四月のある日(詩) 心のささくれ~特別編~
四月のある日
幼き頃、見た姿はおじさんとおばさんの結婚式で
ちょっぴり茶目っ気のある
素敵なおじさん
薄らの記憶の中で
誇らしげな笑顔がある
その笑顔を見たのはいつの日か
優しい温かい面影を思いだす
冗談まじりのはにかんだ表情に
安堵と癒しを感じつつ
大丈夫と肩を押されるような
妹の結婚式
病の進むおじさんは
変わらぬ笑顔でやって来た
時に少しだけ見せる表情の翳りに
ぼくはふいに思いださされる
戸惑いながら笑顔で取り繕うおじさんに
「まあまあ」と、ぼくは笑いながらおじさんの前に立つ
おじさんは一瞬だけ、怒気をみなぎらせたのち
温和な表情になって
大人になったね
と言ってくれた
変わっていく自分に
どうしようもない自分に
おじさんはなにを思い考えただろう
ぼくはしばらく会っていない
おばさんや父や母に近況を聞く度
そうか、そうなんだと
日に日に
少しずつ
忘れる
思い出と記憶
抱いていくものはあるのだろうか
日に日に
少しずつ
生きる
苦しみ、喜び、怒り、悲しみ・・・恐怖さえも
砂のように零れ落ちていく
おじさんとの別れを聞いた時
その場にいけない自分と
この世界の現状に
憤りを感じる
分かってる・・・分かってる・・・けど
こんなのってないよな
どうしようもないではおさまらない
モヤモヤとした思い
ありがとう
安らかに
思いだけじゃ
ちょっぴり涙がこぼれる
仕方ないと言い聞かせる
仕方なくないなと心の声が返る
鬱屈とした気持ちが澱のように重なる
分かってる
分かってる
分かってるよ
知ってる
知ってるって
頭で納得している
心は理解してない
こうでなければ
ちょっと前なら
そうだろ
四月の曇りから雨の日
うそだぴょーんといつもように書けたらいいな
心のささくれ~特別編~
おじさんが亡くなった。
長きに渡る闘病生活でしっかり生き抜いた人だった。
仕事中の私に妹から電話が入る。
おじさんが亡くなったこと、今は両親がそちらに向かっていること。
通夜や葬儀は行われるが、本当に身近な人達だけ参加する手筈だということを告げられた。
私は電話を切ると、空いた時間に奥さんにメールを送る。
それから淡々と仕事をこなした。
仕事が終わり家に帰ると、母へ電話する。
私たちの住むところから、おじさん家までは離れていない。
行こうと思えば会いに行ける距離だ。
「ああ、聞いたよ」
「うん」
母は落ち着いた声で返した。
前々からおじさんの容体は知っていたので覚悟はしていたのだろう。
「俺たち、明日、休みだから行けるよ」
まず思いを伝える。
「うん、でも近い人たちだけでするけん・・・線香ぐらいはね~ばってん、よかよ!お姉ちゃん(おっちゃんの奥さん)が心配するけん。よか、あんたたちは私たちが立て替えて香典ば送っとくけん。落ち着いたら、線香ばあげにこんね」
「お前たちはやめとけ」
母の声に混じり父の声もする。
「そう、わかった」
私は憤りを感じつつ電話を切った。
ここ数日、福岡筑後地方のコロナ感染者の方々は増加している。
おばちゃんには、そういう配慮がある。
おっちゃんに近いみんなは、それぞれ年をとっている。
罹るリスクもうつすリスクもあるのだ。
苦渋の思いに違いない。
密を避ける。
リスクを抑える。
急増する現状に他人事ではない危機感。
なんて世の中だろう。
お別れも出来ないなんて。
憤りに怒りも感じる。
そう、そうなんだ。
これが、今の世の中なんだ。
正直、書こうかどうか迷ったけど、今こうして投稿している以上は書くべきだと判断した。
おっちゃんはどう思うかな。
こうやって書くことで振り返るし考えるし思いもある。
だから、大目にみてくださいね。
ありがとうございます。