Y字路の幽霊
最近、幽霊の噂がある。
Y字路の道分かれ正面に、長らくシャッターが下りていた煙草屋があったのだが、一カ月ぐらい前にそれが取り壊された。そこまで広くない道だったので、取り壊しの日にはそこは通行禁止になっていた。
誰がわざわざ取り壊しを頼んだのか不思議だったが、ともかく近頃そこに幽霊が出るという。
夕方その道を通ると、その煙草屋がまだあるのだという。しかも、シャッターも下がっておらず、昔ながらの煙草屋の様が見れるとか。店内に人はいないのだが、しかし突然後ろから声をかけられるらしい。後ろを振り返ると、煙草屋の親父らしき老爺が立っており、こう言われる。
「吸うかい、煙草」
「吸わないか。残念」
「君はこれからどうするの?」
そういって、消えてしまうらしい。
この噂は、学生の間で広がった。最初、この話を信じているやつはあまりいなかったが、A組の斎藤ーークラスのお調子者で人気者ーーが、これを見たと言ってから、風向きが変わった。ポツポツと俺も見た、私も見たというやつが出始めた。俺はD組だが、D組で最初に言い始めたのは西という女子だった。この西という女は、いやな言い方をすれば媚びるのが上手いやつで、はっきり言えば発言を信用できないやつで、だから俺はその噂をあまり信じなかった。なんなら、噂を立てるやつを内心嘲笑していた。だが、俺の気持ちとは裏腹に、最終的には学年の四分の一程度の生徒がその煙草屋の幽霊に遭遇している。
「絶対嘘だろ」
「言うと思った」
斎藤は多少拗ねていた。
斎藤は女である。身長は俺より少し小さい。斎藤は、中学の時同じクラスだった。高校に入ってからは、完全に疎遠だった。今、学校が終わり斎藤と俺は一緒にそのY字路に向かっていた。
「そんなに頻繁に幽霊が出てたまるか」
「でも、実際私は見たの」
「斎藤はともかくとして、斎藤の取り巻きは絶対に嘘」
「取り巻きって言わないで。まぁ、確かにりーちゃんたちは嘘ついてると思うけど」
昼、購買に向かう俺に、斎藤は話しかけてきた。
ーー今日の放課後って空いてる?
ーーうん。空いてるけど
ーーY字路の噂って聞いてるでしょ
ーーうん。斎藤が見たやつだろ
ーーそうそう。今日もう一回そこに行きたいんだけど、ついてきてくれない?
ーー・・・まあ、いいけど。
ーーありがとう。じゃあ昇降口で待ってて
俺は、漠然とY字路で俺に力仕事でもしてもらいたいのだろうと目論見をつけた。
もともと斎藤は、異性と話すのが苦手だった。中学の時は、たまたま席が隣で、かつ俺が話しかけてみたから俺の友達とも少しは話せるようになった。高校でもそれは変わっていないのは、なんとなくわかっていた。だから、力仕事に代表される男子が必要とされるようなことを、Y字路でしたいのだろう。その場合、身近に頼れるのが多少疎遠になっていても俺ぐらいしかいないのだろうと思って了解した。
色々疑問がある。当然、幽霊をほんとに見たのかという疑問も持っている。しかし、噂が流行っていない頃に「幽霊を見た」と言った斎藤は、その質問にうんざりしているだろうと少しばかり気遣いして、俺は違う質問をした。
「なんで二回も幽霊に会いたいわけ」
「あの煙草屋、私のおじいちゃんの弟がやってたらしいの」
「そうなの?」
「うん。私も取り壊しを決めるときに初めて聞いたんだけど」
「一度も聞かされてなかったのか」
「小さい頃に言われたらしいんだけど、覚えてなくて。信じてないかもしれないけど、やっぱり親戚って言われた人の霊を見ると、気になっちゃうというか」
「斎藤のお母さんとかは、見てないの?」
「うん。お母さんも夕方家の外出るはずなんだけど、見てないって」
そんな話をしている間に、Y字路についた。
視線を斎藤から前に戻した。
夕日で橙色に染められた煙草屋がそこにあった。
そして、老爺がその中で古そうな新聞を読んでいた。
斎藤が一歩前に出た。
「斎藤」
斎藤はうなづいた。
しばらく膠着状態が続いた。
噂と違うじゃないか、というのしか、頭には残っていなかった。
そして、煙草屋の店主は新聞をたたみ始め、老眼鏡を外してこちらを見た。
「君が、由衣ちゃんのお友達?」
少しごつごつした強い声だった。由衣は斎藤の名前だ。
俺は斎藤の方を見たが、斎藤はこちらを振り返らない。ただ、祖父の弟を見ているだけだ。
俺が答えるしかない。
「はい」
「そうか。それで君はどっちに行くの?」
何を言っているんだ?
店主は人差し指を左右に向けながらもう一度言った。
「どっち?」
道のことを言っているのか? どう答えれば正解なのか全くわからない。
「こっち」
急に斎藤が動き出した。斎藤の家の方に、左側に。とりあえず、言われるままついて行った。
「そっちかぁ」
老爺がつぶやいた、と思ってそこを見たときには、もう煙草屋はなかった。
ただ、空き地に生えた仏の座が、小さく風にたなびいているだけだった。
しばらく、何が起こったか整理しようとしていた。だが、それを諦めた。気づけば、少し暗くなっていていた。
「斎藤」
「…何」
「本当にいたんだな」
「やっぱり信じてなかったんだ」
「悪い」
その日はそれでお開きになった。俺は、今来た道を戻って、家に帰った。