強く儚い者達へ… 第1話
「放せ!放せよクソ野郎共!」
「クスクスクス…。全く、なんて口の悪いお嬢さんなんでしょうね。教育がなってないですよ?ミスター・テスティア」
微かな明かりしかない夜の広野に構えている小さな城ともいえる豪邸。
その一室で甲高い女の子の叫び声が聞こえてくる。
まるで肉体を引き裂かれているかのようなその声は轟く雷鳴にかき消され、外に漏れることはなかった。
「は、放せ娘には関係ないはずだ…」
「関係ない…ね。嘘つきはろくな死に方をしませんよ?…フレア、ちょっとそのお嬢さんの口、塞いでおいて下さい。父親の死に様を見せたら我々の耳を使い物にならなくするほどの大音量で叫んでくれそうですからねぇ」
「!やめろ!父さんに何する気だ!クソッ放せぇ―――――――――――――!」
「我々に逆らうとはこういうことです。よく覚えておきなさい。リトル・ミス」
残酷な笑顔に恐怖した。
殺されると予感したその次の瞬間、自分の足下に転がるのは物言わぬ変わり果てた父の生首であった…。
「――――――――――――――ッッッッッッッッッッ!!!」
フレアと呼ばれた男の大きな手が幼い少女の口を押さえつけ喉がつぶれるほどの悲鳴を押し殺させる。
双眼を見開き、血だらけになった父の姿を見つめるその姿は、脳裏にこの悪夢を焼き付けているかのよう。
こぼれる涙に鼻水に、不細工な面構えでかつて父と慕った男の死に様を見届けた。
「何故だ!何故父さんを殺した!?」
手を放せば泣き叫び、喰らいつきそうな勢いで喚き散らすその姿にフレアという男は何かを思い立ったような邪な笑みを見せる。
「…なぁ、スタン。このガキ、どうするんだよ?」
「…好きにしなさい。もう用はありません」
憎悪と殺意の満ち満ちた眼光で自分を見つめる幼子に不気味な笑みを見せ、もう一言「後始末は頼みましたよ」とだけ残し、スタンはふっとその場から消えた。
「ちくしょー!放せ!クソ!放せぇ!!」
どんなに抗っても、たくましい男の腕から解放されることはなった。それどころか…。
「おとなしくしてろ。そうすりゃお前もちょっとは気持ちよくなれるはずだしなぁ」
「な、何を…」
乱暴にその細い体躯を床に打ち付けるように転がし、その上にフレアの逞しい肉体が覆い被さる。
少女の瞳から涙が一瞬引っ込み、次に己の身に降りかかるであろう事態に先程とは別の悲鳴が口から零れた。
衣服を左右に引き裂かれ、露わになる微かに日に焼けた白い肌にまだ成熟していない乳房。
「イヤだぁ―――――――――――!!」
全身全霊を持って抵抗するが、男の腕一本で手の動きを封じられ、男の体重が体を束縛する。
足に当たる男の印に憎悪と嫌悪感と恐怖が一気に込みあがってくる。なのに、この状況下から逃げることは不可能に等しかった…。
「チッ、おとなしくしてろ!人がせっかくイかせてやろうって言ってるのに…」
「はなせ…はなしてぇぇぇぇ」
耳に届くのは男の荒々しい鼻息と体を舐め回す舌の音…。ズボンのベルトを隠し持っていた短剣で切り落とし、下着の中に手が侵入してくる。
どんなに泣き叫んで抗っても、少女に救いの手がさしのべられる事はない。
体つきからしても、まだ十四、五の未来ある彼女の人生はこの日、素性も分からぬ二人の男に踏みにじられた…。
「リム!リム…!」
誰かが自分を呼んでいる…。
聞き覚えのある声にゆっくりと重い瞼を開いてみれば、心配そうに自分を見つめている人物の顔がぼんやりと見ることができた。
「…ヘレナ…?」
「そうよ。リム、私が分かるのね?」
安心したように笑顔を見せる彼女に少女もまた、笑顔を返した。
「私…何で…ここは、何処…?」
弱々しい声で尋ねた疑問にヘレナの顔がこわばるのが分かった。
自分と目を合わそうとしない幼馴染みを不審に思い、リムは手を伸ばす。
「ヘレナ、私を見ろ…。ヘレナ!」
その声に、ヘレナは泣き出しそうな顔をして自分を見つめてきた。
何故そんな目をするのか…?
