そして時は動き出す 第22話
レーデルは、街一番の大富豪、アルストラ・カスターの屋敷に"伝説の石"の一つ、"マーメイドの涙"を盗むと予告してきた怪盗・《ルナ》の話題でもちきりだった。滅多に現れない怪盗の出現とだけあって、その姿を人目見ようと街を訪れる者までいる始末。
今までかいくぐって来た"DEATH-SQUAD"の追跡ラインを超えることになるこの事態に、事の結末を知りたくて、人々は集まってくる。
カスター卿は娘の命を心配して緘口令を敷いたが、全く無駄骨になってしまったみたいだ。
この騒がれ方だと、"DEATH-SQUAD"の耳にすぐに届くだろう。そうなれば、ミルクの命が危ないというのに、そんなのお構いなしで騒ぎ、盛り上がる街が恨めしい…。
「『明日の夜、"マーメイドの涙"をいただきに参上する。命が惜しくば、大人しく差し出せ。さもなくば、皆殺しだ。間違っても"DEATH-SQUAD"に連絡するな』…か」
宿屋の一室で街を湧かす《ルナ》の予告状の書かれた号外を読み上げるジェイクにどうする?とリムに尋ねる烈火。
できることなら、戦いたくないと思う氷華は《ルナ》の噂を何度か耳にしているから。とても、強く、そして、冷酷だと…。
しかし、リムは、ただ口を閉ざし、震えていた……。喜びに…。
(きた…ついに、奴等を見つけた…)
聞けば、《ルナ》は二人組。戦闘力もAクラス以上。奴らである可能性が、とても高い事実に、ようやく、止まっていた時が動く瞬間に、打ち震えた…。奴らを、見つけた。今は、まだ倒せなくても、姉と親友を追う足取りを掴んだ事に…。
「…あまり期待はしないほうがいい」
彼女の高ぶる戦闘力に、ジェイクはため息交じりで抑制をかけた。結論付けるには、早すぎる。と。《ルナ》が、リムの追う連中だとは限らないというジェイクの言葉に、烈火も氷華もそうだと続く。
リムの逸る気持ちはよく分かるが、Aクラスの戦闘力の生物などそこら中に生息しており、"伝説の石"を狙ったからと言って、《ルナ》がスタンとフレアである確証など、何処にもないのだから…。
「分かってる…でも、感じるんだ……血が、…姉さん達に近付いたと……」
身体が興奮状態になるのは、血のせい…。"三賢者"の一人、フェリアの意志を継ぐ血が、リムに「もうすぐ、出会える」と教える。
《ルナ》がスタンとフレアでないにしろ、姉を攫った連中と何らかのつながりがあるはずだと、不気味に笑う彼女の表情に、言い知れぬ恐怖が込みあがってくるのは何故だろう…?
明日の夜、怪盗・《ルナ》が現れる。リムは、また笑う。自分が求める"伝説の石"の一つを奪いに、ミルクを襲うとご丁寧に予告してくれて、ありがとう…。
「明日の昼、もう一度カスター卿の屋敷に向かおう」
「やっぱり連中と戦う気かよ。死んじまうぞ、それでもいいのか!?」
敵の戦闘力が自分達とは違いすぎると声を張り上げる烈火。どうせ彼女のことだから、「死んで本望だ」とか言うに決まっていると思っているからだ。自分も、己の決めた道の途中で死に絶えるのなら、本望だと思う。しかし、成すべき事があるのなら、話は別だ。リムには、姉を、親友を救うという目的があるはず。だから、無謀だと止めるのだ。
「…誰も戦うとは言ってない。…夜が来る前に石を…すり替えに行くだけだ……」
「!それ!"マーメイドの涙"じゃないの!?」
リムが何処から取り出したのか、手に持っていたのは、"マーメイドの涙"。烈火は驚きに声を失っていた。
「違うって。ほら」
「へっ??って!!うわぁあああ!!」
