そして時は動き出す 第20話
夜の闇の中、港町レーデルから少し離れた見晴らしの良い丘の上に、佇む二つの影。
闇に溶け込むその黒い影に、鮮やかな色彩を加える緋色と、空色…。
「引き返してくれたみたいだな」
自分達とは逆方向に移動する二人の男の魔法力に一安心と言った声の主は、黒の濃い灰色髪の男、ジェイク。その隣で烈火が「間一髪?」と笑う。
そして、ジェイクの腕の中からは、悪態をつくリムの声。どうやらさっさと降ろしてくれと言っているみたいだ。
「あぁ、悪い。緊急事態だったから思わず…」
彼女を抱き上げていた腕を緩めると、リムは自分の足で大地を踏む。
謝るジェイクを恨めしそうに見つめた後、ため息がリムの口から零れてしまう。力の差を痛感させられて、落ち込んでいるようだ。それに気付かない烈火も彼が抱き上げていた氷華を静かに降ろしてやる。
星の瞬きがよく見える今宵は月が姿を消している。しかし、そのわずかな光の中でさえも、美しく輝くリムの赤い髪と、鮮やかな空色の氷華の髪が風に靡く。
「ずいぶん遠くまで来たんだね」
短時間でよく此処までこれたものだと笑うと、烈火からついと苦笑が零れた。自分達を追ってきた帝とオプトのスピードに思わず真剣に走ってしまった。と。
「…何でその身体能力でCクラスなんだよ…」
愕然としてしまう。烈火は魔道に長けていると氷菓から聞いていたリムはてっきり彼の身体能力がクラスアップの足かせになっているのだろうと思っていた。
確かに、戦闘クラスはほとんどが魔法力で決まるものだが、頭脳と身体能力が要らないわけではないのだ。魔法力が長けているのにCクラスと言うことは、身体能力が劣っているからだと思っていたのに…。
「アホか。俺の魔法力が単純に足りないだけだ。何言ってんだよ」
魔道に長けているからといって、現在の魔法力が高いわけではない。烈火の魔道の才能はまだ開花していないとジェイクは笑い、氷華は「開花してないのにその魔法力って凄いけどね」と笑顔を見せる。
しかし、烈火は複雑な顔をしている。そんな烈火の心情が何故かリムには分かってしまって…。
(…しまった……)
自分の口から、『弱い』と認める類の言葉を口に出したくないリムは、自分とよく似た性格の烈火にそれをさせてしまったことに申し訳なさを隠せない。プライドとか、そんなんじゃないけど、できるなら、自分はまだ弱いと口に出したくない…。
「悪い…」
「あのなぁ…俺の性格分かってるなら謝るなよ…」
逆に惨めだと肩を落とす烈火はため息をもう一つ落とす。
リムと自分がよく似た性格だと烈火自身も分かっているようだ。
「さて、…今後の予定としてどうやって"マーメイドの涙"を手に入れるかを考えようか…」
ジェイクの苦笑にリムはさらにテンションを下げる。自分が最も恐れていた展開になってしまったことを改めて思い返すと頭を抱えてしまう。
リムは、どんな事情があったにせよ、ミルクを、裏切ってしまったのだ…。
あんなに自分を信頼して、信じてくれた彼女の真っ直ぐな瞳から、背いてしまった…。傷付けたくないと、立ち直って欲しいと心から願っていた自分自身が、彼女に決定打とばかりに傷を残した…。
「はぁ…まさか、クリスが出てくるとは…」
「あの餓鬼、知り合いか?」
「え?…あぁ、クリスね。《ケイ》を追ってくる自警団のリーダーだよ。戦闘力はからっきしなのにどうしてリーダーなんだって思ってたけど……ライラト候の子息だったとは……」
リムの説明に、なるほどっと納得する。
この惑星上に赤髪の生物は多々居るが、リムほど美しい赤髪を持つものはほとんど居ない。ソレほどまでに、彼女のこの血色の髪は特殊な輝きを持っているのだ。どんな間抜けな奴だろうと、一度見たら記憶に焼きつくほど鮮やかで、艶かしい緋色の髪…。
髪を切るだけじゃなくて染めるべきだったなと烈火。
