第四話 勇者に非ず
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「これが七魔将、憤怒のサタンですか。大きいですな。」
宰相デビッド・オークスは魔族の屍を見て感嘆した。
直接戦っている兵士ならばともかく、主に内政を担当する文官が魔族を見る機会はそうそうない。あるとすれば国が亡びる時である。
もっとも、最前線で戦っている兵士であっても、魔族を間近で見る機会は多くない。魔族を至近距離で見た者は、だいたいが死んでいるからだ。
だから王都に向かう軍行中も、暇があれば七魔将の死骸を見に来る兵士は後を絶たなかった。
「さて、急いで検分するするかの。魔力を封じる結界を張っているとはいえ、いつまでも持つものでもないじゃろうしな。」
宮廷理術士マシュー・イングラムは彼の弟子たちを引き連れて魔族の死体を調べ始めた。
予め役割分担をしてあったのか、テキパキと作業は進んで行く。ある者は死体の各所の大きさを測り、またある者はその姿を絵に描き写す。
彼らが急ぐのには理由がある。それは魔族や魔物の身体の持つ特性が関係していた。
魔物は死ぬと、時間と共に形を失い、最終的には塵となって消えてしまう。魔物を生み出した魔族もまた同じ性質を持っていると伝わっていた。
魔物や魔族の死体は長く原形を留めることが無いのだ。
魔力によって身体を維持している魔族や魔物は、死んで魔力が体内から抜けきってしまうとその身体を維持できなくなるためと考えられていた。
魔族は魔物に比べて多量の魔力をその身体に蓄えている。また、理術兵として従軍した理術士が、魔力の放散を防ぐ結界を張ったことでここまで魔族の死体は形を保っていた。
しかし、それがいつまで持つかは分からない。
過去の歴史においても、魔族の死体が研究者の手に届けられたことは皆無だった。聖剣でバッサリ斬られた魔族は損壊も激しく、短い時間で死体が消えてしまうからだ。
この歴史的な快挙に対して、イングラム老は燃えていた。そろそろ引退がささやかれる年齢であるにもかかわらず、若い理術士と共に張り切っていた。子供のようにはしゃいでいたと評する者もいた。
宮廷理術士は、戦場で戦う軍の理術兵とは異なり、研究職の色合いが強い。千載一遇のこの機会を逃す気はなかった。
「ふむ、これがあの武器で攻撃した痕じゃな。孔は小さいが、深いようじゃな。どれ?」
イングラム老は、魔族の頭部に開いた孔に迷うことなく指を突っ込んだ。
「頭蓋骨を貫通しておる。これが致命傷じゃな。」
さらに頭部の反対側に孔が無いことを確認する。
「さすがに突き抜けてはおらぬようじゃな。すると、先ほど見たあの弾はまだこの中にあるのか。」
この世界の人々にとっては聖剣無しで魔族を傷付けるというだけで驚愕する出来事だが、正人が聞けば至近距離で.30カービン弾を受けて貫通しきらなかった頭蓋骨の丈夫さに驚いたかもしれない。
「……胸に二ヵ所、肩に一ヵ所、腹に一ヵ所。ふむ、腹部は貫通しておるな。骨に当たらなかったせいかの。」
そうこうするうちに、弟子たちの作業も順調に進み、結果の報告が次々に上がってきた。
予定していた調査が一通り終わったことを確認したイングラム老は次の指示を出す。
「これより、魔力封じの結界を解除する。準備を始めい!」
弟子たちとこの場の警備を行っていた兵士が魔族の死体から距離を取った。
強い魔力は人体に有害だ。死してなお魔力を振りまく魔族の死体を、人の多い場所に長いこと留め置くことはできない。検分が終わったところで処分することはあらかじめ決まっていた。
「魔力封じの結界、解除します。」
弟子の一人が、死体から放出される魔力を封じていた結界を解除する。イングラム老の弟子もまた高度な理術を操る理術士である。
結界で封じてもなお漏れ出ていた魔力が、結界が解かれたことで一気に増大する。
溢れ出る魔力をイングラム老を含む理術士全員の理術で中和していく。
すると、魔族の死体に変化が現れた。
先ほどまでは生前と変わらぬ姿を保っていたのに、急速に干からび、ひび割れ、端から崩れて行った。
「ふう、死してなおこれほどの魔力を発するとは。さすがは魔族じゃの。」
魔力の放出が完全に止まったところで、イングラム老は死体のあった場所に歩み寄った。
