そして時は動き出す 第25話
「クソっ…」
騒然とする屋敷を走るリムの口から零れる言葉は、短く、そのどれもが自分に対する腹立たしさだった。弱い自分への苛立ちに対する、悔しさが言葉を零させていた。
「《ベリオーズ》…じゃない!!《ケイ》だ!!《ケイ》まで屋敷に侵入してきたぞ!!」
後ろから聞こえる怒鳴り声に今度はため息。
「烈火、任した」
「!はぁ?!なんだよ、俺一人で片せってわけか?!」
やる気がない。とふざけた理由で戦いを放棄するリムに、烈火がふざけるなよと声を荒げる。が、有無を言わさぬ、女王様のようなリムは、「任した」と口で良いながら、行け。と後ろを指差した。
それに、拳をわなわな震わせながらも、ため息とともに諦める烈火は、愛用の槍を片手に、立ち止まると振り返り、女王様の言いつけ通り、追っ手を足止めするのだった。
「リム、どうしちゃったの?」
精神の乱れが魔力の乱れにつながり、氷華は隣で心を取り乱しているリムを心配そうに見上げた。どうしたのかは、分かっているが、聞かずにはいられなかったから…。
行く手を阻むボディーガード達をなぎ払いながら、リムは「なんでもない」と口にする。分かってるんだろ?っと苦笑を見せながら。
(フェンデル・ケイって、リムの中では本当に大きな存在なんだね…)
他者から名前が出ただけで、この取り乱しよう。氷華はリムの過去を聞いたからその理由が分かる。分かるから、物悲しくなるのだ…。
心の平静を取り戻せないまま、リムは走った。今、自分の成すべき事を、果たす為に。
「ミルク!!」
微弱ながらも感じるお嬢様の魔力を辿り、館の一室のドアを力任せに蹴破ると、そのまま剣を構えて襲撃に備える。
「リム!!」
部屋に入るなり、自分に飛びついてくるのは、小さなドラゴン、シーザだった。
辺りを見回せば、予想に反して、部屋にいる屋敷のボディーガードは帝一人。
ミルクの驚いた顔に、リムはホッとすると同時に、彼女を裏切ったという事実を思い出した。傷ついていた少女に追い討ちをかけた自分の存在を、彼女がよく思っているわけはない。
ミルクにかける言葉が、見つからないのは罪悪感のせい。
「ミルク、あの…」
「《ベリオーズ》、怪我は無い?」
帝から身を離し、自分に近付いてくる少女の姿に、驚きを隠せない。ミルクの表情には、安堵が浮かんでいて、決して自分に向けられることのない表情だと思っていたから…。
「《アイト》も、怪我は無いみたいね。…よかった」
リムの隣で戸惑いを隠せない氷華に、花が綻ぶような笑顔を向けるミルク。
一体彼女に何があったのだろう?これが、あの傷つき、裏切りに怯えていた少女なのだろうか?