「えーそれはもったいないからダメだよ!こんな綺麗な赤色なんだから!!」
ダメダメダメ!!と力強く否定する氷華に、
「いや、もう遅いから」
と突っ込みを入れてしまう。でも、確かにこの血色を変えてしまうのはもったいないと思う。リム自身、この色は絶対に変えないと言い切って。
「ホント、綺麗な紅色だよね~」
リムの答えに満足そうに笑う氷華。しかし、「それに…」と言葉を続けた時、ある重要事実に気がついてその笑顔が見る見る青ざめていったではないか。それは面白いぐらいに。
そして、絶叫。
「あぁ――――――――――――――――――!!!!!」
その叫びは夜の静寂にとてもよく響いて…。慌てて口を塞ぐが、すでに音は周りに響き渡っていた。
おい!っと怒る烈火と、呆れるジェイクとリム。夜は戦闘タイプの中で強大な力を持つ生物が活動をする時間帯でもあるのだ。その夜に、こんな風に絶叫するとは命知らずもいいところだ。
夜風は何時ものように血の臭いと、叫び声を乗せて吹いていて、その生ぬるい風は嫌な予感を掻き立てる。
「ご、ごめん…でも…」
「『でも』、何だよ!?くだらない事だったら承知しねーぞ!」
殴るぞ!!と拳を振り上げる烈火の言葉にジェイクは、口でそう言いながらも、実際には出来ないだろうと心の中で突っ込む。
しかし、本当に、氷華は一体何に気がついて絶叫したのだろうか?普段の彼女なら、まずありえない行動だ。
「氷華?」
彼女の態度に心配そうに顔を覗き込むリムの目に映るのは、泣きそうな氷華の声。
「……シーザ、まだカスター卿のお屋敷の中だ…」
半泣きで町を指差す氷華に、リムと烈火の絶叫が再び見晴らしの良い丘に響いたのだった…。
*
「うーん……これ、まずいよねぇ……」
誰に言うでもなしに、物陰から慌しく人の行き交うエントランスを覗き込む褐色肌の少年は呟いた。
「てか、ひどいよ~オイラをおいて行くなんてさ~…」
ため息と共に肩を落す少年は、人型にトランスしたシーザだった。
何時ものように、大人しく氷華の部屋で眠りにつこうとしていたとき、廊下を慌しく走る足音が近付いてきて、本能的に身体を可能な限り小さくトランスさせて、身を隠したおかげで掴まる事も無く、部屋から抜け出せた。
部屋に押し入ってきたのはカスター卿直属のボディーガード集団で、彼等の会話から、リムが"伝説の石"を狙う赤髪の怪盗・《ケイ》だとばれた事が分かった。が…、あまりにも急な事態だった為、4人が急遽屋敷から脱出してしまったせいで、今、自分は一人きりで屋敷を見つからないように徘徊する羽目になってしまった…。
そして、現状、愚痴っても状況がどうなるわけでも無いと分かっているから、シーザはドラゴン型から人型にトランスし、使用人が出入りに使う裏口を探しているわけだ。正面からはとてもじゃないが出て行けないから…。
「まだ子供でよかった…」
例え誰かに出くわしても自分の戦闘力と、見た目に殺されたりする事は無いと思うからそう言葉が零れる。
(とりあえず、どうにかして此処から抜け出さなくちゃ…)
氷華の肩に乗り、何度も屋敷の中を見ていたシーザだが、正直な所、裏口までの道はうる覚えで、しかも、怪盗・《ケイ》が現れたと屋敷は騒然といていて簡単にはいかなさそうだ。今現在も、ボディーガードの男達が走り回っている始末。
こんなことなら、無理を言ってでもリムが倒れた時に氷華についてゆけばよかった。と後悔してしまう。
「ホント、最悪だ~…」
騒動から遠ざかるように逃げることが、裏口から遠ざかっていることに、シーザは未だに気付かない。
怪盗・《ケイ》がお嬢様の持つ"伝説の石"を狙って現れたと屋敷内は騒然。いたるところにボディーガードの姿、姿、姿。室外に出るにはどうしたら良いものか…?
と、周囲に注意しながら足を進めていると、背後から足音。シーザは慌てて近くの扉をあけてその中に飛び込んだ。
(…あ!外だ!!)
