子供のころにゴミ収集車が大好き過ぎた ~自分の好きとは距離を置いた方が長く楽しめる気がする~
みなさん、こんにちは。
最近ちょっと調子がいい、水産加工食品のたらこですよ。
今日は憧れていた職業の話。
タイトルにもある通り、たらこはごみ収集の仕事にあこがれていました。
え? なんで?
って思われるかもしれませんね。
とりあえず、小さかった頃のたらこがどんなふうに憧れていたのかをお話したいと思います。
たらこは幼いころ、埼玉で暮らしていました。
そこそこ人が住んでいる都会よりの田舎みたいな町だったと思います。
たらこは十分都会だと思うのですが、東京の人からしたら田舎かもしれませんね。
まぁ……どっちでもいいんですけど。
その時にたらこが住んでいた町にはお家が沢山あって、近くにゴミ収集の車が良く来ていました。たらこは母にお願いしてよく見に行っていました。
ゴミを捨てに行くついでに母や弟と一緒にその様子を眺めるわけですが、たらこもごみを捨てたいとか、わがままを言った気がします。
とにかく何か捨てたくて、捨てられそうなものを探しまくった記憶もあります。
よっぽどゴミ収集車が好きだったんですねー(にがわらい
あのパワフルな姿がとってもカッコよくて、どんどんゴミ袋を放り込んでも飲み込んでいく力強さが素敵で。ごみ収集の車はたらこにとって、まるでヒーローのような存在でした。
大人になったら絶対にゴミ収集の仕事に就きたいと思っていました。
まぁ……ならなかったんですけどね(くしょう
とまぁ、子供の頃は大好きだったゴミ収集車ですが、実は今でも結構好きです。
街で見かけると立ち止まって、ごみが飲み込まれていく様子を眺めていたりします。
いいですよねぇ……ゴミ収集車。
だれか分かってくれないかな。
匂いはキツイし、きれいなものでないことは確かですけど、それでもカッコいいと思ってしまうのです。
あのグルグル回る奴がゴミを飲み込んでいく姿がたまらん。
ここまで書いてて思ったのですが、別に職業自体に憧れてたわけじゃないんですよね。
あくまでゴミ収集車がごみを回収していく様子が好きなだけであって。
なので、遠くから眺めてるのが一番かなって。
そう思います。
仕事になったら、悠長にゴミが飲み込まれていく様子を眺めたりできませんからね。
自分の「好き」を大切にするのって、大変なんだなぁと最近思います。
自分がやりたいこと、楽しいこと、嬉しいこと。
こういうことをコツコツと積み重ねて行けば、みんなが幸せになれる。
そんな風に思っていました。
でも……実際はちょっと違くて。
しがらみとか、苦労とか、悩みとか葛藤とか、そういうものが積み重なっていくばかり。
もうやめちゃおうかな、消えてしまいたいなって思ったりもしました。
でもまぁ、こうしてエッセイを書いてるんで、平常通り活動できてるんですよね。
んで、どうやってその状況を脱したかっていうと、距離を置くことにしたんですよ。
自分が今やっていることから。
なろうを続けるのって、実は結構、大変なんだと思います。
多分ですけど小説を書き続けるよりも大変かも。
一人で書く分には、多分それほど苦労はしない。
でも一人で書くのは寂しい。
感想も欲しいし、構って欲しいって思ってしまう。
そういう他人の興味を自分へ向けさせたい気持ちが大きくなりすぎて、さらにはもっと多くの評価やPVが欲しくなって、際限なく自分の欲望が膨らんでいって……。
自分自身に押しつぶされそうになっていました。
だからちょっと距離を置いた。
なろうにログインする時間を減らしたり、作品を書いても投稿しなかったり。
――エッセイを書くのをやめたり。
自分が楽しいと思えるタイミングで、楽しいと思えることだけをする。
それでいいんだって、自分に言い聞かせるようにして、自分自身を許す。
すると、次第にちょうどいいペースがつかめるようになりました。
少しずつ、少しずつ、プレッシャーから解放され、膨れ上がった承認欲求が小さくなっていくのを感じました。
距離を置いて、なろうを遠くから眺めていると、なんだかとっても楽しそうだなって思えます。自分が小説を投稿する前に、遠くから作者さんたちの姿を眺めていたあの頃に戻ったようで。
今までのたらこは「好き」を楽しもうとするあまり、視野が狭くなっていたんだと思います。
夢中になって目の前のことに取り組んでいると周りが見えなくなって、自分の「好き」を見失ってしまう。
そんな時はちょっと距離を置いて、離れた場所から眺めるようにすると、忘れていた楽しさを思い出せるかもしれないなって、そう感じました。
自分が「好き」で続けていたこと。
大好きだったのに、どういうわけか楽しくなくなってしまった。
続けるのが苦痛になった。
そんな時はちょっと距離を置いて、ぼーっと眺めて見るといいですよ。
もしかしたら忘れていた楽しさを思い出せるかもしません。