「…ミルク…私……俺を…恨んでいないのか…?」
自分は、君を裏切ったんだぞ?っと問えば、ミルクは笑いながら、
「恨んでないけど、怒っているわ」
っと、拗ねたように頬を膨らませて見せた。
私に嘘をついたのは、怒ってるんだから。ということらしい。言い訳の仕様がないリムは言葉を探す。
リムのその困ったような表情に、ミルクは笑顔に戻ると、「…無理に、男になろうとしないで。リム」と彼女のスラリと伸びた綺麗な手を取ったのだった。
「!!どうしてそれを…」
明かしていないはずの名前と、自分の性別。まさか…と自分に抱きつくシーザに目をやれば、「ごめんね」と申し訳なさそうに謝られた。それで全てを理解したリムと氷華は、顔を見合わせて笑ってしまった。
おそらく、シーザが自分の素性と過去をミルクに喋ったのだろうと笑った。…そして、同時に感謝する。…ミルクの心を、闇から救ってくれて、ありがとう。と。
彼女が再び闇に囚われるぐらいなら、過去を、ミルクに話しても構わないと思っていたから…。
「いや、いいよ…ありがとう…シーザ……。ごめんな、ミルク…ミルクを騙していた事には変わらない。…本当に、ごめん」
「いいの。…私こそ、ごめんなさい…一瞬でも、貴女を疑って、恨んでしまった…私のことを誰よりも理解してくれたのは、貴女だったのに…」
申し訳なさそうなリムの笑顔に、ミルクはごめんなさい。と頭を下げ、リムはただ黙ってその美しい髪を撫でてやったのだった…。
侵入者に屋敷は騒然となっているのにこの一室だけは、穏やかな空気が流れていて、現状を忘れそうになる。
「お取り込み中すみません。オプトさんは何処です?まさか、一人で《ルナ》と戦っているなんで言わないで下さいよ」
外から聞こえる衝撃音に、対 《ルナ》との戦闘が繰り広げられている事は容易に想像がつく。しかし、オプトの実力と、一瞬ではあるが感じた《ルナ》の戦闘力では、勝敗は明らか。一人で戦わせているなんて見殺しにする気ですか?と、帝は真剣な面持ちで尋ねてくる。その表情からは、何時もの笑顔が消え、中性的な雰囲気から男が伺えた。
「いや、ジェイ…仲間が戦っているよ。《ディック》が、ね」
「《ディック》さんですか…そうですか、彼がいるなら安心だ。相当腕の立つ人のようですし…」
安心したように笑う帝につられてリムも笑う。戦いたいと言う気持ちを抑えて…。
本当なら、今すぐ自分も《ルナ》との戦いに参戦したい。でも、足手まといになることは明らかだ。だから、行かない。…行けない…。
「《ベリオーズ》?」
笑顔を曇らせるリムに、ミルクは心配そうに顔を覗き込む。何処か、怪我をしているの?と見当外れなことを聞いてくるお嬢様に、リムはなんでもないと作り笑いを浮かべて返事を返すのだった。
戦いの音に、惨めさが募る。力の差を痛感させられる…。
「…リム」
ボーっとするリムの腕を肘で突っつくのは氷華。さっさとやる事をやって、逃げよう。と目が言っていた。
シーザとも運良く合流でき、お目当ての"マーメイドの涙"を持ったお嬢様は今目の前にいる。だったら、さっさと摩り替えて、早々に屋敷から立ち去るべきだと言うのは当たり前なのかもしれない。
(…できる事なら、ミルクから、奪いたくない…)
しかし、ミルクが持つには、あまりにも危険な魔石。スタンとフレアが探す"伝説の石"の一つを戦闘力皆無の生物が持つということがどういう事態を招くか、リムはよく知っているから…。
過去の自分と同じ目に遭わせたくない。第二の親友を、見たくない…。だから、…奪ってしまおう…。
「…ミルク、…ごめんな…」
「…奪う。は、正しく無いわ。《ベリオーズ》」
意を決したリムの表情に、ミルクが笑顔で首を振る。勘違いしないでと、言葉を続けて。
「貴女への、感謝の気持ち。…だから、受け取って?」
それが、約束だから。…もう一度、自分が心から笑えるまで傍に居てくれたら、"マーメイドの涙"を、託すと、約束したから…。
ミルクは、笑っている。…笑う事が、出来るから、安心して。と小さな呟き。
おもむろに、手を首にまわし、何時も身に着けていた父からもらったペンダントを外そうとした。リムに、渡す為に。しかし…。
「え…?…」
笑顔が驚きに変わり、驚きが困惑に歪む。
一体何がミルクに起こったのだろう?リムも氷華もシーザも心配そうに、お嬢様の青ざめた顔を見つめる事しかできなかった。
「ない…"マーメイドの涙"が無いの…外した覚えが無いのに…落とした覚えも無いのに…」
「!!なんだと!?」
泣きそうなミルクの言葉に、リムも驚きに大声を上げてしまうのは、たった一つの理由しか考えられなかったから…。
―――既に、"マーメイドの涙"は盗まれた…?
焦るリムは「屋敷を探す」と踵を返して部屋を出て行ってしまう。
一体、誰がミルクから石を盗んだ?