明かりが極端に少なくなり、屋敷に響く足音が遠くに感じる。どうやら今シーザがはけた扉は中庭へのドアだったらしい。
「今、物音がしなかったか?」
とても近くに聞こえる声に、身体が竦む。またまた慌てて中庭に植えられた背の高い夜光花を掻き分け身を隠す。
「誰もいないぞ?」
「そうか…やっぱり屋敷内に戻るか…いくら《ケイ》と言えど正体がばれて戻ってくる程命知らずじゃないだろ?」
「それもそうだな」
笑い声と、足音。そして、ドアの開閉の音が耳に届く。
「あぶないあぶない…もう少しで見つかるところだったぁ…」
通り過ぎた男達の背を見送ると、息を長く吐き出し、しゃがみこむ。リム達が屋敷から逃走して数時間がたった今も、彼女達の痕跡を追うボディーガードたちは屋敷を見回っているようだ。
逃げ回ることにもそろそろ疲れたシーザはようやく室内から外へと出ることが出来た。
数ヶ月前は色とりどりの光を発する花びらを有していた夜光花はその淡い色の花びらを全て散らし、葉だけの姿で中庭に息づいていた。
「よし!ドラゴンに変身して、さっさと逃げだそっ!」
少し休憩して、勢いよく立ち上がると、意識をトランスの為に集中させる。と、…。
(…泣き声…?)
耳に入る、誰かのすすり泣く声に、トランスをはじめた体の光が消えてゆく。シーザの意識がそちらに向いてしまったからだった。
あまりに弱々しい泣き声に、シーザはゆっくりと声のする方へと足を進めてみると、少し背の低い夜光花の中に、蹲って泣いている少女の姿…。
「…どうかしたの?」
あまりに辛そうに泣いているものだから、思わず声をかけてしまう。少女はゆっくりと顔を上げ、シーザの姿を確認すると今まで見たことのない少年の姿に驚き、言葉を失う。
「…貴方……誰……?」
震える声が、淡い桃色の唇から零れる。怯えているのだろうか…それとも、涙のせい?
「あ、オイラ怪しいものじゃない…て、思いっきり怪しいんだけど…」
騒がれる前に何とか弁解をしようと言葉を紡ぐが、今の自分は明らかに侵入者であり、怪しくないとは言い切れなった。「えっと…」と言葉に困っている少年の姿に、少女は涙を零しながらも、微かな笑みを見せた。
「…何か、悲しいことあったの?」
その場にしゃがみこみ、悲しそうに泣く少女と同じ視線で首を傾げてみせると、彼女は無言で頷いてみせる。
「……オイラ、シーザ。君の名前は?」
「…ミルク…」
「!み、ミルク!?それって…このお屋敷のお嬢様ってこと?」
しゃがみ込んで泣く少女の返答に、驚きのあまりしりもちをついてしまう。リムがボディーガードとして常に傍に居た、お嬢様が、今自分の目の前に居るなんて…。これが驚かずに居られるか!
一方、ミルクは何故この少年がこんなに驚いているか分からない。
「…まさか…貴方もこの石を狙って…」
「!違う違う違う!オイラはただ屋敷に迷って…」
実際には違わないけど、『違う』と言わないとめんどくさそうだと必死に否定する。そんなシーザの様子に、安心したように笑った。
男嫌いと聞いていた彼女が泣きながらとはいえ、こんな風に笑顔を見せてくれると思っていなかったシーザは面食らったように彼女に見入ってしまった。もっとも、今のシーザの容姿は男と言うより、男の子と称したほうが正しい為、ミルクの男性警戒網に引っかからないだけかもしれないが…。
「…わたし…ね……信じていた人に、裏切られたの…また……彼の言葉を全て信じていたのに…それが、すべて、嘘だったの……」
思い出すとまた涙が零れてくる。彼の優しさが、全て嘘だと思いたく無い…。でも、彼は、自分に弁解も何もせずに姿を、消してしまった…。これが、ミルクにとって最も辛い事実だった…。
嘘でも、違うと言ってくれたら、いくらクリスが自分に嘘をつかない性格だと分かっていても、彼の言葉を信じたのに…。と…。
「……あの優しさも、…笑顔も………全て、この石を手に入れる為の嘘だったなんて……」
思い出される彼の姿に、涙が止まらない。膝に顔を埋め、しゃっくりをあげて泣き出すミルクに、シーザはかける言葉が見つからなくて黙り込んでしまう。…今の彼女に何を言えば、誤解が解けるだろう…?
