあ、と大きめのため息を吐いた。
「わたしはそんな打算的な人間じゃないですよ」
たしかに魔法に対する彼女の態度を見ていると、とても理性的とは言い難い。健康も無視して魔法の研究を続けるところとか、住みやすさを無視して部屋を汚しまくるところとか。計画性はまるでないし、人の気持ちを考えるのも苦手だ。
――だからこそ、こんな私を好きになる理由がわからない。
「シャノン様だからこそ好きなんです」
「……とても信じられないな」
ほかの相手なら、世辞だと切り捨てられただろう。しかし相手が長く付き合ってきた大賢者だからたちが悪い。フィオレンティオは嘘を吐けない。それはこの六年で嫌になるほど味わってきた。
「王様になるだけが、貴女の価値ではありません。貴女はわたしを恐れず受け入れ、偏見を持たず、謙虚で、我慢強く、意欲があり、冷静で、何かを判断する力もあり――」
フィオレンティオが私の肩に寄りかかってぶつぶつ言い始めた。
「お前が言っているのは、王として当たり前のことばかりだ」
「当たり前のことを実行できるのがすごいんです」
フィオレンティオはそう言って私をひとしきり褒めたあと、満足そうな笑顔を浮かべた。
ほめ殺しが終わり、去り際に彼女は腰に付けたバッグを開けた。
「あ、そういえば明日はドラゴン撃破の件で魔法省で演説会があるらしいです」
「は!?」
突然言われたものだから驚いてしまったが、さすがフィオレンティオ、そういうところは抜かりがないらしい。彼女は私に、紙束を渡してきた。フィオレンティオの字で、びっしりと何かが書いてある。
「台本、用意してきました。ニアに許可も取ってます」
今朝ニアが第一王女シャノンの部屋に来ていたのはそういうことだったのか、と妙に腑に落ちた。だとしても優先順位がおかしくないか、とも思った。彼女にとっては魔法省での演説よりメルクスと私の関係のほうが重要なのだろうが。
「読み上げるだけでいいレベルまで書いてきました」
「いや……読み上げるだけでいい、と言われてもだな……」
紙束に書かれた文字は、すべて魔法の専門用語だ。防御障壁の呪文の式がどうだとか、千年前の魔法使いが編み出したドラゴンの討伐法がどうだとか。
正直一生かかっても解明できそうにないし、あとたぶん、ニアもドロシーも解明できないと思う。
「でも突然わたしが魔法の話を始めたら、みなさんびっくりするじゃないですか」
「まあ……たしかに……」
昔の国王には魔法が使える者はいた。しかし今の王族は魔力量が少なく、とても魔法使いになれるような素質は持ち合わせていない。だからドロシーから魔法使いの事情を垣間見ることはあっても、魔法そのものについての知識は皆無と言っていい。
「本当はわたしが変わって差し上げたいのですが……メルクス様との手合わせはわたしがやりましたし」
「その代わりに、とでも言いたいのか」
「……お願いしますよお」
フィオレンティオは指をこねながら、中腰になって上目遣いをしてきた。フィオレンティオの身体だったころはよくやられたしぐさだが、まさか身長差が逆転してもなおやられるとは。
フィオレンティオの身体になって苦労したことはあったが――たしかに、得られたこともあった。
前者は魔法の暴発や魔法省の演説。後者は勇気や王である重責からの解放。
一概にいいことと言ってしまうのははばかられるが、それでも私にとっては未体験の世界だった。王にならない人生の景色を、見ることができた。
ならば――大賢者の景色を見てみるのも、悪くないかもしれない。
「……わかった。私がやろう」
「!! 本当ですか!」
フィオレンティオの顔がぱあっと明るくなった。
こんなに喜んでくれるなら別に――いや、願いを受け入れるのと絆されるのは違う。そこの線引きはきちんとしておかなければ。
「じゃあ、国賓の方の相手はわたしがしますね!」
「他国の者が来るとは聞いていないぞ馬鹿者!」
他国の権力者や有識者の前で演説するプレッシャーを負いつつ、フィオレンティオの尻ぬぐいもする――考えただけで重労働だ。
とりあえず『王女の粗相をうまく回収する大賢者』の練習をしなくては。
こんなこと、入れ替わっていなければ二度と体験できないだろう。