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青い景色に空いた穴  作者: 香久山ルイ
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約束

「一週間以上も眠っていたのかぁ」


 相楽はずっと眠っていたから時間経過の実感が湧かないのだろう。けれど、人思いの相楽らしく、「常連さんたちに心配かけているだろうな」と呟いて、「都合により、休業とさせていただきます」の紙を見やった。


「ごめんね、幸葵くんも。せっかくおうちに連れて行ってくれたのに、途中で倒れちゃうなんて。親御さん、気を悪くしていないかな」

「大丈夫ですよ。両親には相楽の事情も説明していますし、そんなに狭量でもないので」


 むしろ、父に関して言えば、相楽と並べても遜色ないくらいおおらかだと思う。

 そう口にすると、相楽は口元に微笑を浮かべ、ならよかった、と告げる。

 その鶯色の細められた目を見て、改めて思う。美しい。そして、相楽にはやはり、笑顔が一番似合う。




 病室で見たような凍った瞳なんて、もう見たくないと思った。


「さぁて、店をやるにも、もう夕方だしなぁ……」


 相楽が店の前でうんうん悩んでいると、どこからともなく女子高生がやってきて、こちらに目を向けた。


「わっ、あの人の瞳きれー」

「何々、あ、あの鶯色の人」

「そうそう」


 髪色も抜けて、日本人離れした目を持つ相楽は、どうしても人目を惹くようで。俺は寄ってきた女子高生二人にもやもやとした感情を抱きながら、眺めていた。

 相楽は普通に接する。


「わ、女の子だ。ねぇねぇ、花に興味ある?」

「ないことはないけど……お兄さんお花屋さん?」

「そうだよ。興味があるなら入ってみるかい?」

「うん!」


 女子高生たちは上手く相楽に乗せられて、相楽は花屋を開けるのに裏手から回り、戸を開けた。


「わあっ、花の匂い……」


 相楽の育てた美しい花たちはあっという間に少女たちを魅了した。


 やはり花と言えば薔薇なのだろうか。丁寧に棘を削ぎ落とされた薔薇を見て、女子が歓声を上げる。


「ピンクの薔薇とか綺麗」

「あ、リナリアとかあるよ。可愛い」


 リナリアという言葉にぴくりと反応する。俺と相楽が再会するきっかけとなった花だ。

 女子高生たちは花を買いたいというより見たかったらしい。しばらく見物しながら、「この花男子からもらったらまじ萌えるわ」と、妄想トークを繰り出している。

 確かに花贈りというのは普通、女子からというより男子からされるものだ。となると自然に妄想話に花開くというわけだ。花屋だけに。

 ただ、花は気に入ったようで、女子高生たちは「また来ます」と手を振って帰っていった。


「相楽は人気だね」

「違うよ、花を気にいってくれたんだよ」


 相楽はそうやって謙遜するが、やっぱり相楽は綺麗だと思う。


「今日は何が食べたい?」


 店じまいをすると自然な動作で食卓の準備を始める相楽。


「いや、退院してきたばっかりなのに、大丈夫なの?」

「大丈夫って先生言ってたじゃん。体に不具合はなかったし。それより一週間ちゃんと食べてない幸葵くんの方が僕は心配だなぁ」

「う」


 そう言われると、弱い。確かに俺は一週間ろくに食べておらず、相楽に限らず、周りからは痩せただの、頬が痩けただの言われていたのだ。不摂生だったのは否定できない。

 もし、相楽が死んでいたら、後を追っていたかもしれないし。

 料理は自分でも作れるのだが……ここは相楽に甘えてしまおう。

 少し恥ずかしくなりながら、頬をぽりぽりと掻いた。


「豚のしょうが焼きを」

「ん、了解ー」


 一人暮らしが長いからだろう。相楽の料理の腕前はなかなか、というか美味しい。

優しい味がするのだ。


 とんとんとん、と台所からリズミカルな包丁の音がする。それは俺以外に人がいるということ──相楽がいるということを表していて、俺を安心させた。

 失わずに済んだ。それに、やはり相楽の傍にいるのは心地よい。


「そういえば、僕が入院してる間、花たちの世話してくれたの、幸葵くん?」

「え? ああ、はいまあ」


 相楽のいない一週間は、まるで世界がモノクロに変わってしまったかのようなつまらない日々だった。

 そんな中、「ここにいるよ」というように咲き誇っていたのが、相楽の育てていた花たちだった。

 彼らを世話していると、心が落ち着いた。花は何も言わないけれど、咲いた姿は輝いていて、今にも相楽がそこらからひょっこり出てきて、話してくれそうな……そんな幻想に囚われていたんだ。

