変な男
一応続く予定です。続編も余裕があれば書くかもしれません。辛口でも構いません。どうか感想をお聞かせください。
朝は優雅でありたい。
アラベスクのカーテンを開けて、日光を部屋に招くところから1日は始まる。
歯を磨き、顔を洗ったあとはコーヒーブレイクの時間だ。マンデリンとコロンビアのコーヒー豆をブレンド。砂糖もミルクもいれない。蜂蜜を数滴入れるのがポイントだ。
TVは点けず、足を組み、壁に貼られたカレンダーから斜角39度の方向に膝を向けて座る。
マグカップを片手に、いつものようにグルメ雑誌「たいらげる」を読んでいたところ、私は巻末にあった求人掲載に目を引かれた。
「助手募集中」
書かれている内容はそれだけだった。あとはその右下に小さく電話番号が載せられているだけだった。
大学1年の夏休み、とくに目標もなく暇を持て余していた私は、明らかに怪しいその5文字の提案に乗ってしまったのだ。
今になってみれば、それはとんだ酔狂であった。
「電話、かけてみるか。」
2杯目のコーヒーを淹れながら電話をかけてみると、相手はすぐに出た。が、一向に声がしない。
「もしもし、空木と申します。雑誌の求人掲載を拝見してお電話させていただいたのですが。」
応答の気配はない、沈黙が続く。
「あの」
痺れを切らして口を開きかけた瞬間、男の声が鼓膜を震わせた。
「君が初めてだよ。これだけの沈黙に耐えたのは。」
無作法で、下品ではあるが、芯は通っている。そんな声色だった。
男はそれから、住所と日付、時刻を伝えて、
「長旅になるよ。」
とだけ言い残し、一方的に電話を切ってしまった。
「何だったんだ、あのおっさん。ってか熊本って、ここ埼玉だぞ。」
うんざりしてふと天井に目をやると、シミが一つ増えているのに気がついた。私は諦めて荷造りに取り掛かった。
日本の南端、九州は熊本。電車に揺られること約1200km。9時間ほどで電車は仕事を終えた。
「暑い」
どうやら今日は猛暑のようで、駅に降りた瞬間、焼けるような熱気を感じた。身体はとっくに融点に達している。
「駅にいるって言ってたけどな。今思えば名前も知らねえし、どうすんだよこれ。」
周りを見渡しても、これだけの人の往来から、あの電話の主を嗅ぎ分けることなど到底できそうにない。
途方に暮れながら、身体に纏わりつく不快な熱気をじっくりと堪能する。首筋を走る汗でさえ意識してしまうほどに、頭が留守になっている。記憶の本棚を探ってみても、かつてこれほどまでの拷問は無かったはずだ。茫然自失としていると、
「君が電話の少年かな。」
後ろから、聞き覚えのある声がした。振り返ってみると、そこには40代前半といったところであろうか、ベレー帽を被った男が立っていた。身長は180cmあるだろうか、そのくらいで、痩せてはいない。太っているようにも見えないが、中身はずっしりとしていそうだ。それとなく密度を感じさせるナリをしている。
「空木です。先日お電話させていただいた者です。これからお世話になります。ええっと。。。」
「ああ、そういえば名乗ってなかったな。三上だ。これからよろしく頼む。」
こちらも、会釈をして返した。
「まずは飯だな。ラーメンは好きか。」
「ええ、まあ、それなりには。」
「そうか、美味そうなところを見つけたんだ。腹が減っては戦は出来ぬっていうだろ、まずは飯だ。話はそれからだ。」
この男を信じてもいいのだろうか。私が抱えていた荷物が多かったとはいえ、特徴としてはあまりにありふれている。にも関わらずこの三上という男には、私が電話の主であるということがわかっていた。この人混みの中から1人を嗅ぎ分けたのだ。
表面上は気のいいおっさんといった感じだが、腹の中じゃ何を考えているのか、この男は読めない。私は、三上という男が恐ろしくなった。
三上に連れられて、ラーメン屋で腹ごしらえを済ませたあと、私達はまた電車に乗った。ラーメンはそこそこに美味しかった。