「ま、待ってよ!!リム!!…帝さん、ミルク様をお願いね!!」
止める間もなく、駆け出したリムに、氷華も続く。いくら接近戦のスキルが高いと言っても、《ルナ》への警戒態勢に入っている屋敷を一人で奔走するなど無謀も良いところ。なんと言っても、リムの魔法力はこの屋敷にいるボディーガードの中では下から数えたほうが早いぐらいなのだから。
「ちょっと待ってよ!魔法攻撃受けても知らないよ!?リムは魔法防御極端に低いんだから!!自覚してよ!」
「そんなこと分かってる!でも、本物の"伝説の石"を敵の手に渡したくないんだ!」
今居た部屋からミルクの部屋への最短距離のルートを辿り、石が落ちてないかどうか確かめる。後ろから追いついてきた氷華はもう少し考えて行動してと怒っているみたいだ。
《ケイ》が居たぞと騒ぐボディーガードの中には、リムより戦闘クラスが上の者も多々居る。そんな連中をどうあしらうつもりなんだと心配しているから。
「悪かったって…」
ふくれっ面で自分を見る氷華に困ったように謝れば、笑顔が返ってきた。分かれば良いよ。と言うことらしい。
仲間ができて、自分の心配をしてくれる存在に、少々の面倒さを感じながら、それでも、リムは居心地のよさを感じずにはいられなかった。一人は、淋しすぎるから…。
*
「オプト、もう少し離れていろ。巻き込まない自信がない」
「あ、ああ…」
夜風に舞い上がる黒の濃い灰色髪が、月灯りに反射して時折色が抜け落ち、銀色に見えるのは、彼の魔法力が髪の一本一本から漏れ出しているせい。
オプトはただ呆然と男の指示に頷く事しか出来なかった。
(レベルが…違いすぎる……この《ディック》という男…何者だ…?)
魔法力に身体を乗せ、空に佇むジェイクをジッと見つめる。自分達よりも戦闘力の高い《ルナ》が、圧倒されている目の前の光景に、我が目を疑わずには居られない。
屋敷を囲う塀の一角が崩れ、砂埃が立ち込めている。瓦礫の崩れる音が耳に届き、何かが砂塵の中で動いているのが認識できた。
「参ったな…こんな男が居るとは報告にはなかったぞ…」
服に付いた汚れを払い、ため息を付くのは、"伝説の石"の一つ、"マーメイドの涙"を狙う《ルナ》だ。ゆっくりと飛び立ち、ジェイクと同じ位置まで到達すると、静かな声で、「何者だ?」とオプトの心中と同じ質問を投げかける。
「言った筈だ」
「…『保護者』、ね…。なるほど。フェンデル・ケイの愛弟子に、正体不明のSクラス戦士か…。上に報告する必要がありそうだ」
ジッとジェイクを見据える男の言葉に引っかかりを感じた。《ルナ》はただの怪盗ではないとジェイクは瞬時に判断し、再び剣を男に向け、正体を明かせと凄んで見せた。
「お前は…いや、お前達は何の目的があって"伝説の石"を狙う?」
「答える義理はない」
「逃がすと思ってるのか?」
答えなければ、殺すまでだ。と言葉を続ける。
本当なら、殺すまではしたくないジェイク。だが、今目の前に居る《ルナ》と名乗る怪盗の背後に存在する組織に自分達の情報が伝わる事を避けたいから仕方が無い。
(リムがフェンデル・ケイの愛弟子だと漏れるということは、リム本人だけでなく、今何処に居るかも分からないケイ自身にも危険が迫るという事…ロキア一人じゃSSクラスを相手に出来ないだろうし…それは、避けてやらないと…な…)
眼光に殺気が載せられた。それは、ジェイクの意識が、獲物を前にした採取者に変化した証。
災いの種は、早いうちに摘んでおこう…という事だ。
しかし、敵もただのこそ泥でない。《ルナ》はジェイクの一瞬の隙を突き、己の身の安全を確保する為に、プライドを捨てる。
「オプト!!」
