第七話 サリオス帝国
「そ、それは本当か!?」
「はい、間違いなく。我がホートリア王国は勇者様不在のまま、七魔将の一体、憤怒のサタンを倒すことに成功しました。」
ここはサリオス帝国の王城の一室。今この部屋では非公式の外交が行われていた。
現在この部屋にいるのは三名。
一人はサリオス帝国の軍を統括する元帥、ヴェルナー・フォン・グラナック。先ほど思わず叫んでしまった人物である。
一人はホートリア王国から来た外交官、サイモン・ウォルシュ。ホートリア王国で魔族を倒したことを極秘裏に伝えるために、この会見を要請した本人である。
最後の一人はサリオス帝国皇帝、クラウス・ハンネス・サリオスその人である。
サリオス帝国は大陸最大の軍事国家だ。
かつて大陸北部は小国が犇めく渾沌とした地域だった。
魔族が現れる度に幾つも国が滅び、そしてまた興る。その度に多くの血が流れた。
そんな不安定な状況に業を煮やした小国の一つが、強引に周囲の小国を合併して作ったのが今のサリオス帝国である。
魔族の脅威に対抗するために生まれた大国だけに、その軍事力は切り札たる勇者を除けば世界最大。対魔族戦の中心となる国だった。
帝国は平素から文よりも武が尊ばれる傾向にあるが、魔族との戦争が始まれば完全に軍事優先の社会体制になる。
皇帝と元帥。軍のトップ二人は、同時に帝国そのもののナンバーワンとナンバーツーだった。
そして大国のトップ二人をいきなり引っ張り出すほど、ホートリア王国の外交官が持ち込んだ情報は重大だった。
一度は国の滅亡を覚悟したホートリア王国とは逆に、たとえ勇者がいなくても人類を守り切る覚悟を決めていたサリオス帝国ではあったが、やはり魔族を倒せるのならばそれに越したことはない。
そしてまた、勇者に頼らず魔族を倒すことは、サリオス帝国の長年の悲願でもあった。
「なるほど、異世界から来た者が魔族を倒したのか。ならば、その者が勇者ではないのか?」
一般人よりは勇者に詳しい皇帝であっても、真っ先にそう疑う程度には異世界から来た勇者の伝説は有名であった。
「フローラ殿下の祈りに導かれて現れたと思われますが、異世界の青年――マサト殿は勇者ではありません。戦場に直接現れたため魔族を倒した時にも聖剣は持っておらず、その後フローラ殿下によりマサト殿が勇者ではないことを正式に確認しています。」
「すると、やはりその異世界の武器が鍵となるのか。」
「だったら話は速い。その異世界の武器と同じものを作ればよい!」
少々短絡的な元帥の発言だったが、軍事大国であるサリオス帝国は武器の開発でも優秀だった。元帥の発言はその自信の表れである。
「使用されている技術が異なり過ぎて、どれほど急いでも今回の魔族との戦いには間に合わないだろう、と言うのが我が国の宮廷理術士の見解です。」
「イングラム卿の見立てであるか。ならば間違いはあるまい。」
ホートリア王国の宮廷理術士マシュー・イングラムの名声はサリオス帝国の皇帝にまで届いていた。
「ならば異世界の武器を譲り受けて兵士に持たせるか……」
聖剣以外にも魔族を倒せる武器が存在すれば、それが聖剣のように担い手を選ばないのならば、今後の魔族との戦いはかなり有利になる。
そして新たな武器を所有すべきは、既に聖剣を独占しているホートリア王国ではなく、魔族との戦いの中心にいるサリオス帝国であるべきだ。
元帥の思考は、戦後を見据えていた。
「残念ながら、異世界の武器には攻撃回数に限りがあります。残る魔族一体につき一回で倒す必要があります。我々の知る武器とはまるで違うものであり、訓練する余裕もなく、実質的にマサト殿以外に扱える者はいません。」
しかし、帝国元帥の思惑はあえなく潰えた。
「そうなると、その異世界の者に魔族を倒してもらうしかないのか。いっそ、異世界の勇者として公表した方が早いのではないか?」
この世界では遥か古から勇者が魔族を倒してきた。勇者を支援する体制は全世界的に整っていた。
たとえ勇者でなくても、魔族と戦い魔族を倒し得る人物ならば勇者として扱った方が手っ取り早い。
「いえ、マサト殿のことは極力秘密にしていただきたいのです。異世界からやってきたマサト殿は理力を全く持たず、異世界の武器を使用しなければ新兵よりも弱いのです。万一魔族に存在が知られ、大量の魔物を嗾けられればマサト殿の命が危ないでしょう。」
「「はぁ?」」
皇帝と元帥は揃って素っ頓狂な声を上げた。
この世界では勇者は人類最強の戦力である。
魔族や魔物に特化した面はあるにしても、聖剣より膨大な理力と歴代勇者の使用した剣術の知識を与えられるのだ。対人戦であっても弱いわけではない。