 けれど、そんな俺の内情より、相楽は花を保ってくれた方が嬉しかったらしい。ありがとう、と言ってきた鶯色の瞳が、やはり一番綺麗だった。


 一週間ぶりの相楽の手料理。

 テーブルに並んだ豚のしょうが焼きと、小鉢のひじき。味噌汁に白米。なんて健康的な絵面だろうか。

 相楽と向かい合って座り、二人で同時に手を合わせる。


「いただきます」


 ほかほかのご飯にできたてのしょうが焼き。相楽は健康志向なのか薄味で、肉だけじゃなく玉ねぎもたくさん入っている。玉ねぎの甘味で更に箸が進む。

 ひじきも程よく戻っており、一緒に入った人参などにもちゃんと味が入っていて美味しい。


「ふふっ、美味しそうに食べるね、幸葵くん」

「だって美味しいんですもん」


 それに一週間ぶりの相楽の手料理だ。不味いわけがない。

 一週間前、せっかくだから家にいたらどうだ、と両親から勧められたが遠慮した理由の一つである。

 父も母も、料理ができないわけではない。だが、母がかなりの冒険家で……父と幾度死線を潜ったかわからないのだ。

 だから、こんな平凡な料理でも美味しく感じる。もちろん、相楽が作ったからだろう。


 夕食を食べ終わると、自然と相楽が片付けようと立つのだが、異変はそこで起こった。

かたんっ

 勢いのいい音は鼓膜と一緒に俺の不安を揺さぶった。幸い、食器も落ちず、相楽に怪我はないようだったが、相楽が床に崩れて、動かなくなったのだ。


「相楽!?」

「あー……」


 曖昧ではあるが返事があった。意識はあるようだ。歩み寄ると、相楽は少し苦い表情を滲ませて笑っていた。


「どうしたんですか?」

「ごめん、なんか右足が……感覚がない」


 これはどういう異常だろう、と疑問に思ったが、相楽が「たまにあるんだ」というので流してしまった。

 俺たちはもう三十路も後半に入ろうとしている。少しずつ、体にガタが出始めてもおかしくはないのだろう。

 そう考えながら、俺は相楽の代わりに皿を片付けた。


 洗い物を終えて戻ると、相楽がソファに寝転がっていた。

 なんとなく、悪戯心が芽生え、唐突に相楽の上に覆い被さり、鼻先にちょん、と口付けた。相楽は一瞬何が起こったかわからないようで、目を白黒させていた。


「油断してると、襲っちゃいますよ?」


 そんな警告をしてみると、相楽はほわりと笑って、でも幸葵くんならいいかな、と言ってのけた。その返事に俺が赤面したのは言うまでもない。相楽を動揺させるために言ったのに、自分が動揺していたんじゃ、世話ない。

 全く、と鼓動が高鳴るのを鎮めるよう、胸に手を当て、深呼吸する。……相楽は心臓に悪いことを言う。

 悪戯じゃなくて本心なのが厄介だ。……けれど、それが嬉しい自分もいる。

 相楽が自分を想ってくれている。それだけで俺は満たされてしまうのだ。

 単純だな、と思うが、相楽とは今のこの関係が一番心地よいのだと思う。やっと想いが通じ合った今が。




 だからもう二度と17年前のようなことはしない。そう心に決めた。


「あはは、でも、本当に動けないや」


 右半身が痺れたように動かないらしい。どうにか動いてソファに寝転がった状態だと言っていた。冗談とはいえ、悪いことをしてしまった。

 お詫びと言っては何だが、俺は腕まくりをし、相楽の体に手を当てた。


「ん、幸葵くん?」

「相楽、俺が神童だったって忘れてるでしょう?」


 神童。そう呼ばれるに至るまで、紆余曲折あった。取れる資格という資格を取っておいたり、プロから色々学んで技術を身につけたりした。原因は挑発してきた母にあり、それに乗った俺にもある。