瞬きをする刹那の瞬間に、《ルナ》はオプトの背後に移動し、その剣の柄で彼の後頭部を殴りつけてやる。突然の衝撃に、あっけなく意識を手放してしまったオプトの身体を盾に、《ルナ》は、
「こいつの命が惜しければ、大人しく屋敷の中へ戻れ」
と、凄んできた。ジェイクさえ居なければ、逃げ切れる。そう判断したから、こんな卑怯な手段に出る。
クラスが上になればなるほど、戦士としての誇りを重視する輩が多いこの星で、人質をとるという行為は、誇りを失った愚かな生物がとる行動だと言われている。つまり、弱者だとレッテルを貼られるという事。
無様な生より、誇りある死を。
Aクラス以上の戦士が謳う言葉を、《ルナ》が知らないわけではなかった。
「誇りを、失ってまで生き延びようとするわけか…」
「…卑怯者と言われようと、誇りを失ったと蔑まれようと、俺は生き延びる。誇りある死より、今の俺は無様な生にしがみ付く。ただ、それだけだ」
ジェイクは《ルナ》の言葉に笑った。…何処か、物悲しい、笑顔で…。
「誇りを捨てる事が出来る男が一番厄介だ……誇りよりも、大切なものを見つけてしまった証拠だからな…」
くだらない、取るに足りない誇りに固執しなくなった男こそ、本当の戦士だと、ジェイクは笑った…。
曲げる事のできない信念を持っているから…誇りを、捨てる事ができるのだから…。
「戦士としてでなく、男としてのお前の誇りにかけるよ。…オプトに何かあれば、そのときは容赦しない」
「安心しろ。人質は、無傷だからこそ価値がある。…誇りなど、命に比べれば捨てる事など容易いものだ…」
ジェイクは《ルナ》の信念を曲げぬ誇りに敬意を表し、剣を鞘に収めると、大穴の空いた屋敷へと移動し、瓦礫の散らばった部屋に足をつけた。ただし、視線は常に《ルナ》を見据えたまま…。
ジェイクと《ルナ》の戦闘が始まったときに、巻き添えを喰らわない様にと、オプトが警備員達を撤退させておいたおかげで、今のところ、死者は出ていないだろう。
遠くで怒声と足音が聞こえるのにリム達も無事だとジェイクは胸を撫で下ろす。
「《ルナ》…何故、予告状を送りつける際に三人を殺した…?それほどの腕があるのなら、命を奪う必要などなかっただろう?」
「……見せしめだ。…愚者への警告を兼ねてな…」
お前には到底理解できない理由が底にある。と《ルナ》は言葉を零した。…命を、奪った理由…とは?
「理由…?…それは……!!」
他を圧倒する戦闘力が恐ろしい速さで近付いてきている事に気がついたのは、その理由を問いただそうとしたそのときだった。
(この戦闘力…S班?!…しかも、ディノウサか…?)
「!ちっ…"DEATH-SQUAD"S班か!?派手に戦いすぎたみたいだな…」
ジェイクに遅れて《ルナ》もその強大な戦闘力に気がついたようだ。忌々しそうに舌打ちをし、オプトをジェイク目掛けて放り投げると急いで襲撃に備えて構える。
ジェイクが放り投げられたオプトを受け止めると同時に、耳に届く破壊音。と、大地に出現した衝撃によるクレータの中心には、血反吐を吐き、蹲る《ルナ》の姿。
「"DEATH-SQUAD"S班6th、ディノウサ・ライカ。ライラト候の命により、怪盗を始末する」
星空をバックに空に佇む金髪の青年が良く通る声でそう告げる。どうやら、クリスが《ルナ》からの予告状にミルクの身を案じて父に頼んだらしい。
ディノウサと名乗る青年は、腰に携えた剣を抜き、《ルナ》に絶命を宣告する。
(…まずいな……早々に屋敷から離れるか…)
まさか"DEATH-SQUAD"S班の上位が動いてくるとは思わなかったジェイクは、気配を殺し、オプトを担いだまま、屋敷の中へと消えてゆくのだった。
(…今、"DEATH-SQUAD"に見つかるわけにはいかない…今は…まだ…)