そこには魔族の変じた塵の山と、その中に塵と化さなかったいくつのか塊があった。
「角と骨の一部が残ったか。記録の通りじゃの。」
魔族や魔物は死ぬと塵となって消える。その際に体の一部が消えずに残ることがあった。この魔族、憤怒のサタンの場合、額から延びた角と、腕の骨の一部が消えずに残っていた。
そして今回はもう一つ。
研究用に丁寧に集められた塵の中から現れた小さな金属の塊。
「これか……。随分と潰れておるが、確かに見せてもらった弾に似ておるな。」
それは正人が撃ち込んだ銃弾だった。魔族の体内に埋まっていたものが、肉体の消滅に伴い出てきたのだ。
「しかし、いくら速く飛ばしたとしても、ただの金属の弾で魔族に通用するものじゃろうか?」
歴史上、魔族に対して飛び道具を試したことは幾度もあるのだ。その中には銃弾ほどではなくても、目にもとまらぬほどの速さで投げつけられたものも存在した。そしてその全ては魔族を傷付けるには至らなかった。
「そう言えば、貫通した一個は戦場のどこかに落ちているはずじゃな。人を遣って探させるかの。」
広い戦場の中から小さな銃弾一個を探し出すという、途方もなく面倒な仕事が生まれた瞬間だった。
◇◇◇
夜、夕食も終えた後に俺は呼び出されていた。
相手は姫様と宰相さんだ。
二人に案内されて、王城の中を歩く。
俺の宿泊用にあてがわれた部屋の辺りとは同じ建物内とは思えないほどに複雑に入り組んだ通路を長々と歩いて行く。
「どうぞ、こちらです。」
そしてたどり着いた小部屋の中にあったのは、一振りの剣。
「これが……、聖剣ですか?」
迷路のような通路を抜け、特殊な鍵を使わなければ開かない扉の向こうにあったのは、勇者のみが使えるという聖剣。そう説明されていた。
「はい。どうぞ手に取って確かめてください。」
姫様に促されて、俺はその剣を手に取る。
重い。
拳銃とはまた違った重みがある。
俺は柄頭に宝石のようなものが埋め込まれた柄を握り、美しい意匠が凝らされた鞘から剣を引き抜いた。
「……抜けた。」
担い手を選ぶ聖剣という話だったから、勇者でなければ抜くことはできないのかと思ったら、聖剣はあっさりと鞘から抜くことができた。
薄暗い部屋の中、理力によって光るという不思議な照明の明かりを受けて、その剣は鈍く輝いた。
しかし――
「やはり、駄目だったようですな。」
宰相さんが嘆息する。
聖剣が抜けただけでは勇者とは呼ばれないらしい。
「勇者様が聖剣を抜いた場合、聖剣の持つ聖なる理力が勇者様を包み、聖剣と勇者様が光り輝きます。少なくとも最初の一回はその現象が起こります。」
剣は照明の光を反射しているだけで、自ら輝く様子はなかった。
「聖剣に選ばれた勇者様は、その時に聖剣の能力の使い方と剣の扱い方を知識として与えられるそうです。実際に、当代の勇者クリストファー様は剣を握ったこともなかった農家の出身でしたが、聖剣を手にしたその日から最低限の剣技を扱えるようになっていました。」
死亡したという勇者はクリストファーと言うらしい。
そして俺には聖剣の能力とやらも、剣の振り方もさっぱりわからない。
「やはり俺は勇者ではなかったということか……」
「はい。そのことがはっきりしました。御足労ありがとうございました。」
勇者の不在はこの世界の人にとっては悪いニュースだろう。一度失われた勇者は二度と補充されない可能性がより高まったのだ。
しかし、姫様はむしろさっぱりした顔でそう言った。開き直ったのかもしれない。
一方で、俺にとってこの結果は吉と出るか凶と出るか。
少なくとも俺が勇者となって魔王と戦うなんて未来は無くなった。
けれども、俺が拳銃を手に魔族と戦う可能性は残っている。勇者の力無しでだ。
たぶん拒否することはできると思う。断り切れるかは分からないけど。俺が戦う訓練を受けたこともないのは事実だし、拳銃だけ貸して魔族を倒してもらう方法もある。
しかし、それで魔族に勝てなければ、じわじわと滅びるこの世界の人類と運命を共にすることになりかねない。
元の世界に帰れなかったとしても、魔族を倒した英雄としてそれなりの生活を保障してくれると言われている。けれども国が滅びてしまえば、人類そのものが滅びてしまえば、そんな待遇がいつまで続くか分かったものではない。
さて、どうするべきか。