リムには分からない。まるで、もうこれ以上傷付かないでと懇願しているかのようだった…。
何が彼女にこんな顔をさせているのか、何が彼女の次の言葉を奪っているのか…。リムには分からない…。
「お、おばさま達呼んでくるわね…」
「ちょ…ヘレナ!!」
何かから逃げるように、リム本人から逃げるように彼女は踵を返し部屋から出ていってしまった。
(何があったんだよ…)
一人残された消毒液臭いこの部屋は白というより青白いと形容した方がしっくりくる。
辺りを見回せば、殺風景な空間に鮮やかな色を象徴するように花が生けてある。
腕には数本の点滴、脚をはじめとして全身にはガーゼが…。そこで初めてリムは自分が入院しているという事実に気がついた。
(なんで…私…)
漠然と嫌な予感がする。血が全身を猛スピードで駆け巡り、心臓が五月蠅いほど早く鼓動するのは何かよくないことが起こる前触れ。
(怖い…怖いよぉ…父さん…)
「!と、うさん…?」
何かを思いだしたかのようにリムは顔を上げ、まるで命を狙われている獣のごとく周囲を見渡した。
何があった?何が起こった?
今自分の身に…。
今父の身に…。
今、今、今…。
過去、過去、過去…。
「!!」
『ハァハァハァ…ガキのくせに良い躰してるじゃねーか』
「…ヤダ…」
『声聞かせてみろよ?さっきみたいに叫んでみろよ!!』
「やめ…」
『安心しろ、殺しはしない。お前は俺の慰み物だ!』
「イヤァァァ―――――――――!!」
記憶が、悪夢が脳裏に鮮明に蘇り、自分の受けた辱めが霞むことなく彼女の脳内を侵してゆく。
悲痛な叫び声とともに、大きく見開かれた瞳からは大粒の涙が溢れ、頬を伝い落ちてゆく度、彼女の傷は抉られるように広がっていった…。
心の傷は縫い口などものともせず、ズタズタに引き裂かれて…。
己の身に起きた最悪の悪夢。
父を目の前で殺され、自分は玩具のように扱われて慰み物にされたという残酷な現実。
押さえつけられたあの恐怖感が、無理矢理入ってきたあの嫌悪感がリムの体を一瞬で蝕んでゆく…。
「リム?!」
病室に入ってきた女は全身から血の気が引いていったような気がした。
病室のベッドの上で自身を抱きしめ、カタカタ震えているリムは正気を失ったかのように泣き叫んでいるではないか!
