そして時は動き出す 第7話
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。《ベリオーズ》様」
見晴らしのいい丘の上に建てられた一軒の豪邸は海を一望できる。
リムの家よりも更に大きい城のような屋敷のベルを鳴らせば、清楚なメイド服に身を包んだ使用人らしき女が笑顔で迎えてくれた。
《ベリオーズ》と呼ばれた人物は、「ありがとう」と微笑み案内されるがままに女の後をついて歩いてゆく。
(本当に豪邸だな…手入れも行き届いてるし、飾ってある物も値打ち物ばかりだ…)
視界に入る物品は、"伝説の石"を探して開いた魔道書や歴史書で見た事があるものばかりだ。
《ベリオーズ》と呼ばれた人物は、美しい赤い短髪が印象的な男…と見間違えてしまいそうなリムだった。腰まで伸ばされた髪はばっさりと切られていて、彼女を知る者には少し勿体無いと思わせるだろう。そして、腰に携えるのは大剣と分類される大きな剣で、細身なその体躯には相応しくなかった。
「こちらでお待ちください」
そう言って通されるがままついた先には、数百人もの男達でひしめきあっているパーティーホール。そこには筋肉隆々の大男から、戦いなんて出来ないだろうといいたくなるほど幼い少年の姿まであった。
たかがボディーガード、志願者なんてせいぜい50人ぐらいだろうと高をくくっていたリムにはこの状況は驚き以外何物でも無い。
(…見たところ、D,Cクラスの生物ばっかりだな……まぁ、大丈夫だとは思うけど、真剣に気を引き締めないと…)
本物の"伝説の石"を手に入れる為に、なんとしてでもカスター卿の末娘のボディーガードに選ばれなければと気合を入れなおすリム。
(後、……男にはなるべく近付かないでおこう…)
不用意に男に触られたり声をかけられるだけで身体が強張って思うように動かなくなる事があるから…。
それはもうずっと昔に受けた心の傷のせい。リムの意思に反して、身体が、恐怖に竦んでしまうのだ。師達は平気だったのだが、他の男に触れられると…昔は町ですれ違うだけでも、リムは動けなくなってしまっていたから。
今では大分マシになったとはいえ、やはり、心の準備なしに触られると息をする事さえ忘れてしまいそうになってしまうのだから、用心するに越した事は無い。
「よう。一瞬誰だかわからなかったぞ」
いきなり肩を叩かれ驚きと恐怖に肩が震える。
誰…と心の中では泣きそうに呟きながら、表情は威嚇しているかのように険しいまま振り返ると、一度だけ見たことのある青年の姿がそこにあった。
逆立った黒髪に赤黒色っぽい瞳の人懐っこい笑顔を見せる、男の姿…烈火だった。
「俺、《煉》って言うんだ。よろしくな」
「…《ベリオーズ》だ。ていうか、お前わざとらしいから」
何が?と分かっていない烈火にリムは笑ってしまう。今から数時間前、別行動してそれぞれカスター卿の屋敷へ潜入しようと決めたのに、これじゃ、別行動をとった意味が無いだろう、と。
烈火は人が多いから大丈夫だろうと能天気。それにリムは緊張感が無い奴だなと思い、また笑う。
リムは《ベリオーズ》、烈火は《煉》、ジェイクは《ディック》と名乗って屋敷にボディーガード志願者として屋敷に潜入し、氷華は《カレン》と名乗って使用人として潜入する。シーザは手のひらサイズのドラゴンに姿を変えて氷華のペットとして付いて来る手筈。
「仲間だってばれたら面倒だろうが」
「いや、バレないバレない。お前心配しすぎ。もっと自然に振舞えよ」
烈火は自然すぎて逆に違和感があると思うが、まぁ確かにこんな大人数いるのだし、たまたま意気投合しましたでも通じるかとリムも思う。
「それにしても、やっぱり目立つな」
その赤い髪。と烈火が言葉を続ける。光系の生物の血の色をした髪は他の誰のソレよりも鮮やかで、美しい。視界に入るだけで、目をそこに奪われてしまいそうなほど赤い髪。
そして、顔立ちもやはり女とだけあって他の男達に比べると何処か色っぽく、元の姿に戻っている烈火は男という感じがするのにくらべ、リムは美男子というよりも中性的な雰囲気をかもし出していた。それが他者の目を攫う。
「オイオイオイ、ここにこれるのは男だけだぜ?嬢ちゃん。可愛い顔に傷付けられたくなかったらさっさと帰って男に媚売ってろよ」
