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強く儚い者達へ…  作者: 鏡由良
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そして時は動き出す 第21話

「…《ベリオーズ》は…本当に、女性なの…?」

 少年の言葉を信じていないわけではないけれども、いきなり明かされる事実に、まだ、頭が整理できないミルクはおずおずとシーザに尋ねた。静かに頷き、自分の言葉を信じてと少女の瞳を真っ直ぐに見つめるシーザ。

 屋敷内ではまだボディーガード達がリム達が"伝説の石"を奪いに戻ってくるのではと警戒を続けているのだろう。足音と怒声がかすかに耳に届く。

「…誇りを失うと同時に、人を信じる事も出来なくなってしまったって、オイラに昔言ってた…それってとても悲しいことだよね…?…人を信じれないなんて……悲しい。…自分は、出来損ないだと自分で思ってしまうなんて……辛いよ…」

 シーザの笑顔が曇るのは、以前自分に話してくれたリムの顔を思い出したから…。一人きりで、戦い、一人きりで、生きていた孤独な女性の儚い笑みを、思い出すから…。

「でも、リムを救ってくれた人がいたんだ…リムに戦いを教え、世界を見せてくれた人が。…何時も、リムが身に着けていた十字架、知ってる?」

「…ええ…知ってるわ……赤い宝石のついた…綺麗な銀十字でしょ…?」

「そう。それを、リムにあげた人が、リムの心を救ってくれた人。…一人じゃないと、傍にいると…リムを大切に想う人が、リムの心を護ってくれた……オイラと出会った頃には、なんだか複雑な事情があってリムはたった一人だったけど、傍にいると分かるから、平気だって笑ってた。…師匠達がいなければ、自分はきっと、あのまま腐って闇に囚われ続けてただろうって…笑ってた……」

 笑える事って、すごいんだよと、シーザは笑顔を見せる。嘲笑じゃなくて、自虐じゃなくて、…その話をしているときのリムの見せた笑顔は、とても、穏やかだった…。と。

 辛い過去を背負って、今もなお、戦いの中に身を置いて、自分が一番恐れる男と対峙することを選んだリムは、とても強いけど、とても、脆い…。シーザは、彼女の精神の弱さを、よく知っている…。夜空を見上げて震える肩を抱くリムを、何度も見ていたから…。

「…傷ついた君を、救いたいって思ったんだろうね…自分が、救われたように…君にも、強くなって欲しいと願ったんじゃないかな……だから、ずっと…君を護ってたんだよ……はじめは、"伝説の石"を手に入れる為だったかもしれない…でも、…それだけじゃ、ないって事、知って欲しい……リムを、誤解しないで……とても、優しい人だから…」

 シーザの言葉に、ミルクの記憶に呼び起こされるのは、何時も自分を気遣ってくれた、優しいリムの姿…。男を恐れる自分に、焦らなくて言いと笑ってくれた笑顔を、思い出す…。普通なら、顔を顰める我侭も、苦笑しながら聞いてくれた、優しい、リムの笑顔に、また、涙が零れる…。

「《ベリオーズ》は…ずっと、男として…わたしの傍にいてくれたわ……彼女を傷付けた男の中で、わたしに、笑いかけてくれた……」

 それが、どれほど辛い事か、苦しい事か、自分には分かるから涙が止まらない…。

 男の臭いに、過去を思い出すこともあっただろう。男の声に、記憶が鮮明に呼び起こされた事も、あっただろうに…。それでも、それに耐えて、欲する"マーメイドの涙"を盗むという強行手段に出なかったのは何の為…?