三上の話によると、彼はとある記事を書いているらしく、それもオカルト中心で、それらしいネタを聞きつけてはこうして情報収集に出向くのだとか。そのときに、助手がいれば何かと便利だろうと思い、雑誌の巻末に掲載させてもらおうと頼み込んだらしいのだが、あれではあまりにも説明不足だろうとツッコみたくなったが、まあやめておいた。
それからしばらく揺られたが、行けども行けども、緑が深くなっていく。いったいどこに向かうのかと聞いても、いいからいいから、とはぐらかされた。
計30分ほどで私たちは目的地に辿り着いた。地に足をつけると、そこはもう駅前とは打って変わって、周りは自然に囲まれた場所だった。
「ここに、集落がある。どうもここ最近、不可解な死を遂げる住民が相次いでいるらしい。ここまで言えばわかるだろう。ここを調査する。といっても、直接的に聞くのはまずい。事件性があるかどうかもわからない状態で、住民に向かって死んだ人達の死因を探ろうとするのはマナーがなってないよな。だがまあ俺は、この一連の騒動に事件性があると睨んでる。なんでも、そこの集落じゃあ、名前はよく覚えてないが、ある神様を祀ってるらしい。集落のお偉いさん方は警察に対しても神様の祟りだなんだの一点張り。1番奇妙なのは、事件を裏付けさせる痕跡が死体の発見場所周辺には全く残されていなかったってことだ。こりゃ警察も手を焼くわけだ。」
ふと気になったことを尋ねる。
「三上さん、探偵か何かなんですか。」
すると、三上は急に笑い出した。汚物が歯軋りをしているような笑い声だ。
「はは。んな大層なもんじゃねえよ。ただのしがないライターさ。まあ、ちいとばかし活動的ではあるがな。」
「あの、もう一つだけお聞きしてもいいですか。」
三上はすっと真顔に戻って、私を促した。
「あの、どうして三上さんは、僕が電話の相手だってわかったんですか。」
三上は一瞬で笑顔をつくると、さも得意げな顔をして、軽快に語り出した。
「羊飼いのカルディの話は知ってるかい。コーヒーの起源にまつわるお話さ。」
「ええ、知っています。コーヒーの実を食べて興奮した羊達を見たカルディが、試しにその赤い実を食べてみたところ、確かに活力がみなぎるのを感じ、通りかかった僧侶に勧めたのがきっかけで広まったというお話ですよね。それが、何か。」
「やっぱり詳しいね。時に空木君。君のリュックに入ってる“Kaldi“という刺繍、そのカルディからとってるんじゃないかい。余程のコーヒー好きと見える。一目でわかったよ。」
この男の観察眼には驚かされる。例え”Kaldi“の横文字を目にしたところで、そこからコーヒーまで連想させられる人間がどれだけいようものか。
「確かに、私はコーヒーを敬愛しています。しかし、たったそれだけの事実で僕が電話の相手であるとわかったなんて言いませんよね。」
そうだ。コーヒー好きだから電話の相手が私であるというのは論理としてあまりに乱暴すぎる。とてもじゃないが、強い根拠とは思えない。
「コーヒーミル」
三上が何かを呟いた。
「え?」
「君、私と電話してるとき、電動のコーヒーミルでコーヒー淹れてただろう。まさか通話中にコーヒー淹れるなんて思わなかったからさ、面白くて思わず聞き入っちゃったよ。多分私も同じの持ってる。うるさいから音でわかったよ。まあ、あとは学生の男の子って感じだったし、適当に声かけたら君だったってだけだよ。探偵みたいな美しいロジックなんて無いんだけどね。どうだい、これで満足かな。」
「そんなの、めちゃくちゃだ。」
また三上は笑った。
少し歩くと、すぐにその集落は見えてきた。山間に位置するその集落は、茅葺き屋根の大きな民家が群立した、長閑な集落だった。民家はどれも立派なもので、見入ってしまうほどだったが、まだ昼下がりだというのに、やけに人気が無いのが異様だった。
「ごめんください」
5件ほど訪ねたあたりで、ようやく住民が出てきた。
「どちら様で」
