終節 蓮想華
コツコツと響く靴音が階段の中を高らかに駆けていた。
工藤華蓮はそんな自分の足音に少し心を踊らせて鼻歌を歌っていた。
「少し気持ちが高なるわ。」
華蓮はそうポツリと呟いた。
靴音が高く響くという理由の他、先程の克樹の告白が華蓮の胸の奥を叩いている。
「どうしてかしら。」
華蓮は自分がまさか克樹に告白されるだなんて思ってもいなかった。
そして自分がその告白に対して胸が高鳴り、受容してしまうなんて本当に思っていなかった。
そのことについて、小さくため息を付いて頭を抱えた。
「あぁ。本当にどうしてかしら。」
華蓮は歩くのを辞め、壁に背中を付けたまま、登りきった階段の踊り場に座り込んだ。
克樹は本当に良い人だ。
自分が色々と迷惑を掛けているのにも関わらず、紳士的に優しく自分を支えてくれている。
そして何も出来ない自分を咎めることも責めることも、なければ罵声を浴びせることもない、本当に彼は優れて、優しい幼馴染みだと思う。
ただそんな彼を彼氏にしたい、結婚したいと思ったことも無ければ、意識すらしたことがなかった。
そんな彼に抱きしめられ、胸が高鳴る。
本当に意味が分からない。
抱きしめられたときの彼のガッチリとした体に包まれ、二の腕に軽く押し込まれた硬くゴツゴツとした彼の指の感覚がほのかに残る。
「好き...なのかな。」
高鳴る自分の胸の原因が彼に対する恋心なのか?と少し疑問に思いながら彼女はまた小さくため息をついた。
そのころ佐藤克樹はクラスの話題、兼おもちゃになっていた。
「おめでとう!克樹!!」
流瑠はにやにやしながら拍子抜けした克樹の背中をなかなかの強さでぶっ叩きながらそう言った。
「痛った!!!」
克樹はそんな彼女の攻撃とも取れるスキンシップのおかげか、ようやく我に返った。
「やるじゃん!!」
「やっぱお前ら出来てたのか〜」
「ウケる〜」
クラスメイトたちは克樹をそう言って嘲笑うかの様にそう野次を飛ばす。
「う、うるせぇな!!」
克樹はいつもなら冷静に返せそうな言葉の矢も同様のせいか、火に油を注ぐかのような反応しか出来なかった。
揺れ動き、湧き上がったクラスも授業始業のチャイムと先生の入室には抗うことが出来ない様子で、一気に静まり返った。
立ち上がっていた生徒は席に座り、克樹の背中を強打した流瑠も大人しく席に座る。
「佐藤。お前も早く席に座れ。」
既に教卓の前に立っていた山本先生は廊下で取り残された克樹を鋭い眼差しで睨み、低く冷たい声でそう言った。
「え、あ。はい...。」
克樹はそう小さく言ってトボトボと席に歩いていった。
「おい佐藤。工藤は?」
次に山本先生は克樹にそう投げた。
その言葉は先程と変わらず低く冷たいように感じるが、どこか優しさを帯びているよな、そんな声だった。
「いえ、、、あの、、、分かりません。」
山本先生の圧と先程の告白、そしてその事による気まずさに似た照れくさい感情を交じ合わせた様な妙な感覚が彼を襲うせいか、彼は緊張にまみれ、上手く話せなかった。いや、頭が正常に回らなかった。
「おいおい新郎さんやい。それはないんじゃない?」
そんな克樹に流瑠がバカにしたよな、冗談を混ぜたようななめた口調でそう言葉を発した。
彼女の顔をみると口角が頬に付くかのように上がりニタニタと笑っていた。その顔からは明らかに悪意を感じる。おまけに彼女の言葉をトリガーにクラス内はまた先程の空気に戻り、克樹の耳を小さな笑い声がくすぐった。
「まぁいい。いつものことだ。本来なら家庭学習期間にあるお前らを呼び出したのは他でもない。明日。3月1日の金曜日はお前らにとって最期の学校。卒業式だ。そこで、だ。その注意事項を説明しなきゃならん。それがお前らを呼び出した理由だ。いいな?」
山本先生は地響きが鳴りそうな低い声でそう言った。
クラス全体に響き渡らせるためには仕方のないことだとは思うがあまりにも大きすぎる。
その上、山本先生の容姿は熊と瓜二つだ。身長は190㎝を超え、肩幅は教室の入口にギリギリ入るかと思わせるほど広い。若い頃は柔道部だったようで両耳にはしっかりと餃子のようなデキモノがある。