 全て、傷ついた少女の心を護る為。失った誇りを、取り戻してやる為…。

「うん…リムを傷付けたのは、確かに、心無い男達だよ…でも、リムの心を救ってくれたのも、男の人……リムは分かってるんだよ……男全てが、恐ろしい生き物でない事を……」

 優しい人がいる事を、知っているから、ミルクにも、それを分かって欲しいと願っていた彼女を想うと、胸が苦しくなってくる。裏切りと殺戮の繰り返されるこの世の中に生きるには、彼女はあまりにも優しすぎる…。

「…優しい人……どうして…彼女がそんな酷い目に逢わなくちゃいけなかったの……神様は、酷すぎるわ…」

 先程まで流していた苦しみの涙が、リムの幸福を願う涙に変わる…。優しい人に、この先優しい未来が待っていますようにと…。

「うん……」

 誤解が解けて、安心したように笑うシーザは、リムの為に泣いてくれる心優しい少女をただ、何も言わず、見つめていた…。

 夜光花の葉が、夜風に揺れる…。星の瞬きしか見えない空は、何処までも、広く、何処までも、優しくて。

 ミルクの泣き声が、空間を支配して、シーザはその場を動けない。このままこの少女を放っておくことなど出来ないから…。

 静かな時が、流れる。永遠のような、錯覚に陥るほど、静かな時間…。

 風が一瞬強く吹いて、ミルクの長い髪が空に舞い、夜光花の茎も、大きくしなる。血の臭いを届けるこの夜風に、不安が掻き立てられるのは毎夜の事…。

「ミルク様、そろそろ屋敷内へお戻りください…」

 誰かが近付く足音と、葉のこすれる音が聞こえる。シーザは慌てて掌より少し小さいドラゴンにトランスすると、ミルクの肩飛び乗り、「オイラのことは内緒でお願い!」と彼女の髪に姿を隠した。

 いきなり目の前で少年がドラゴンに姿を変えたことに驚きながらも、自分に真実を打ち明けてくれた少年を邪険には出来ないミルクは立ち上がると夜光花を掻き分け、姿を見せる男に向かい合う。

 ミルクを心配してやってきたのはオプトだった。彼は主の頬に残る涙の跡に瞳を伏せ、もう一度、「屋敷の中へお戻りください」と零す。夜は、危険ですから…と。

「…クリスは…?」

「クリス様は屋敷の警備をすると張り切っておられました。…《ケイ》が現れたら必ず捕まえて見せると…」

「…お父様達は、なんと…?」

 クリスには無理だと分かっているから、安心する。それよりも、自分の父が、どう動くかがとても気になる。もし、"DEATH-SQUAD"を動かして来たら、リムの命は無いも同然だから。

「…明後日、星都に向かったときにでも"DEATH-SQUAD"の出動要請をするとおっしゃっておられます…」

 オプトの言葉に、眩暈がする。ミルクはまだかすかに濡れた目尻を手の甲で拭うと、「お父様にお話があります」と歩き出した。

 確かに、先の自分なら、父の決定に口出すことなどしなかっただろう。でも、今は…。

(させない!《ベリオーズ》を不幸になって、絶対にさせない!!)

 他人の為に、己を犠牲にしようとする優しい人を、これ以上、傷付けて欲しくないから、"DEATH-SQUAD"の出動要請をしないように父に頼みに行く為に歩き出す。

 足早に中庭を進むお嬢様にオプトは黙ってその後を追う。

「"DEATH-SQUAD"かぁ…」

 ミルクにだけ聞こえるシーザの声は最早笑うしかないと言った感じだった。

「大丈夫。絶対に、そんなことさせないから…」

 小声で答えるミルクは騒然としている廊下を足早に通り過ぎると、そのままの勢いで父の書斎のドアを開く。

「お父様!"DEATH-SQUAD"を出動させるというのは本当ですか!?」

「!ミルク!怖かっただろうに、あんな男をボディーガードに雇ったワシを許しておくれ」

 自分に歩み寄る娘の姿に、カスター卿は申し訳なさそうに彼女を見つめる。父と共にいるのは兄達。彼らも自分を心配してくれているのは良く分かる。でも、ミルクは口を開いた。

「わたしなら平気です!彼にはとても大切な事を学びましたわ。…もし彼を"DEATH-SQUAD"の標的とするのなら、わたしは一生お父様を許さない!」

「み、ミルク…?」

「…確かに、彼は怪盗かもしれません、でも、わたしは何も彼から奪われていません!!お父様からいただいたこの"マーメイドの涙"はもちろん、何も彼は私から奪わなかった!……それどころか…」

