そして時は動き出す 第17話
「ったく…サイテーな奴等だな…」
遠ざかる男達の足音を聞きながら、心底気分が悪そうに言葉を零す烈火にジェイクもため息をつき、部屋のドアを閉める。今、この状況で他の誰かが入ってきてはまずいと判断したのだろう。
「リム、お前、二回も同じ事言わすなよ!危機感を持て危機感を!!……?リム…?」
呆れたと言いながらも、怒るのは、やはり彼女を心配してるから。しかし、何も返ってこない反応に彼が彼女に目をやったとき、怒りを忘れて慌ててしまう。リムが、震えて涙を零しているから…。
どうしていいか分からない烈火を押しのけ、ジェイクは上着を脱ぎ、捲し上げられた服から覗く色の白い肌を隠すように彼女をくるむとそのまま抱き上げてこの場からとりあえず去ろうと言う。
「!やぁああああああ!!!!」
「!!リム、落ち着け!!」
抱き上げられたと認識したのだろう、リムは悲鳴と呼ぶに相応しい叫び声と共に、暴れだした。
触れられた事に、全身をバタつかせて、自分に触れる全てを、拒絶する。
「放せ」と「触るな」と泣き叫ぶリムに烈火は言葉を失ってしまう。襲われたと言っても自分達が未然に防いだはずなのに、彼女は何故こんな風に壊れているのだろう?と。
「やぁあぁ…師匠…助けてぇ…師匠……」
暴れるリムの爪がジェイクの頬や腕に傷を残す。それでも、ジェイクは彼女を放さず、「大丈夫。何も怖く無い…」と根気よくリムを宥めるのだった。
忘れようと必死になればなるほど、乗り越えようともがけばもがくほど、リムの身体に、脳に巻きつく糸は彼女に絡みつき、記憶を思い出せとばかりに締め付けて、過去を鮮明に掘り起こさせる。何処からか耳に届く笑い声が、まるで自分に向けられているモノようで…。
「師匠…幸斗さ……怖いぃ…」
助けを求めて泣き叫ぶ姿に、烈火は何も言えなかった…。
「…ナップ【幻眠呪文。土系呪文で、深い眠りを誘う】…」
ジェイクの唱える呪文に、リムは泣きながらもそのまま深い眠りに引き込まれてゆく。大人しく腕の中で眠る彼女の目尻から涙をすくい取ってやると、小さく「ユナ…」と言葉を零すジェイクの表情は、何故か辛そうで…。
「ダンナ…リムは…」
「烈火、悪いが氷華を呼んで来てくれないか?…後、オプトか誰かにリムが体調不良で倒れたと言って今日は休ませてもらえるよう頼んできてくれ。出来るか?」
動揺の隠せない烈火に、ジェイクは静かに指示を出す。この状況で今日、仕事をするのは無理だろうと苦笑いを浮かべる彼に、烈火も言葉を重ねる事無く素直に頷いた。
それを確認すると、リムを抱いたままジェイクは部屋を後にする。
残された烈火はその姿を見送ると、ようやく素面に戻って慌ててジェイクに言われた通り氷華を呼びに向かうのだった。
*
(暖かい…何…?)
前髪を優しく撫でる人の体温。昔、良くこうやって自分に触れてきてくれた人を思い出させる暖かい、手…。
「馬鹿弟子。無茶するなって言っただろうが?」
ゆっくりと重い瞼を開けると、まどろんだ視界に飛び込んでくるのは鮮やかなショッキングピンク。言葉はきついが、口調はとても穏やかで、愛しいと想う気持ちが伝わってくる聞きなれた音色。
「あまり心配させるなよ」
その隣から、身体の奥底に響く低音で同じように自分を心配していると分かる言葉が聞こえる。視界は、ぼやけたまま…。
ベッドに横たわる自分の傍に、誰か居る…。
姿をしっかりと確認する事は出来ない。でも、この声を、このぬくもりを忘れるわけが無い。ずっと、探しているこの人達を忘れるわけが無い!