リムが苦笑しながら投げる魔石を、反射的に手にしてしまった烈火は大慌て。何しろ、"伝説の石"の一つ"マーメイドの涙"は男が触れるとその身が蒸発してしまうと言う代物。当然、男の烈火は顔を真っ青にして手にした魔石を床に落として「何すんだよ!!」と怒鳴っているが…。
「…あれ?」
触れたのに、何も起こらない。床に転がっているのは確かに、青い輝きを見せる"マーメイドの涙"のはずなのに…。
どういうことだとリムを見る烈火に、リムは今度は声を出して笑い出していた。
「リム!!説明しろよ!!」
「それ、昔盗んだ"マーメイドの涙"のイミテーション。偽物だよ、偽物」
烈火の慌てようにまだ笑うリムに、もちろん烈火は激怒して。笑いをこらえているジェイクの姿にまた、怒鳴る。
「ダンナ!!」
「悪い悪い。でも、リムはきちんと言っただろう?『すり替える』って」
話を聞いていない烈火と氷華に苦笑する。そう。リムは、以前盗んだ本物そっくりのこの石を持って、ミルクの持つ"マーメイドの涙"をすり替えて《ルナ》の目を欺くというのだ。
奴等に本物を渡さなければいいだけの話だからと言葉を続ければ、とたん、ジェイクは真面目な面持ちでリムに質問を投げる。
「もし、《ルナ》がイミテーションだと気付いたときはどうする?こう言っちゃ何だが、連中は予告状を送りつける際にもう3人殺している。本物と確かめる為に、誰かを犠牲にする事は厭わないと思うんだが?それに、偽物だとわかった時が怖いな」
もし、《ルナ》と名乗る連中が、リムのすり替えた"マーメイドの涙"を盗み、それが偽物だと分かった時に危ないのはカスター卿。予告状を残す際にボディーガードを殺した事から、彼等のメッセージである『皆殺し』はハッタリではないだろう。
しかし、リムはそれに不敵に笑うと、
「だから、今は戦う気はないってだけだよ」
と言った。
『今は』。つまり、今後は戦う気が満々だと言っているのだ。連中に《ケイ》の存在が分かるように動くつもりだと言葉が続く。
「…標的として認識されるっていうのか?危険だぞ?」
「危険は承知の上。私は、…私だけが、温かな空気に包まれて平穏に生きることが許されると思ってない…」
何処までも、自分が悪いと思い込んでいる少女に、ため息が零れる。ジェイクはリムが自分を責め続ける言葉を紡ぐのに、何も言えずにいた…。しかし、彼女の言葉に、声を張り上げる者も、ここにはいるわけで…。
「どうしてリムがそんな風に思わなくちゃいけないのよ!!リムがここにいることを誰が許さないって言うの!?」
「そうだぞ!お前の過去は過去だろうが!助けるべき存在がいるのは知ってるけど、お前の大切な存在がお前が苦しむのを望んでるってどうして考えるんだよ!?」
誰も、今のリムが平穏に生きることを許さないという悲しい言葉を紡がないでと泣きそうに顔を歪める氷華と、自分は苦しむべきだと追い込むことは、リムの幸せを願う人を裏切っていると声を荒げる烈火。
二人の言葉に、ジェイクもリムも、何も言葉を発する事無く、ただ、淋しそうに笑っていた…。
「なぁ…リム。…今のお前の作戦にケチをつける気はないんだ…でも、…自分に残されているのは命を顧みない道だけだって、思わないでくれよ…」
聞いてて、痛い…。小声で烈火の口から漏れる、本音。
自分ばかり、責めないで欲しい。リムが、悪いことなど何も無いのに、どうして、こんな風に自分を傷つける言葉を彼女は紡ぐのだろう…?まるで、過去を忘れないように、わざと自分で自分の傷を抉っているように見えた…。
過去を乗り越えようとするくせに、過去の傷を抉って、その傷に身を残すリム。こんな生き方をしていて、彼女が過去を乗り越える時が何時かくるのだろうか…?