今代の勇者が殺害された背景には、聖剣の能力と剣術の知識を使いこなす訓練が終わる前に、不意打ちで倒されたという事情があった。
その勇者でしか倒せない魔族を既に倒した者が、一般人並の強さしかないなどと言うことは到底考えられなかった。
「わが国ではマサト殿を守り、サポートする特別部隊を編成しました。魔物との交戦を極力避けて不意打ちで魔族を討つ方針です。帝国にもこの特別部隊の支援をお願いしたいのです。」
魔物を蹴散らして魔族に肉薄し、真正面から戦って堂々と魔族を討ち倒すのが勇者ならば、正人のための戦略は警戒されないようにこっそり近付いて不意を突く暗殺者のそれだった。
ホートリア王国の軍部はそのような方針を打ち出し、特別部隊を編成して既に訓練を開始していた。
そしてこの外交官は、皇帝と元帥が驚いている間に話を進め、ホートリア王国の方針にサリオス帝国の協力を取り付けようとしていた。なかなかにちゃっかりしていた。
「ちょっ、ちょっと待て! 異世界人が弱いというのならば、なおさら帝国軍に組み込んで組織的に守るべきであろう!」
だが、さすがにどさくさに紛れて押し通すことはできなかった。正気を取り戻した元帥に突っ込まれてしまった。
「そもそもだな、――」
「ヴェルナー!」
なおも言いつのろうとする元帥を皇帝が制した。
元帥は慌てて言おうとしていた言葉を飲み込んだ。
――勇者を守れなかったホートリア王国が、もっと弱い異世界人を守れるのか。
サリオス帝国はずっと昔から、それこそ建国当初から勇者と聖剣を自国の物としたがっていた。
勇者は魔族との戦争において最強戦力であり、戦争終結のための切り札だった。魔族と最も多く戦闘を行う帝国にとって、勇者を効率よく運用することは自軍の被害を減らす上でも重要だった。
しかしホートリア王国はサリオス帝国が誕生するよりも昔から勇者を輩出し、人類を守ってきた実績がある。しっかりとした大義名分もなしに、軍事力に物を言わせて聖剣を奪ったりすれば、他国の反発は元より帝国内部からも離反者が続出する恐れすらあった。
いくつもの小国を強引に合併吸収して出来上がった帝国の内部は決して一枚岩と言うわけではなかった。複雑に絡み合った権力構造の雑多な派閥を同じ方向に向かわせるには大義名分が重要だった。
だから、ホートリア王国内で訓練中の勇者が殺害されたという事実は、サリオス帝国に取っては千載一遇のチャンスだったはずなのだ。
戦場に送るまで勇者を守ることのできなかったホートリア王国に対して、当然サリオス帝国は聖剣の移譲を迫ると思われた。
だが、実際にはそのような交渉は行われなかった。
理由は単純だ。
勇者を殺した男、マックス・フォン・フォーテンはサリオス帝国の貴族の子息であった。
単なる平民ではなく、他国にも名の知れた帝国貴族、それも有力な勇者候補として大々的に送り出したその男が、選りにも選って勇者殺しをやらかしたのだ。
勇者を守れなかったホートリア王国の失態がかすんでしまうほどの醜態であった。
「分かった。サリオス帝国は異世界の者の存在を可能な限り秘匿し、ホートリア王国の魔族討伐に全面的に協力しよう。」
皇帝は決断を下した。
「ヴェルナー、ホートリア王国軍の特別部隊と連携を取るための部署を新設せよ。諜報部を使ってよいから機密を厳守、その上で完璧に支援して見せよ。」
「ハッ! どのみち最初の相手は我が国に攻めてきた強欲のマモンでありましょう、目にもの見せてくれましょう!」
方針が決まれば、多少の不平不満は横において、一気に動くのがサリオス帝国だった。
「なお、マサト殿は民間の協力者と言う扱いで、軍には属しておりません。少しでも無理だと感じたら、マサト殿の安全を最優先にして撤退するのが特別部隊の基本方針になります。」
「エドモンドめ、相変わらず甘いことを……」
エドモンドとは、エドモンド・ホートリア。ホートリア王国の国王のことである。国のトップ同士面識があった。
「いや、甘いのは我々の方か。いつまでも勇者に頼りきりだから今回のような事態になったというのに、勇者の代わりに異世界の者に頼ってどうする。我々にできないことを関係のない異世界の者にやってもらうのだ、我々に可能なことは全力でやり遂げよ!」
「御意に!」
こうして、ホートリア王国はサリオス帝国の全面的な協力を得た。
ホートリア王国の外交官は、他にも主要な国を飛び回り、同様に協力を取り付けて行った。
勇者の死と言う絶望によって瓦解の兆しを見せていた人類各国の結束は、微かな希望によってかろうじて繋ぎ止められたのだった。