「師匠…?それに…幸斗さん…?」
気がついたばかりと言うこともあるが、信じられないという思いと、会いたかったという想いが声を上ずらせてしまう。
あの日から、忘れた事のない、人達…。自分の恩人であり、誰よりも尊敬できる人達が、今、この場に居る…。
「何、間抜けな声出してんだ。他に誰だって言うんだよ。なぁ?」
「ああ」
苦笑と、穏やかな笑い声。ようやくハッキリしかけた視界が今度は涙で歪むのは仕方が無いのかもしれない。
「師匠!!」
思わず身を起こし、抱きついてしまうリムに振動が伝わり、戯皇が笑っている事が分かる。
優しく背中をさすられ、「頑張ったな」と優しく声をかけられ、堪えきれずに声を出して泣き出してしまう。嗚咽が口から零れ、馬鹿みたいに「師匠、師匠」と繰り返す自分の頭を「泣くな」と笑いながら撫でてくれる幸斗の大きな手が心地よくて…。
「図体ばっかでかくなって、中身は餓鬼のままかよ。しっかりしてくれよ、俺の弟子はお前だけなんだから」
だから、とても大切な存在だと言ってくれる大好きな師に、また、泣けてくる。
「ほら、まだ寝てろ。今は疲れが溜まって精神状態が安定していないだけだから…。目が醒めたら、また頑張れるから…」
ゆっくりと、優しく自分の身体を引き放すと、そのまま再びベッドに横にされる。
大丈夫だから、怖くないから…と何度も、聞き分けの無い子供をあやすように自分を宥める師の声に、こんなにも、安らいだ気持ちになっれる…。
怖いと震える自分の手をずっと握ってくれていて、傍にいる事が分かるからリムは安心して眠りに落ちてゆくことが出来るのだった…。
*
「……師匠…?」
再び目が醒めたとき、手には少し冷えた手のぬくもり。体温の高い師にしては珍しいと思いながら、身体を起こしてその存在を確認する。しかし…。
「…氷華…?」
自分の手を握っているのは、師ではなく、空色髪の女の子。ベッドにもたれかかり、スースーと穏やかな寝息を立てている。
リムはいまいち状況が把握できずに、混乱してしまう。さっきまで師が傍にいてくれたはずなのにどうして姿が見えないのだろう?と周りを見渡すが、それでも望んだ姿を見つけることが出来なくて…。
(私、なんで……)
一番新しい記憶を必死に辿る。
朝、目が醒めて烈火と氷華が居て、無防備にソファーで寝るなと怒られた。それから、急いでミルクの部屋に向かう途中の廊下で、ロエイと数人の男が自分を待ち伏せしていて…。
「あ……」
思い出した。自分はその男達に襲われたのだと。笑い声と、抑えつける力、肌を這う手と舌の感触がリアルに思い出されて身体が震える。しかし、身体の何処にも違和感を覚えないのはどうしてだろう?確かに自分は連中に…。
「気がついたか?」
ドアが開く音と、静かな声。入り口に目をやれば、ジェイクが立っていた…。
「ジェイク…私…」
「驚いたよ。まだリムが来ないと部屋に来たら、もう出て行ったと烈火は言うし。すれ違ってもいないから、何かあったのかと心配したよ」
本当に安心したと安堵すると、何時ものようにリムとは一定の距離を保ち、椅子に腰掛けるジェイク。彼にオズオズと「助けてくれたのか?」と尋ねれば、何も返事を返されることなく、ただ、微笑まれた。
笑顔を肯定と受け取って、リムは恥ずかしさに顔が赤くなる。記憶こそ無いが、おそらく取り乱した事は容易に想像できるから…。
「すまない」
「は?」
「今から謝っておくよ。おそらく、烈火は何があったか聞きたがると思うから。リムの傷を抉る結果になるかもしれないしな」
一応止めたらしいが、聞く耳を持たなかったと笑うジェイク。烈火らしいとリムは笑った。
何故あんな状況になったのか知りたいと願う彼の気持ちも分からなく無いから、リムは首を横に振ると、三人に全て話す決意をするのだった。
窓から差し込むのは赤い夕日。自分の髪よりやや薄い紅色の光に、何故か、泣きたくなった…。
(…アレは、夢…だったのかな…)
冷静に考えれば、この場に師達がいるわけがない。それでも、あのぬくもりは確かに感じたと思うのは気のせいなのだろうか?