「…ありがとう…氷華、烈火…私は、良い仲間に出会えた…。もちろん、ジェイクも…」
笑う、リムの笑顔が、痛い…。
「シーザ…迎えに行かなくちゃ行けないし、明日はどうするにしろ、一度屋敷に向う……その時に、石をどうにかしてすり替えようと思ってる」
「リム!!」
今回は石を諦めてよ!と氷華。しかし、それは出来ない相談だ。自分の命よりも優先すべきは、"伝説の石"が連中の手に渡らないようにする事。
リムは「ごめん」とまた笑う。
「…私は、…忘れたくないんだ……自分が無力だって事…覚えていなくちゃいけないんだ…」
*
「それでは、ミルク様。落ち着かないとは思いますが…」
「大丈夫よ。オプト…今日は、眠れなさそうだから、お話の相手になってくれる?」
いつもなら、眠っているはずの時間。夜も更け、数時間後には夜明けを迎えるだろう時間なのに、目は冴えて一向にまどろむ気配を見せない。しかし、それも無理も無いだろう。
信頼していたボディーガード《ベリオーズ》が怪盗・《ケイ》であったという事実と、彼が実は彼女であったという事実。そして、明日の夜に愛する父からの贈り物である大切な魔石"マーメイドの石"を狙って別怪盗が現れるらしい上、その予告状を屋敷に残す際に、3つの生命が奪われたと言う現実に、ミルクは今日は眠れないと笑う。
「ミルク様がよろしいのなら」
身体に障ると思うが、この少女の気持ちが分からない訳ではないから、オプトは静かに彼女の横たわるベッドの横に椅子を置くとそこに静かに腰を下ろした。
「…カルファに変わらなくてもよろしいですか?」
「平気。カルファは昨日の夜からずっとお休み無しで仕事していたんだもの、今は休ませてあげないと」
そういって笑うミルク。カルファは昨日の昼から、今日の夕暮れまで屋敷の警護に当たっていた。本当なら、夕暮れから休みだったはずなのに、《ケイ》が現れたとそのまま引き続き、屋敷に主の命を狙う不審な連中が侵入していないか奔走していた為、肉体的疲労は計り知れないだろうと彼女を気遣う少女にオプトも笑った。
「本当に、…よかったです」
「何が?」
笑顔のままオプトから漏れる言葉の意味が分からない。何が良かったと彼は言っているのだろう?
不思議そうなミルクの表情に、言葉を続ける。
「いえ…ミルク様が、私がこのように傍に居ても笑ってくださる事がとても嬉しくて、つい。家臣として行き過ぎた発言であることは承知しておりますが…」
「!そんな!オプト、止めて頂戴よ!私は貴方のことを本当の家族だと思っているんだから!…そりゃ…今までは……とても可愛げのない態度だったってわかってるけど…でも、本当よ?家臣とか、言わないでよ…」
必死に想いを伝える少女に、また笑みが零れる。…本当に、心強くなられたのだと、思う…。
また心を閉ざしてしまうと思っていただけに、オプトはミルクの変化に驚きを隠せない。実際、中庭で一人にして欲しいと言われた時は彼女の心は男を…人を拒絶してたはずなのに…。一体、中庭で彼女に何があったのだろう…?
「あ、うん。大丈夫…だと思う。オプトはとても理解ある人だから」
「?はい?」
いきなり自分自身の肩に目を落として笑う主に、何を言っているんだと困惑していしまう。オプトは「ミルク様?」ととても不思議そうに少女を見つけて…。
「あ、ごめんなさい。実は…」
「あー!!疲れた!ジッとしてるのはオイラ、性に合わないみたい」
ミルクの言葉を遮って、彼女の髪の中から出てきた小さいドラゴンにオプトは反射的に身構えて、それにミルクはやめてと叫んで…。
そんな二人を気にするでもなく、床に降り、今度はその身体を人型の子供にトランスさせるのはもちろん、変身型のドラゴン、シーザ。
「う~…ふはぁ~」
両腕を上げて、可能な限り身体を伸ばすとなんとも間抜けな声が口から零れた。どう見ても子供の格好をしている少年の姿に、竜族とはいえ、まだ幼い子供を手にかける趣味を持ち合わせていないオプトは剣から手を放し、どういうことか説明を求める視線をミルクに送った。
「あ、…あのね…この子、《ベリオーズ》の仲間らしいの…」
言葉が徐々に小さくなるのは怒られると分かっているから。いくら自分が信じていると言っても、オプト達にとったら《ベリオーズ》は主を裏切った許すことの出来ない犯罪者なのだ。当然、その仲間をかばっているとは言い辛い。実際、ミルクの目の前の男の顔にはなんとも表現しにくい顔をしていた。
