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11.あんなに好きだと言ったのに

 鍛錬用ホールでの訓練を終え、私たちは騎士団の本部の中を歩いていた。私たちが受付で鍛錬用ホールを使い終わったという報告をしていると、ひときわ大きな声がエントランスに響き渡った。


「だから、私はもうこれ以上手合わせはできないと言っているだろう! これから明日の見合いに備えなくてはいけないんだ!」


 私の声だった。振り返るとそこには、フィオレンティオが立っていた。


 鍛錬用の銀色の鎧をまとい、小脇に兜と剣を抱えている。ショートカットの銀髪は肌に張り付いており、鍛錬終わりだということがわかった。

 実は今朝からフィオレンティオとまともに会話ができていなかったのだが――無事鍛錬に向かってくれたようでよかった。


「しゃ、シャノン様っ!」


 私はできるだけ高い声を上げて、フィオレンティオのもとに走っていく。彼女なら、きっとこうしていたはずだ。


「鍛錬ですか? すばらしいですね。才ある者がさらに高めようとする姿勢、さすがシャノン様です!」


 自分で自分をほめたたえるというのは、かなりこっぱずかしい体験だった。しかし周りの騎士たちはまたかといった顔で見守ってくれているので、フィオレンティオの真似としてはこれでいいらしい。


 羞恥に人知れず震えている私に、フィオレンティオは笑顔を向けた。

 いつものような王女スマイルだが、私にはわかった。いつもは心から溢れる喜びを笑顔に変換したような顔だが、今は王女としての一面を見せるため義務として笑っているような顔だ。きっとこの違和感は、私にしかわからないだろう。


「ああ。フィオか。お前こそ騎士団に来て何の用だ?」


 口調こそ柔らかいが、どこか一線を引いたような空気さえ感じられる。

 今朝、朝食のときにもそっけない返事しかされなかったので、何か怒らせるようなことでもしたのだろうか。


「私はドロシーさんと魔法の研究に来ていました」

「そうか、さすがこの国の大賢者だ」


 その言い方に、私は違和感を覚えた。

 フィオレンティオは自分のことをシャノンとして言及する際には、「わたしの」大賢者と言っていたはずだ。実際には大賢者は国王に仕えるものなので、父の大賢者だとしても私の大賢者ではないのだが。