あの声を、あのぬくもりを、自分を包み込む、あの、愛しさを……。
「…誰か…ここに居た…?」
「?いや、氷華だけだよ。オレは隣で、烈火は自分の寝室で眠っていたから」
不思議そうに返される答えに、落胆が隠せない。もしかしたら、本当に師達がここに居るのでは…と淡い期待を抱いてしまった自分がバカみたいだ。二人の状況を誰よりも知るはずなのに、何を、望んでいるのだろう、と…。
「どうかしたのか?」
「…いや、…良い夢を、見たんだ……」
会いたいと願った人達と、夢幻の世界とはいえ、出会うことが出来た。…いつものように、触れたらすぐ消える幻ではなく、…体温を感じることの出来る、幸せな、夢だった…と嬉しそうに呟くリム。
「…フェンデル・ケイの夢を?」
「!どうしてそれを…」
「はは。やっぱりそうか」
自分の反応に笑うジェイクにカマをかけられたと理解する。そんなに自分は分かりやすいのだろうかと複雑そうな顔をするリムに、また、笑われた。
感情が顔に出やすいのは知っていたが、どうにか出来ないものかと考えてしまう。
「…ん…んん…!あ、リム!!」
寝起きなのに元気だなぁと言葉を零すリムに、氷華は勢いよく抱きついてきた。その反動で、起こしていた身は後ろに倒れ、二人してベッドに転がってしまう。
良かった!と、心配したんだから!と笑う彼女に、とりあえず、退いて…とリム。
「何やってんだよ、お前等…」
眠そうなダルそうな烈火の声。部屋に入ったら氷華とリムが女二人でベッドに抱き合って寝転がっていたら誰だってそう突っ込むだろう。
呆れ顔でジェイクの傍まで行くと、机の上にどかっと座って大口開いて欠伸を一つ。
「おはよう。もう起きたのか?」
「なんか、考え込んでたらさ、そのまま寝たのは良いんだけど、あんまり深く眠れなかった…」
チラッと視線をリムの方に移すと、今度はため息。まだ自分に抱きついている氷華を引き剥がすと神妙な面持ちで
「話があるんだ…」
と切り出した。
彼女のその言葉に氷華は真面目な顔をして、リムから離れた。彼女がこれから何を語ろうとしているのか、漠然とだが、分かっているから…。
(…いきなり烈火が「大変だ!」って部屋に来た時は驚いたけど……どうしちゃったの…?リム…)
「…私は……ジェイク、烈火、氷華…三人を信用して、私の過去を話そうと思う…本当は、誰にも喋りたくないことなんだけど…でも、あんな事があって、覚えてないけど…たぶん、…驚いただろうから…」
驚いたなんてもんじゃない。いきなり何か気が触れたように泣き叫び、暴れ出したリムを目の当たりにした烈火はしばらくあの光景が頭から離れなかったほどだ。
ジェイクには止められたが、リムに問い詰める気だった烈火は黙って彼女の言葉の続きを待った。
「…もう、ずっと昔の事…40年以上前のことなんだ…」
苦しそうに喉から搾り出される自分の声は震えていないだろうか?冷や汗を握り締め、言葉を綴る…。
自分が隔離保護地域の出身であること。そこから旅立つ原因となった、幼い自分に突きつけられた残酷な現実。父の首が胴体から切り離され、絶命して逝ったとなりで正体の分からない男に嬲り殺されかけたこと。体に受けた男の暴力に、忘れたくても忘れられない記憶が今も自分を犯し続け、男が恐ろしくて仕方が無いことを打ち明ける…。
「二度目の奴等の襲撃で、姉は攫われ、母と親友は私の身代わりに犯された…。母は殺され、親友は行方知れずで…私は、死にかけたけど、奴等を殺すために生きながらえたんだ…姉を取り戻すため、親友を見つけるために…私は"伝説の石"を探してるんだ…」