「それとも女の変わりに俺らの相手をしに来たのか?」
突然、烈火とリムの前に現れるのはガタイのいい男達。どうやら、リムに対して飛ばされている野次らしいが、この程度の罵声は予想はしていたから動じる事も無い。というか、実際リムは女だから。
「むさ苦しい奴等だ。視界から消えてくれ」
殺気の篭った眼光で絡んできた男達を睨みつけるリムの表情に、彼女がこんな顔をすると思っていなかった烈火は驚いてしまう。
それは冷たい、凍りついた表情…。
「なんだと!?」
「でかい口叩けなくしてやるよ!!」
リムの放った言葉に逆上した男達が彼女に掴みかかろうとして、烈火は慌ててそれを止めるべく身を割り込ませるが…。
「イテテテテテ…」
伸ばされた手はリムに触れる事も、烈火に触れる事も無く、途中で止まる。何故か分からないが、ただ、男の顔が苦痛に歪んでいるのが分かった。
よく見ると、男の日に焼けた逞しい腕を握り締めている白い手。そして、リム達と男達の間にいつの間にか居る白髪の男の姿。
「下賎な輩こそここにいるべきじゃないでしょう?」
笑顔な上、丁寧な口調なのにも関わらず、威圧感を感じてしまうのは何故だろう。
腕を掴まれた男の苦痛に歪む表情に、その白く細い手は信じられない力で腕を握り締めている事が読み取れた。
「腕一本ぐらいなら、さしつけかえないですよね?」
ニッコリと微笑む男の方が身体は華奢で、リムのように中性的な雰囲気を醸し出しているのに、ガタイのいい男達は「悪かった、止めてくれ」と乞いだす。それに、「口の利き方には気をつけましょうね」と手を離し、男達をリム達の前から去らせたのだった。
「災難でしたね。大丈夫でしたか?」
先程同様の笑顔をリムと烈火に向ける男。ただし、威圧感は感じない。
後頭部よりやや上の辺りで一つに束ねられている白髪は彼の背に届きそうなほど長く伸ばされており、中性的な雰囲気をさらに強めていた。
「ありがとう。あんた強いな。俺は《煉》っていうんだ。よろしく」
「いえ、そんなことありませんよ。彼らが見掛け倒しだっただけです」
握手を求める烈火に笑顔のまま謙遜を言う男に、リムは何処かで見た事があると記憶をたどる。
(何処で見たんだ?つい最近だったような………!!あ!)
「アァ―――――ッ!!」
どうやら思い出したようだ。リムは指を指し、「僕は…」と名乗ろうとしていた男の言葉を止める大声を出してしまっていた。
彼女の声はホールによく響き、何があったんだ?と全体をざわつかせてしまう。おそらくこの中に紛れ込んでいるジェイクは「リムだな」と苦笑しているに違いない。
しかし、そんな事もお構いなしで、リムは白髪の男に詰め寄って、昼間街で会った優男!とまた叫んでいた。
「優男って…ひどいなぁ…僕には帝ってちゃんとした名前があるんですから」
苦笑するのは優男、改め帝。リムの言葉に笑っているという事は、よく言われているのだろうか?
「あ、悪い悪い。《ベリオーズ》だ。よろしく」
二度目まして、だな。と笑うリム。
帝は、昼間自分とぶつかった男だった。もう二度と会う事は無いと思っていたリムには、この再会は奇跡に近いといったところだ。
しかし、帝は首を傾げてみせる。
「何処かでお会いしましたか?」
「え?あぁ、そっか。髪切ったからわからないか…。昼間、あんたにぶつかったんだけど?それも覚えてないか?」
リムの言葉に「昼間、昼間…」と記憶をたどる帝。そして、思い出したと言うかのように手をポンと叩いて見せた。
「あぁ、覚えてますよ。でも…あれ?女性で…」
「!バカ野郎!」
慌てて帝の口を塞ぐのはリム。そして、烈火は誰にも今の言葉を聞かれていないか辺りを見回す。
いきなり口を押さえつけられ、帝は「なにするんですか」とリムの手を退けて恨めしそうに彼女を睨んだ。
「お前、今俺が女だとでかい声で言いそうになっただろ!」
「いけませんか?間違って無いと思いますが?」
小声でぼそぼそと言葉を交わす二人に怪奇の目が向けられているが、気にしない。
開き直る帝に、リムは「男しかボディーガードになれないだろうが」と怒り出してしまって。
そう、カスター卿が愛娘ミルク嬢のボディーガードに募集したのは腕に自信のある『男』だったのだ。氷華のように使用人…メイドとなって潜入する事も考えたが、性に合わないと、リムは男装してボディーガードとして潜入する方法を選んだ。
