12.そんなの浮気じゃないですか!
「貴女の幸せの邪魔を、したくないんですよ!」
「…………は?」
見合いの現場に私を同行させておいて、なんだこいつは。
「……え?」
なぜかフィオレンティオも驚いている。何が起きているのかわからないといった顔だ。お前が分からなくて誰がわかるものか。
「う、うそ、勘違い……?」
フィオレンティオが困惑して頭を抱える。私も正直そうしたいところだが、その勘違いとやらを聞き出さなくてはならない。
「おい、どういうことだ?」
「いや、早とちりしたというか誤解したというか……気にしないでくださいシャノン様愛してます!」
フィオレンティオは途端に身を翻し、ダイニングの方へ向かって走り出した。私はその手を掴み、引き止める。
しかし私の身体の方が力が強く、この身体では力負けして引きずられていく。
「離してくださいシャノン様! 愛してるので!」
「急に態度がコロッと変わって、気にならない奴がっ、いるか……っ!」
そろそろ腕が疲れてきた。私は最後の力を振り絞ってフィオレンティオの腕を思い切り引いて、よろけたところを壁に追いやった。壁に手をやって、横からも逃げられないようにする。
「教えろ。その勘違いとやらを」
フィオレンティオの身体の方が身長は低いのだが、シャノンがへっぴり腰なせいで上から見下げる形となった。私ってこんな情けない表情もできるのか、と思った。
「しゃ……シャノン様、昨晩男の人と密会してらっしゃったじゃないですか!」
「昨晩……ああ」
きっとその男の人とは、グレイソンを指しているのだろう。密会というか、ホットミルクを貰っただけだが。
「わたし、それ見てシャノン様がその人とえっちなことしてると思って……」
「するか阿呆。私は一国の王女だぞ」
「で、ですよねえ……」
フィオレンティオは私の腕の中でくたりと力を抜いて、地面に座り込んだ。普段の私なら絶対しないので、なるべく早く立ち上がってほしい。
「……呆れました?」
「お前には常に呆れているが」
「そうじゃなくてですね」
私の目を真っ直ぐ見つめて、フィオレンティオは言った。
「普段あんなに熱烈プロポーズしてるのに、男の人が現れたらすぐ手を引くなんて臆病者……とか思いました?」
「思わないしむしろ好都合だ」
「や、やった〜! よかったあ……」
フィオレンティオは気の抜けた笑みを浮かべた。見慣れた私の顔が、やたらと幼く見える。
私はフィオレンティオの手を握り、立ち上がらせた。一国の王女が廊下でへたり込んでいたら、目立つことこの上ない。
「シャノン様……」
マントをバサリと払いながら、フィオレンティオが呼びかけてくる。
「やっぱり、シャノン様の部屋で一緒に暮らしませんか? シャノン様が男の人と夜に会っていると、ちょっとわたし、心配で……」
求婚の魔女というものが、案外嫉妬深いものだ。以前から女同士だという理由でプロポーズを断り続けていたので、私と男が会うのが気にかかるのだろう。
「大丈夫だ。魔法の訓練もしている。そう簡単にやられはしない」
「でもでもっ! イケメンでしたし、いつか心を許してしまうかも……」
「私はそんなに簡単に人を信用しない」
一見いい人に見えても、その奥では打算が動いていることがままある。グレイソンも、フィオレンティオの力を利用するために私に近づいてきたのかもしれない。
「なんでそんなに嫌なんですか?」
「……リリィに言われたんだ。ついに姫様と付き合えたんですか、と」
入れ替わってからというもの、フィオレンティオが私にやたらべたべたしてくるせいでそういう噂が立っている。たしかにずっと求婚し続けた王女がいきなりくっつき始めたら、恋が成就したのかと思うだろう。
「付き合っちゃえばよくないですか?」
「そういう問題ではなくてだな」
王族には身の潔白が求められる。いざ王になろうとしたら不純交遊の記録が出てきた、なんて事態になったら大惨事だ。
「じゃあ、せめて部屋に入るのはやめてくださいよ。わたしの身体、けっこう貧弱なんですから」
フィオレンティオの身体は力が弱い。剣も持てないし、少し走るだけで息切れする。たしかにこれでは男に力では勝てないだろう。
「……わかった。気を付ける」
私がそう言うと、フィオレンティオは安堵のため息をついた。
大賢者になったときは興味も希薄だったのに、嫉妬なんてするようになったのか。知らないうちにフィオレンティオの感情が強くなっていっているんだな、としみじみ思った。
***
ドロシー指導による魔法の練習を終え、夕飯と風呂を済ませると神官の寮に戻った。
「お前、こんなところで生活しているのか? かなり古いじゃないか」