静かな夜に、彼女の泣き声だけが響いて…。
「…ごめんなさい…見ず知らずの貴方にこんな話しをして…」
言葉を紡ぐ唇が震えている。…辛いのを、必死に耐え、零れる涙を無視して笑顔を作って自分を見つめる少女の誇りの高さに、息を呑んだ。
「…彼の、話を信じて…お父様からいただいたこの石をもう少しで失うところだったわ…」
本当は、信じたかった。…本当は、この石を彼に託したかった…。でも、…ミルクにも、プライドはある。…自分を裏切った男を求めて泣くのは、彼女の誇りが許さない。
ミルクの凛とした態度に、シーザは心の中で、リムに詫びる。これから、自分は彼女の傷を、この傷付いた少女に露土してしまうことを、許して…と。
涙を拭う少女との距離をつめ、再び視線を合わすためにしゃがみ込むシーザ。
「…《ベリオーズ》って言うのは、偽名だよ。…本当の名前は、リムっていうんだ。……とっても、意志が強くて……とても、脆い人なんだ…」
「!貴方、彼の仲間なの!?」
声を荒げるミルクの唇を「しっ…」と自身の人差し指で咎める。
人を呼ぶのはいつでもできるでしょ?と。その前に、オイラの話を聞いて?と。
「リムはオイラの命の恩人なんだ。…記憶を無くして、死にかけてたオイラを救ってくれた大事な人なんだ…。例え、どんな理由があるにせよ、このまま君がリムを誤解して過ごすのは、オイラが嫌なんだ」
「聞きたくない!……彼は、嘘をついたのよ…私を、騙していたのよ!?これが、誤解だって言うの!?」
貴方の言葉も嘘でしょと叫ぶ彼女に「聞いてよ」と真摯に伝える。
「そうだよ、誤解なんだ…。確かに、リムは君に正体を隠していたよ?でも、考えてよ?怪盗なんだよ?何のメリットがあって、こんなに長い間、君のボディーガードをしていると思うの?……君を、傷付けたくないからでしょ?」
いつものリムなら、すぐに盗んで姿を消しているだろう。それをしないのは、出来なかったのは、ミルクを、護りたかったから…。
男に、怯える彼女を、立ち直ってもらいたいから、リムは少女の傍にずっといた。
「男の彼に何が分かるの……あの話も、全て嘘だったのよ…」
思い出ささないでと首を振る。シーザはその震える肩に手を沿え、「あの話って?」と極力穏やかな声で尋ねる。少年の言葉に、ミルクは辛そうに、でも、静かにリムに聞かされた話をシーザに伝える。
言葉に出すたびに、嘘だと思い知らされることが、苦しい…。
「分かったでしょ…?彼は、……そんな作り話をしてまで、この石が欲しかったのよ……」
「……それ、嘘じゃないよ、たぶん。…リムは、自分が思っているよりもずっと嘘が下手だから」
嘘のつけない純粋な人だからと笑うと、ミルクはどういうこと?と顔を上げる。…その瞳には、どうか、自分に彼を信じさせてと願っているかのようで…。
「…リムはね……女の人なんだよ……」
「!…う、そ……」
ミルクの驚きも無理は無い。ずっと男だと信じて疑わなかった人が、実は女だなんて誰が信じる?しかも、ミルクの前でのリムの立ち振る舞いは、他の男と比べてなんら違和感を感じさせなかった。それなのに…。
「本当。リムは、女の人なんだ。……今、君も言ったよね?大切な人が野盗に襲われたって、リムが言ってたって……それね…リム、本人の過去、なんだ…リムは、二人の男に人生を狂わされた…その男達に復讐を誓って、それを支えに、今、立ってる…立ち上がろうと、這い上がろうと必死になってるんだ…」
真っ直ぐに、瞳を見つめて彼女の、過去を、少女に明かした。だから、リムは君を放っておけないんだと、伝える。分かって欲しいと願いながら…。
「そんな……」
「…たぶん、リムのことだから、リムの人生をめちゃくちゃにした連中が"伝説の石"を狙って君の前に現れることを危惧してると思うよ……その時は、自分が身を呈して君を護ろうって覚悟もしてるだろうね……オイラとしては、もう少し、リム自身のことを大切にして欲しいんだけど」
リムの身体を、心を心配して笑うシーザに、少女は、本当なの…?と顔を歪める。彼…いや、彼女は、自分を護るために、ずっと傍に居てくれたの?それは彼女の、真実なの?と…。
「…君も確かに辛かったと思うよ?でも、……君を心配する人は、たくさん居てくれるでしょ?…君のお父さんや、お兄さん、それに…君が小さい時からずっと見守ってくれる人とか……その人達の為に、笑ってあげてよ。…大切な人が笑ってくれたら、それだけで、幸せになれるんだから…」
傷付いてるのは、君だけじゃないよ?と笑う。…ミルクの、周りの人達も、傷付いて心を閉ざした少女に、傷付くんだよ?と言葉を綴る。だから、少し勇気を出して笑っていて欲しい…。
「リムには…笑顔を向ける相手がいないんだ……そのリムが、強くなろうと立ち上がってる。君に、出来ないわけ、ないでしょ?」