 奪うどころか、彼女は、少女に優しさを与え続けてくれた…。自分の傷が悪化する事を省みないで…。そんな優しい人を、傷付けるというのなら、例え父でも許しはしないとミルクは凛とした態度でもう一度きつく言葉を発する。

「《ケイ》を追うことはお止めになって。彼の襲撃に備えた屋敷の警護も必要ありません。…彼は、お父様に与えられた仕事を忠実にこなしてくれました。…彼を、傷付けないで下さい…」

 頭を下げる娘に、カスター卿は戸惑いを隠せない。何故、自分を傷付けた男を、彼女が此処まで護ろうとするのだろう…と。

 彼女が最も嫌いなのは、男だったはずなのに、どうして、その男を庇う?

「…彼は、優しい人です…お父様もお兄様も、分かっているんでしょ?」

 顔を上げたミルクの顔に浮かぶのは、微笑み…。ぎこちない、無理のある笑みではなく、心を閉ざす前の、あの、微笑み…。もう随分見ていない娘の、妹の、笑顔に、ミルクの父も、兄も、言葉を失う…。

 何年も、何年も殻に閉じこもった彼女を救おうとあらゆる方法を取ってきた自分達にすら心を開かなかった少女が自分から、その殻を破り、外の世界へと足を踏み出したのだ。信じられないと思っても仕方が無い。

「…彼は…《ケイ》、いや、《ベリオーズ》をそれほどまでに、護りたいのか…?お前を裏切った男だとしても…?」

「彼は、誰も傷付けていません…"DEATH-SQUAD"にはもっと捕まえるべき犯罪者がいるでしょう?…わたしに出来る限りの事をしたいだけです…」

 わたしの思いを、分かってくださいと今一度頭を下げる。

 ミルクの真剣な願いに、カスター卿の口から漏れたのは、ため息だった。愛して止まない愛しい娘の願いを聞き入れないわけにはいかないだろうと苦笑してみせ、

「星都に赴いても、彼のことは何も話さないでおくよ…もしライラト候が"DEATH-SQUAD"の出動要請を行っていたら、取り下げるよう言ってくる。…それで、いいんだね?」

 と優しく言葉をかける。だから、顔を上げなさいと笑う父のその言葉に大喜びでカスター卿に抱きついた「お父様!ありがとう!」と歓喜したのだった。

「お前が抱きついてくるなんて、何年ぶりかな……彼は、本当にワシの願いを叶えてくれたみたいだな…」

 カスター卿の目尻に滲むのは涙。傷ついた娘を救ってくれてありがとうと、彼はリムに感謝せずにはいられなかった…。立ち上がり、歩き出そうとする妹に彼女の兄達も安堵したように微笑みあってた。

(……リム、大丈夫だよ。…ミルクお嬢様は、今、自分の足で歩き出したから…)

 だから、心配しないで。と願うシーザ。

 しかし、これで一件落着だと、小さくため息を付いた彼の耳に、警報音が届いたではないか!

 一体何事だとカスター卿はオプトに目をやれば、彼はすでに書斎の入り口のドアに視線を送っており、剣の柄に手をかけていつでも戦える状態を作っていた。

 鳴り響く警報に混じって近付いてくる足音が聞こえる。

(4人…いや、5人……カルファもいる…)

 カルファとは、オプトと同じカスター卿直属の護衛兵士長の名。女性でありながらその高い戦闘力は場合によってはオプトを凌ぐ実力の持ち主だ。

「オプト!大変だ!!」

 ノックもせずに主の書斎の扉を開け放つ女性兵士の姿に、ミルクは怯える。今までカルファがこんなに慌てた所を見たことが無かったから…。尋常じゃない様子に、シーザは息を呑む。まさか、リムが言っていた『奴等』が侵入してきたのか?