「あぁ…リム…しっかりしてちょうだい…リム…」
「お母さん…リムは…リムはどうなっちゃうの…」
リムの母と姉はイヤだと声を出して救いを求める彼女に近づくと乱暴に扱われたその体躯を優しく抱きしめてやった。
「…触るな…私に触るなぁぁぁ――――――――――――――!!」
完全に我を失っている義娘に母・カグナは声も上げずに泣いていた。
愛娘の受けた陵辱はその幼い命をも奪いかける程のものであった…。
姉であるデュミヌカは錯乱状態の妹を呆然と眺め、その大きな瞳から涙を零し妹をこんなに傷つけた輩を心の底から憎んだ。
幼い少女の受けた暴力は、その命を危険に晒して。そして…彼女から子供を宿す能力を奪った…。
「デュミヌカさん…リムは…」
「ヘレナちゃん…。ごめんね、こんなところを見せちゃって…」
青い瞳に涙を溜めて謝る姿にヘレナは声を上げて泣き出してしまった。
同じ月日の同じ時刻に生まれ、偶然の出会いをした彼女とリムはいつも一緒にいる仲の良い友達だった。
いや、友達と言うよりむしろ姉妹と言うべきか…。
ヘレナにとって大事な大事な親友であるリムの家にいつものように遊びに訪れたとき、彼女はすべてが崩れゆく音を聞いた気がした。
家のドアをくぐれば、そこに広がるのはいつもの平凡な日常ではなく、この田舎町には無縁だと思っていた地獄絵図。
荒らされた室内に、飛び散る血痕。変わり果てたリムの父の姿、そして…衣服を引き裂かれ、体中痣と誰かの跡で汚された親友の姿…。
下肢から血を流し意識を失ったリムにヘレナは思わず逃げ出した。…死んでしまっていると思ったから…。
恐ろしい光景にベッドの中で震えていたその夜、母の口からリムが入院したことを聞いた。
のどかな田舎町にリムの家を襲った不幸な事件は瞬く間に広がっていて。
急いで病院に駆けつけたときには、親友は多くの管で繋がれた哀れな姿に変貌していた…。
その名を呼びかけても、返ってくるのは痙攣だけ。
一体何が起こったのか見当も付かない…。
いや、『何が起こった』かはよく分かっていた。親しみのある親友の父親が首を跳ねられ殺害され、親友は強姦された…。
でも、ヘレナには何故親友の父が殺されなければならなかったのか、親友がその殺人者に強姦されなければならなかったのかさっぱり分からない…。
自分も彼女もこの田舎町から一歩もでたことがなかったからだ。
ヘレナの知る限り、リムの父・テスティアはこの町では一番の剣の実力者だった。
なのに、リムの家に残っていた血痕はリムとテスティアのモノだけで…。
そして、リムの体内には犯人の精液は確認されなかったと近所のおばさんが母と話しているのを聞いた。
つまり、犯人を特定することはおろか、手掛かりすら発見されなかった。
それの意味することは、町一の剣術士をも簡単に仕留められる程の人物だということ…。
「リム…リムごめんね…ごめんね…怖かったでしょ…独りぼっちで寂しかったでしょ…あんな場所に傷ついた身体のままで…ごめんね…ごめんね、リム…あたし、逃げてごめんね…」
何故、あのとき逃げてしまったのだろう?もしかしたら、リムにはまだ微かに意識があったかもしれないのに…。
「ヘレナちゃん、自分を責めないで…それを言うなら私達だってそうよ…あの日、外出さえしなければリムがこんな目に遭うことはなかったのに…」
できることなら代わってやりたい。
気の強いおてんばな妹を大事に思い、愛していたデュミヌカは心底願った。時間を戻して欲しいと…。
病室からは悲痛な叫び声が止まることなく青白い光で包まれた廊下にこだましていた…。
その日の晩、リムは病室のベッドの上に膝を抱えてうずくまるように突っ伏していた…。
「……………あ…………ん…………」
カーテンの開け広げられた個室。母と姉は鎮静剤を打たれたリムを心配しながらも家の後片付けやテスティアの葬儀の準備などのためにいったん家に戻ったらしい。
悪夢に目覚めたリムは昼間のように取り乱すことはなく、小声と何かを呟いていた…。
「…フレア…スタン…フレア…スタン…フレア…スタン…フレア…スタン…フレア…スタン…フレア…スタン…フレア…スタン………」
まるで呪詛のように繰り返される悪魔の名。
リムは表情のない人形のように瞬きもせず枕を静かに殴り続けていた。
瞳から流れる液体。腕に巻かれた包帯には血が滲む…。
(殺してやる…いつかきっと…あいつ等を殺してやる…)
父の敵を取り、自分の誇りを取り戻すために、奴等を殺さなければならない…。
それだけが、幼い彼女に残された唯一の光だった…。