「…《ベリオーズ》の…仲間…ですか…」
「あ、あのね!誤解しないで!シーザがいなかったら、私、また昔に戻っていたわ!…シーザが、教えてくれたの。《ベリオーズ》の本当の気持ちを…だから…」
だから、シーザを傷つけないでとこんな風に主に泣きそうになりながらも懇願されて、それを無視できる男がいるならお目にかかりたい。オプトは盛大なため息を吐き出すと、その後は、苦笑に近い笑みを浮かべて、「ミルク様のお願いなら、仕方ありませんね」と言葉を零した。
「シーザ、とか言ったな。…《ディック》と《煉》、それに《アイト》は君達の仲間か?《ベリオーズ》と共に逃げた元ボディーガードと元使用人だ」
「あぁ。うん、そう。オイラなんかとは違って、頼りになる大切な仲間だよ」
ヘラヘラ笑いながら頷くシーザに、自虐的だなとオプト。
「え?だって、事実だし、しかなたいでしょ~。オイラじゃリムを守ることも戦闘のフォローをすることも出来ないんだから。3人がいてくれるから、リムも随分楽しそうだし!…改めて、実感したんだ…あぁ、人は一人じゃ生きていけないんだって。誰かがいないと、生きていても死んでいるも同然なんだ~って…今まで、オイラはリムに甘える事しか出来なかったから、…3人はリムを支えてくれる大切な仲間なんだから」
リムとは《ベリオーズ》の事だとミルクが説明を付け加える。
ただ、ミルクも、オプトも、シーザの言葉に含まれる悲しみを感じ取ってか、何処か暗い面持ちだ。が、当のシーザはすっかり開き直っていると言わんばかりに笑顔で、「何時か、オイラもリムを守れるようになりたい」と言葉を続けていた。
「でも…だから、心配。今回のことで、危ないことしなくちゃ良いけど…」
「それは、そうだな…"マーメイドの涙"を狙っている《ルナ》の戦闘力の高さを考えると、今の《ベリオーズ》には荷が重いだろう?」
戦闘クラスがAクラスのオプトは性格に《ルナ》とリムの実力の差を見極めており、それにはシーザも
「うん。本当に。…しかも、《ルナ》が純血天使だったら洒落にならないよね~」
と、素直に同意。ミルクは、少年の言葉に不思議そうに首を傾げてみせる。どうして、純血天使?と。
「噂では《ルナ》と名乗る二人組の怪盗の容姿は男なんです。それでも、男が触れることの出来ない"マーメイドの涙"を狙ってくることを考えると、《ルナ》が少なくともどちらか片方が女である可能性と、第二覚醒を起こしていない純血天使と言う二つの可能性が出てくるんです」
オプトの話では、純血天使は生まれながら性別と言うものが定まっておらず、第二覚醒で性別が決まるらしい。第二覚醒を起こしていない純血天使は男でもなく、女でもない無性別生体と言われている。
おそらく、《ルナ》の戦闘力を考えると純血天使である可能性は少なくないと言う。
「純血はソレほどまでに力が桁違いなんです。…《ベリオーズ》の心配をなさるのは良いのですが、ミルク様も、もう少し、危機感を持ってくださいね。…この屋敷で、今、《ルナ》の襲撃に耐えることの出来る者は…せいぜい、私かカルファぐらいなので」
「!…ええ…わかってるわ。…でも、私は人の命を犠牲にしてまでこの石が欲しいとは思わないの…だから、《ルナ》が現れた時は、…大人しくこれを差し出します…だから、オプトも早まらないでね…」
人の命がモノのように扱われる世の中だから、ミルクはせめて自分は命を大切にしたいと言葉を紡ぐ。…騙されることが当たり前の世の中だから、…誰も、騙さないように、心のままに、生きたいと…。
「…ねぇ、ミルク様。…もし、リムが再び君の前に姿を現したら、どうする?怒る?それとも…」
「!決まってるでしょ。嘘つきって怒って、ちゃんと謝ってもらうわ!…そして、今度こそ、嘘をつかないで、彼女の本当の名前を、彼女の口から、教えてもらうの…」
微笑む少女に、シーザもつられて笑顔になる。…リムを大切に思うから、誰も彼女の優しさを誤解して欲しくないと願う少年の、小さな願いは、ちゃんとミルクにも届いたようだ。
しかし、笑う二人をよそに、オプトは一人、不安な想いを押し隠し、真顔で外を見つめていたのだった…。
(明日…自分はミルク様を護ることが出来るのだろうか……?)