なぜかフィオレンティオもついてきている。大賢者は変人なので神官の寮で寝泊まりしていても受け入れられていたが、第一王女が来るとなると話は別だ。私は神官の視線をびしびしと感じながら、寮の中を進んだ。
「王城の中では新しい建物ですよ」
「わたしの部屋で寝泊まりすればいいのに……」
フィオレンティオが私の肩を抱き、囁くように言ってきた。
「ふふ、シャノン様ってば……っ!」
私はいつも通りの大賢者を装いながらも、フィオレンティオの胸の鎧を肘で押す。寮で歩いている神官が気まずそうにしているので、人前でべたべたするのをやめてほしい。というか、ふたりきりでもしないでほしい。
フィオレンティオには何回もそう言っているのだが、「シャノン様に下手なことはできないと思わせないと!」と躍起になっていた。もう好きにしてくれ。
部屋のある二階に上ると、フィオレンティオが部屋の位置を訊いてきた。
「……私の部屋には泊めないぞ」
「違いますよ。お隣さんに挨拶をしたいんです」
「なぜそれを承諾すると思った?」
「挨拶するだけですってば」
フィオレンティオは口をとがらせて言った。私は本当に挨拶だけだぞ、と釘を刺して、グレイソンの部屋の前に行った。
扉をノックする。しばらく待っていると、扉の向こうから足音が迫ってきた。やがて扉が開く。
「はい……って、シャノン王女殿下?」
グレイソンはフィオレンティオの姿を見るなり目を丸くした。エリン王国の国民で大賢者と王女が突然一緒に訪ねてきて、驚かない者のほうが少ないだろう。
フィオレンティオはにっと口端を上げると、口を開いた。
「ああ。フィオが世話になったな。わたしが部屋を用意してやればよかったのだが、なかなかそうもいかなくてな」
そう言ってフィオレンティオは私の肩を抱き寄せた。そして威嚇するかのようにグレイソンへ視線を向ける。散々止めてもまだ威嚇を続けるので、もう諦めて抱き寄せられることにする。
「いえ……もったいなきお言葉でございます」
グレイソンは萎縮した様子で頭を下げる。フィオレンティオは満足そうに面を上げろ、と言った。
「お前はいつから入った神官だ?」
「大賢者様が侵入者に襲撃されたときでございます」
「なるほど。まだこいつの奇行にも慣れていないだろうから、注意するんだな」
フィオレンティオは軽い口調で言った。普段奇行をしている自覚はあったのか。
「では、わたしは部屋に戻る。フィオ、また部屋を壊すなよ」
フィオレンティオは特に何事もせず、そのまま帰っていった。
彼女のことだからもっとグレイソンにいろいろ口出しをしてくるかと思ったが、王女の枠組みは超えない会話だけで済んだ。私はトラブルが怒らなかったことに安心して、胸を撫でおろした。
「……よろしいのですか、大賢者様。王女殿下とともにいるチャンスではないですか」
お前までそんなことを言うのか、グレイソン。
私たちの関係はいろいろなところで噂されているので、彼が知っていても何らおかしいことはないのだが――身近な人間にそうせっつかれると、いたたまれない気持ちになる。
「私がシャノン様に求婚を繰り返していることを、ご存じなんですか?」
「ええそれはもう。国際魔法連盟が天災認定された魔女の二つ名を『求婚の魔女』にしたと報道されたときは、天地がひっくり返ったかと思いましたよ」
庶民にも知るところとなっていたとは知らなかった。
私はフィオレンティオの背中が見えなくなったのを確認すると、呟くようにグレイソンの問いに答えた。
「――私とシャノン様とでは、身分がまるで違いますから」
こうしてフィオレンティオが諦めてくれていたら、私もここまで困らなかっただろう。
グレイソンはかける言葉を失ったようで、曖昧に笑った。そして戸惑いを隠すように、言った。
「今日もホットミルクをお持ちしましょうか?」
私はフィオレンティオの発言を思い出し、首を振る。
「……いえ。今日は遠慮しておきます。まだ研究することがあるので」
この身体は私ひとりの考えで傷つけていいようなものではない。持ち主が気をつけろと言った以上、私も気を付けるのが誠意というものだ。
「そうですか。では、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい。いい夜を」
グレイソンの部屋の扉が、ゆっくりと閉じられる。
今日は魔力をたくさん使った。フィオレンティオの「ふつうの食事だと魔力供給が追い付かない」という言葉の意味が、分かった気がする。
しばらく身体を休ませれば復活すると思われるので、研究などはせず部屋に帰るとすぐに眠った。魔力はだいぶ減ったはずなのに、今日も眠くならなかった。