ぶっきらぼうな口調で、1枚の引き戸から顔を出したのは、1人の男だった。三上よりも歳は上だろう。50は下らないといった感じだ。
「突然すみません、私、とある記事を書いております。三上と申します。」
男の表情は私達を受け入れる者のそれでは無い。確実に怪しんでいる。無理もない話だが。
「それにしても素晴らしいところですね。風景も美しくて、名産の西瓜や柘榴が有名ですよね。その辺りも含めて、この土地の魅力を是非お聞かせ願いたく思いまして。。特に、ここら一帯で祀っている神様のことなんかも、詳しく聞かせてはいただけませんか。」
住民の怪訝な表情は変わらない。目さえ合わせるつもりは無いようだ。
すると、急に男が口を開いた。
「よくいるんですよ。ここいらは限界集落だなんだと持ち上げて、それにかこつけてここのことを面白おかしく取り扱う奴らがね。あなたもその1人でしょう。あなたの書いている記事も大概、信用ならんだろう。」
散々な言われようだが、三上が顔を曇らせることはない。それどころか、愛想のいい笑顔を絶えず振りまいている。
「ええ、皆さんそうおっしゃいますがね、私の見てくれからして胡散臭いのは自覚していることです。ただ、私がやっていること、どうやらそこらの真似事とは違うようでして。」
一息置いて、三上の表情が引き締まった。そして、細い目を見開いて言った。
「今まで、本物を見てきましたから。」
これまで目を合わせようともしなかった男が、初めて三上を見据えた瞬間であった。
すると、男は表情さえ変えたという訳ではないものの、
「立ち話もなんです。どうぞ入ってください。」
と言って家の中に入れてくれた。天井は高く吹き抜けていて、開放感のある建物だった。大きな支柱のようなものがが中心に一本どっしりと立てられていて、思わず感嘆の息をもらしてしまう。
そのまま囲炉裏のある居間のような部屋に通され、座らされた。
最初は名産品やこの辺りの歴史なんかについて聞いていたが、次第にその話題は本題に傾いていった。
「そういえば、ここら一帯で祀られている神様がおられると聞いたのですが。」
三上は、続けて言った。
「この地にまつわる、伝承、伝説。それについて、お聞きしたいのです。まあ、伝説というのは、少し大袈裟でしたかな。」
男は口を開くつもりは無いようだ。
「どうやら、そんなことも無いようですね。」
三上は、横の壁にかけられた掛け軸にわざとらしく目をやって、そう言った。あれはなんだろうか。一言で言うと、鬼だ。鬼なのだが、角がない。その鬼のような化け物が、数人の子供達を追いかけ回している。そんな絵が描かれた掛け軸だ。見ているだけで引き込まれるようだ。すると、掛け軸の隅の方に「わかたけさま」と血のように赤い文字で書かれているのを見つけた。
その瞬間、
「その掛け軸が何か?」
その反応はとても早かった。男の目つきががらりと変わった。民家に住む男は、殺気さえこもっているような視線を隠すことなく、三上に問いをぶつけた。
これはまずい。恐らく、三上は踏み込んでは行けないところまで踏み込もうとしている。
「これは失敬。仕事柄の癖でして。興味があるものはどうしても無視できない質なんです。お気に障ったのであればすみません。ああそれから、つまらないものですが。」
そう言って三上は、さっきまで片手にぶら下げていた紙袋を男に手渡した。その紙袋には「カステラ」と書かれている。
「お邪魔してすみませんでした。よければまたお話を聞かせてください。」
「はあ。」
男は呆れているようにも見えたが、撥ね付けるような真似はしなかった。男の目つきは幾分か和らいだような気がした。
民家を出ると、三上は囁くように言った。
「この家には、いや、この集落には、絶対に何かある。」
そう言うと、三上は立ち尽くす私に構うことなく歩き出した。
三上。読めない男だ。一体、この男には何が見えているのだろうか。
いつの間にか、この男の背中について行くことに不審感を覚えなくなっている私が、そこにはいた。