「どうしてそこまで…お金に困っているんですか?」
「え…?あ――…まぁそんなもんだ」
そう言えば、賃金はなかなか高額だったような気がする。
"伝説の石"を求めてと言うわけにもいかないので、とりあえず話をあわせて金の為と言う事にしておこう。
「…大変ですね。でも、あんなに綺麗な髪だったんですから、売ったら結構な値がついたんじゃないですか?」
帝が言う言葉に、リムはそのとき初めて髪が売れるものだと知る。
「確かに髪は売れるけど、売った後を考えると俺は怖いと思うけど?術系とか"呪い"って相手の身体の一部が必要になる物もあるからさ」
(だから、師匠は髪を切ってもすぐ燃やせとか、身体の一部分だったものは処分しろって言ってたのか…)
リムは烈火の言葉に昔師が言っていた言葉の意味をようやく理解した。あの頃はただ単に言われるがまま、理解しなくても納得していたから。
「それもそうですね。…貴女は女性なんですよね?」
「そうだよ変な気起こして俺の正体ばらしてみろ、本気で殺してやるから」
冗談…を言っている目ではない。リムは本気なのだ。本気で邪魔をする者は殺そうとしている…。
「言いませんよ。そちらにもそちらの事情があるでしょうから」
笑顔で「秘密、ですね」と笑う帝にリムは毒気を抜かれてしまう。リムよりも背が高いくせに、随分色っぽく笑う男だと思う。
三人の中では烈火が一番男らしく、帝が一番女性らしい雰囲気を持っていた。
「…そうだな」
とりあえず、いがみ合っていても仕方ないので納得しておくことにする。何より、この大人数すべてをボディーガードとして採用するわけではないだろうから。いなくなるかもしれない奴にかまっていることはないと思う。
「納得していただけて光栄です。それに…」
帝が何か言おうとした時、会場に一際大きいどよめきが走った。一体何かとリム達も周囲の視線の先を眺めてみると、両隣に体格のいい護衛兵らしき男と女を1人ずつ引き連れた恰幅のいい中年の男が会場に設置してあるステージのに姿を見せていた。おそらく、彼がカスター卿であろう。
「選抜か何かはじまるんだろうな」
「そうですね。さすがにこんなに大人数は要りませんよね」
烈火の隣に立ち、カスター卿の言葉を待つ帝。リムも彼の横に立ち、これから始まるであろう戦いに精神を統一させる。
短く切った髪が微かに揺れるのは彼女の魔力が僅かに漏れ出しているから…。
(魔力のコントロールもお手の物だな…もっと修行を積めば、リムは化ける…)
その様子を後ろから見つめるのは、彼女達を見つけたジェイクだった。長い黒の強い灰色の髪が一瞬だけ色が抜け落ち、銀色に見えたのは気のせいだろうか……?
「ようこそ、集まってくれた。腕に自信のある強者達よ。この度は我が愛娘、ミルクの為に名乗りを上げてくれて感謝する。しかし…まさかこれほどの人数が集まると思ってみなかったので選抜方法も何も考えておらんかったわ」
豪快に笑う姿にしんと静まり返っていた会場に再びどよめきが沸き起こる。まさか、この大人数に選抜しないのか?と。
「心配しなくてもいい。まさかこんな大人数でミルク様を護るわけにもいかないだろう?これからこの中から10人選ばせてもらう」
「選抜方法はいたってシンプル。30ブロックに分かれて一対一の戦いをしてもらう。各ブロックの上位2人に絞り込んでその後、再び戦ってもらう、規定人数に達するまでな。規則はこれといってない。死んでも責任は持たんからそのつもりでいろ」
護衛兵が一歩前に踏み出し、選抜方法を集まった者達に告げる。
要するに殺し合いかと笑う者もいれば、勝ち目がないから帰らせてくれと立ち去る者もいた。
「《煉》君、《ベリオーズ》さん、君達はどうするんです?」
「聞くなよ、もちろん帰らねーぜ。な?」
「当たり前だ。お前も言っただろう?俺には俺の事情がある。って」
そう言い残してリムは戦うべく、ブロックに分けられるくじを引きに前に進むのだった。
「…そうですね……僕にも僕の事情がありますから…」
クスリと零れる笑みは恐ろしいほど穏やかで…。
隣に立っていた烈火が「何か言ったか?」と振り返るが、帝は何も…と首を振り、リムに続いて足を進める。