そんな恐ろしい容姿の先生が大きな声で説明をしている。山本先生は厳しいが優しい。それはクラスメイト全員が知っている。しかし怖いものは怖い。怒らせてはいけないという暗黙の掟に緊張し、クラス全体がビクビクしていた。
そんな中だった。
「あ!山本先生!」
華蓮はそう元気ハツラツと教室のドアをガラッと開け、その上スキップをしながら教室に入ってきた。
「先生、先生ってホント大きいですよね〜。」
華蓮は山本先生の右隣りに行き、山本先生の顔を見上げた。
「おい。工藤。」
「はい何ですか?」
「お前、何をやっている?」
「先生の隣に立っています。」
華蓮と山本先生の会話。
クラス全員が思わず固唾を飲んだのは必然で、その上冷や汗までもダラダラ全身から流していた。
流暢に跳ね上がりそうな調子で話す華蓮の口調はただでさえ低い山本先生の声を更に低くし、すごみを入り混じらせた。
「工藤。もういい。座れ。明日の卒業式の話をするぞ。」
山本先生は軽くため息をついて華蓮に席に座るよう指示をした。
華蓮はーいと言ってスタスタと席に座った。
一体彼女は何を考えているのだろうか。
クラス全体がそう思った。
「やり直す。明日。3月1日の卒業式だが、、、」
山本先生がそう口にした瞬間、華蓮は勢いよく席から立ち上がった。
彼女がガタッと立てた椅子と床がぶつかる音は山本先生の声より遥かに大きかった。
そして彼女の目をみてクラスメイトは言葉を失った。
「おい、、華蓮、、?」
克樹も華蓮の顔を見る。最初こそどうしたんだよとからかうつもりだったが、彼もまた、彼女の顔を見て言葉を失った。
彼女は目を見開き、瞳は曇り一つ無く、澄んでいる。なのにどこを見ているか分からない。
しかしみんなはそれに言葉を失ったのではない。
彼女のその瞳からツーーっと流れ落ちる涙を見て言葉を失ったのだ。
「ごめん...なさい。」
華蓮は小さくそう言って教室を飛び出していった。
後から克樹と山本先生も急いで彼女を追いかけるが、彼らが教室を出た頃には華蓮はもう姿を消していた。
「今日は3月1日。」
華蓮は帰路を歩きながらそうポツリと呟いた。
その言葉には生気はほとんど感じられず、もぬけの殻だった。
彼女は、教室を飛び出した後、歩いて家まで帰っていた。
彼女の目に映る景色は家・植物・空・動物さえも全てモノクロに見えている。
だが、色合いから今の大体の時間が分かる。
「今は大体お昼頃かしら。卒業式も終わって、今日は疲れたわ。」
彼女は今朝早起きし、朝食を作り、克樹と最期の登校をして卒業式を迎え、下校間際に彼からの告白があり、それを受け入れた。今はその帰り道。本当に多忙な一日であった。そうしみじみと感じていた。
「あら。もう家に着いたわ。」
華蓮はそう考えているうちに家に到着していた。
「おかえりなさい。」
華蓮が玄関のドアをガラッと開けると、華蓮のただいまの言葉より先に、咲の声が玄関に響いた。
「早かったわね。」
「うん。今日は卒業式だったから。」
「そうなんだ。でも荷物少なく感じるわ。」
「うん。だって卒業式だから。」
「そうなんだね。」
咲と華蓮は淡々と会話を進めていた。特に言葉に踊躍がある訳でも無ければ、メリハリもない。家族同士の雑談。といった感じだ。
「克樹くんは高校卒業したら何処に行くのかしら。」
「知らない。」
「私は知ってるわ。克樹くん近くの国立大学行くそうよ。」
「そうなんだ。」
「克樹くん本当に頑張ったんだわ。元々勉強が得意じゃ無かったもの。」
「そうだね。」
「きっと克樹くんの彼女やお嫁さんになる人は幸せだわ。」
損言葉に華蓮の胸はトクンと疼いた。
落ち着いていたはずの心臓は急に駆け足になった。
額には少しの汗が滲んで顔が熱くなるのを感じる。
「ごめん咲。もう寝るね。」
華蓮は高鳴る胸の音を耳で感じ、ゴクリと固唾を飲んで私室まで駆けた。
勢いよくドアを開け、勢いよくベッドに飛び込む。
机上に置いてあった熊のぬいぐるみを一瞬見て彼女は瞳を閉じた。
「うるさいわ。」
彼女はそう発言し、目を開いた。
窓から外の光が差し込み彼女の部屋を灰色に明るく染めていた。
「今日は卒業式。随分と長い夢を見ていたわ。」
彼女はそう言って体を起こした。
時計の針は6時0分を指していた。