「どうした、カルファ。何があった?!」

「怪盗・《ルナ》から予告状が届いた」

「たかだか予告状で警報まで鳴らしたのか?」

 違うだろうと詰め寄るオプトを、主の御前で喋る話題じゃないとカルファは睨む。どうやら、あまり状況は好ましくないらしい。

 カルファの言葉に、カスター卿は長兄だけを残し、後の息子達には席を外すように命じた。もちろん、ミルクも、部屋へ戻れと。

「いけません!分かれるのは得策じゃありません!特にミルク様は此処に残っておられたほうが安全です!」 

 カスター卿の指示に口を挟むのは、白髪の男、帝だった。今、オプトとカルファから彼女を離し、護衛としては力不足な者に彼女を守らせるべきではないと声を荒げる。彼の言葉に、ミルクの兄・テレアは「予告内容は"マーメイドの涙"か?」と尋ねる。

「それ以外、ミルクが特に危険だと言われる理由が見当たらない。そうなんだな?」

 テレアの追求に、カルファは申し訳なさそうに頷く。

「…はい。怪盗・《ルナ》は《ケイ》より少し前に現れた"伝説の石"を中心に世界各地に散らばる魔石を狙う怪盗です。戦闘力はAクラス。滅多に動きを見せないので"DEATH-SQUAD"も放置している怪盗ですが、その腕前は《ケイ》とは比べ物になりません」

 オプトや自分でも、《ルナ》を止められるか分からないとカルファは正直に告げた。

「《ルナ》は二人組。Aクラスを二人相手をするのはさすがに辛いです…。オプトと私もAクラスですが、Aクラスの戦闘力は幅が広い。…私達は良くてAの中に位置していればいいほうです」

 言葉を返せば、《ルナ》はAクラス中以上の力を持っていることになる。

 ミルクの肩で、シーザはやばいなぁ…とまた、ため息。リムのことだから、絶対に《ルナ》と対峙するだろうから…。

(しかも、二人組っていうし…危ない事しなきゃいいけど…)

 リムの敵は、二人組の男だと聞いている。きっと彼女はスタンとフレアが《ルナ》と名乗り、"伝説の石"を集めようとしてしていると躍起になって挑むはず。シーザはそれが心配だった…。

「そんな…オプト達ですら………父さん、"DEATH-SQUAD"に連絡を!!」

「ダメです!…"DEATH-SQUAD"に連絡すれば、…ミルク様の命はない、と…」

 取り乱すテレアを慌てて止めるのは、敵が送りつけてきた、メッセージのせい。しかし、冷静さを欠いたテレアは「"DEATH-SQUAD"が来てくれれば、どうとでもなる!」と声を荒げて聞く耳を持たない。

「死体、ご覧になればいいですよ。…ミルク様のボディーガードとして僕と同時期に雇われた男性が三人、無残な姿で屋敷の外壁に吊るされてましたから。それを見たら、連中が本気で殺しに来ると、分かるでしょ?」

 カルファが伏せていた事実を主の前で吐露するのは帝。激怒するカルファに、このままミルクを危険に晒す気ですか!と声を荒げた。

 ミルクの安全が最優先だとオプトもカスター卿に提言する。怯える妹を抱きしめ、兄達はオプトとカルファにミルクの護衛を頼んだのだった。

「ミルク様、"マーメイドの涙"は今何処に?」

「え…?あ、身に着けてます…」

 兄から身を離し、服の中にしまっていた父からのプレゼントを取り出した。父と兄が万が一この石に直接触れてしまったら大変だからと言葉を続けるミルク。

 青く冷たい輝きを放つ美しい魔石に、一同は目を奪われる。しかし、男が触れてしまえばその身を蒸発させてしまうという恐ろしいモノだけに、ミルクはすぐにそれを服の中へとしまってしまった。

「……殺されたのは…誰だ?」

「ミルク様付きの護衛、ロエイ、ティリエ、ウィルの三人です」

 戦闘力だけで見れば、彼等は決して弱くない。それなのに、彼等はその身をズタズタに切り刻まれ、屋敷の外壁に十字架を模して貼り付けられていた…。

 《ケイ》が現れたと騒然とし、いたるところに護衛兵達がいるなか、誰にも気付かれることなく、絶命して逝ったのだ。これは、Aクラスの下位の者の仕業ではない。Aクラス上位、もしくは……。

「とにかく、今からミルク様は私かオプトが交代で付いてます。旦那様もくれぐれも一人歩きなどしないよう、お願いします」

「ああ、分かっている。…《ルナ》は、何時、現れると…?」

「明日の夜、です…」

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