 彼女は「わたしの」大賢者という呼び方をいたく気に入っており、私がその呼び方をするたびに「なんだか夫婦みたいですね」と言ってきた。

 だからこの言い方には、何かしらの意図が含まれる。おそらく私にも伝えるつもりはないくらいの、小さな意図が。


「今日の昼食には来るのか?」

「あ、はい。今日はそれほど魔力が減っていないので」

「そうか。以前のお前とは大違いだな」


 フィオレンティオはでは、と軽く口にして、足を前に踏み出した。

 このままだと、この違和感の正体を突き詰めることができない。私はフィオレンティオが横を通る瞬間に、声を上げた。


「――あ、あのっ!」


 フィオレンティオがゆっくりと振り向いた。


「どうした? 結婚はしないぞ」

「そうじゃなくて……えっと、ダイニングまで一緒に向かいませんか?」


 恥を忍んで口にした。しかし周りの人間からすればいつも通りの光景なので、恥ずかしいと思っているのは私くらいだ。

 フィオレンティオは申し訳なさそうに眉を下げると、すまないが、と前置きして。


「稽古をする予定が、まだあるんだ。先に行っていてくれないか」


 フィオレンティオはそう言い残して、美しい後ろ姿を見せながら去っていった。

 ……避けられている。

 フィオレンティオと私の関係では、初のことだ。


 ――いいじゃないか。

 その挑戦、受けて立つ。


「いいの、姫様? 大賢者様って案外押しに弱いから、長時間待つことになるわよ?」


 私は騎士団の入口で、フィオレンティオを待つことにした。これなら直接捕まえて、委細聞き出すことができる。


「問題ない。ドロシーは先に城に戻って食堂で昼食を摂ってくれ。そのあとはシャノンの執務室で待っていてくれればいい」


 ドロシーは難しい顔をしていたが、ため息をつくといつもの優しい笑顔に戻った。


「こうなると曲げないのよねえ……はいはい、わかったわよ。じゃ」


 ドロシーは踵を返し、王城の方へ歩いていった。私は杖を抱えて、騎士団本部の壁にもたれかかる。


 初めての経験だ。人に避けられたのも、人の感情を知りたいと思ったのも。損得勘定ぬきの人間関係を深く築いている庶民たちは、さぞかし苦しい毎日を送っていることだろう。

 騎士団の前を通る人間が、私に不思議がるような視線を向けてくる。この視線にもだいぶ慣れた。フィオレンティオになってからもう二日も過ごしているのだ。


「……くそ。これじゃまるで、私があいつのことを好きみたいじゃないか」


 第一王女に叶わぬ恋を続け、日々愛を伝えては玉砕する大賢者。この国の定型と化した行為は、これほどまでに虚しいものだったのか。


 "シャノン"を恋しく思うのも、この身体のせいなのかもしれない。三十分ほど経つと脚の筋肉が限界を迎えて、地面にへたりこんだ。


 日が高くなるごとに、私の中のいらだちが募っていく。

 避けるなら理由を口にしろ。普段あれほどしつこく言い寄ってくるくせに。

 そんな恨み言を叩きつけたい気分だったが、相手がいないからこうして待っていることを忘れてはならない。


 一時間ほど経ったころだろうか。

 重厚な鎧の音が遠くから響いた。

 異様なその音を聞いて、私は反射的に立ち上がった。


「……待ってましたよ、シャノン様」


 騎士団での鍛錬を終えたフィオレンティオが、いつもの黒い鎧に赤いマントを身につけて立っていた。

 彼女は私の呼びかけに振り向くと、僅かに目を見開いた。周りに歩く人影がいるのを確認すると、ぴしりと背を伸ばして王女らしい威容を見せつけた。


「フィオか」

「王城に帰りましょう、シャノン様。もうお昼には遅いですよ」


 ちら、とフィオレンティオの様子を伺う。彼女は困ったような、嬉しいような、曖昧な表情を浮かべていた。


「わたしはいいが……お前はいいのか?」

「それが待っていた人間にかける言葉ですか?」


 フィオレンティオはしばし苦い顔で悩んだあと、わかった、と口にした。

 彼女は、どうやら怒って私を避けているわけではないらしい。どちらにせよ心当たりがないことは確かだ。


 マントを翻し、王城の方へ向かった。私も彼女のあとについて、帰路に就く。


「……あのー、シャノン様?」


 フィオレンティオが素の表情を浮かべて、私だけに聞こえるくらいの声で聞いてきた。


「何だ」

「怒ってらっしゃるんですか?」


 フィオレンティオは至極真っ当に困惑していた。


「こちらの台詞だ」

「えっ、どうして……」

「どうしても何もあるか。なぜお前は今日、私を避けているんだ」


 勝手に避けられたままでは王女の権威が汚される。こういう時こそ、怖がらずに突っ込むべきなのだ。

 フィオレンティオはええ、と緩んだ顔で声を漏らした。


「……わたしのこと、そんなに気にしてたんですか?」


 私の顔でそんな気の抜けた表情を作るな、と言いたかったが、話が逸れてしまいそうなのでやめておいた。


「そういうわけではない。ただ日頃あれほど好きだ好きだとうるさい人間が何も言ってこなくなると、原因を特定したくなるだろう」

「気にしてるじゃないですか!」

「これはお前への関心ではなく、知的好奇心だ」


 そういうことにしておこう。

 フィオレンティオが理由をぼかし続けていると、とうとう王城に入ってしまった。昼食が終われば私はまたドロシーと訓練することになるので、聞き出すのが遅れてしまう。


「あんなに私のことが好きだと言っていたのに、私が結婚しようとしたとたん手を引くような女だったか、お前は?」

「……そうですよ」


 フィオレンティオは立ち止まって、こちらを振り向いた。悔しそうな顔をしていた。

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