「…何で"伝説の石"なんだよ?」
男達に無理やり犯されそうになったあのシチュエーションでリムが壊れてしまったことは今の話で納得できた。力任せに押さえつけられ、恐怖を植えつけられたのなら、分かる。でも、それとこれとは話が別だ。
何が理由で"伝説の石"が野盗達を追う手がかりだと言い切れるのか、烈火はわからない。
「…姉さんが…セスト・ミセルの意志を引く者だからだ……姉さんを攫ったのは…"伝説の石"を発動させるため……だから、私は"伝説の石"を探すんだ…。世界を救う為なんて、そんな大層なこと言うつもりは無い。…ただ、姉さんとヘレナを見つけたい……救いたい…」
「なるほど、な…」
リムの言葉に、長いため息と共に言葉を発する烈火。ジェイクはただ、無表情にリムを見つめ、氷華は泣きそうな顔をしていた…。
視線が、痛い…。
「…ダンナ。やっぱり、ナシにしょうぜ?」
「烈火?」
何かを思いたったように口を開くと、ジェイクに、そう告げる。何を『ナシ』にしようと言うのだろう?
続けられる言葉に、氷華は激怒した。立ち上がり、烈火の頬を引っ叩くぐらい。
「って…何すんだよ!」
「『何すんだよ』じゃないわよ!何その冷たい言い方!?ジェイクも言ってたでしょ!?嫌なら一人で何処へでも行きなさいよ!!」
その剣幕に、気圧される。怒りで感情が高ぶって、瞳からは涙が零れて…。
リムは、「いいから…」と泣く彼女を抱きしめてやる。
―――こいつが強くなるまで俺等が仲間…てヤツ、止めねー?
烈火がジェイクに言った言葉だった。氷華はリム一人を辛い道に放り出して平気だと言ってる烈火の神経が信じられなかった。確かに、この星ではそんな連中がほとんどだけど、烈火は違うと思っていたから…。
そんな冷たいことを言うはずがないと思っていたから、辛い…と。
「氷華、泣くな…烈火の言うことは分かるよ…敵の正体も分からなければ、手がかりも無い…唯一奴等を追えるモノと言ったら"伝説の石"見たいな"DEATH-SQUAD"に目を付けられるかもしれない秘宝中の秘宝だから…。何も関係ない氷華達を巻き込みたくない…」
「でも、リム…」
「アホか。俺がいつ手を引くって言ったよ?」
勝手に盛り上がるな。と叩かれて赤くなった頬をさすりながらため息を連発する烈火に、リムも氷華も動きが止まる。
「『リムが強くなるまで』じゃなくて、『リムの戦いが終わるまで』に変更しようって言いたいんだろう?」
「ま、そういうこと」
苦笑するジェイクに、烈火が笑みを見せる。
曲がったことが大嫌いだから、納得できないことが許せないから、リムの家族を襲った連中が許せない。隔離保護地域に住んでいたということは、リムの元の戦闘力はHクラスの中でも底辺だっただろうに…そんな彼女達を、何も知らない人達を襲う連中を、叩き潰してやると笑う烈火に、リムは、言い知れぬ感謝の気持ちで一杯になる。
「そういうことだから、長い付き合いになるだろうし改めて、よろしくな」
「本当にいいのか?」
死ぬかもしれないんだぞ?と念を押すが、一歩も引く事のない彼。それどころか、死に場所ぐらい、自分で選ぶからと豪快に笑って…。
ジェイクもそれに異議はないようで…いや、むしろ、はじめからそのつもりだと言わんばかりに微笑んでいて。
「正式に、『仲間』、でいいよな?」
「!…今更だな…、それ…」
茶化すように聞いてくる烈火に、笑ってしまう。
…もう、一人で戦わなくて良いんだ…と、リムは、三人に初めて、ありのままの彼女の笑みを、見せたのだった…。