 ただ、自画自賛にはなるが、あらゆる分野で、それなりの技術を身につけてきたのだ。例えば、マッサージとか。

 いくらか相楽のリラクゼーションになるなら、と俺は相楽の体を揉みほぐし始めた。


「んー、幸葵くんの手、気持ちいい……」

「それはよかった」


 うっとりした様子の相楽の声。どこか艶っぽくて、そそられてしまう。はあ……相楽はどこまでも綺麗で、やっぱり、俺だけのものであってほしい。


「こんなに気持ちいいのは初めてだよ」

「そうですか」


 相楽の初めての感情や出来事が俺のものになっていくたび、俺の中の歪んだ独占欲が充足されていく。俺は俺で単純だ。

 その上で相楽のためになるのなら、これ以上のことはないだろう。相楽が「だんだん痺れが取れてきた」と口にする。二十分もじっくり揉みほぐせばもう、動けるようになっていた。


「ありがとう。幸葵くんのおかげだよ」

「いえいえ」


 俺が君からもらっているものに比べたら、こんなの微々たる恩返しにしかならない。

 それでもいいんだ。相楽が笑ってくれるなら。

 相楽の笑う未来を、俺は守りたい。


 んー、と相楽が軽く伸びをして、それからお風呂に入ろうか、と提案してきた。

 一緒に、というところを何故か譲らなかった。俺としてはこう……恋愛感情を抱いているから、恥じらいというものがどうしても生じてしまう。




 それに。


 俺にはあの事件以来、自傷という悪癖がついてしまった。自分の衝動を抑えるための反りだと思う。そんな感じで、体の至るところに傷があるのだ。古かったり、新しかったり……そういうのを、相楽に見せるのは気まずいし、何か違う気もした。

 きっと、俺の傷を見たら、相楽は心を痛めるだろう。それから、ここにはいないが……相楽の弟の哀音くんなんかがいたら、こうも言われそうだ。「そうやってあんたは自分に浸ってんだ」──きっとそういう。それが耳に痛い。譬、自分の想像に過ぎないとしても、だ。


 そういうわけで、相楽に素肌を晒すのは躊躇われたのだが、そんなことを知らない相楽は「男同士なんだから、気にしなくていいじゃない」と相変わらずのお気楽思考だ。そういうところも嫌いじゃないんだけど。


「相楽、相楽は俺を恋愛対象として意識してくれてる?」


 ふと気になって聞いてみた。相楽は誰にでも「like」を振り撒くような人間だ。俺に対しても「like」だったらちょっと傷つく。

 すると、相楽は何を思ったか上半身だけ脱ぎ、その華奢にも見える胸板に俺の手を取り宛がった。少し温かく、とくんとくんと少し速いような鼓動が感じられる。


「これでわかる、かな」


 そう言った相楽の顔は赤らんでいた。そうまでされてわからないほど、俺は鈍くない。


 相楽も、恥ずかしいのだ。ただちょっと臆病な俺の代わりに勇気を出してくれているだけで。

 それがわかると、俺は衣服を脱ぎ始めた。


 それから二人で互いの体を洗いっこして、頭も洗ったりなんかして。相楽がいきなりお湯をかけてきたり悪戯なことをしてきたけれど、二人で笑い合えることが嬉しくて堪らなかった。


 問題は湯船である。

 二人で入るには、ちょっと狭い。

 肩をぎりぎりまで寄せあって、やっとだ。やはり近いと少し気恥ずかしさが表れる。


「幸葵くん、顔赤いよ」

「相楽だって」


 言い返すと、相楽は突拍子もなく、抱きついてきた。

 狭い湯船の中、逃げることもできずに驚いていると、相楽の髪が首筋にさわりと触れる。


「こっちのが温かい。しばらくこうしていよう」

「ええっ」

「幸葵くんだって、温かいでしょ?」


 まあ、否定はできない。

 積極的だな、と思いながら、俺はゆっくり、相楽の肩に手を回す。確かに、ぴったりとくっついてしまった方が、温かくて心地よい。


「そういえばさぁ」


 少し舌っ足らずな相楽の声が言う。逆上せているのだろうか、と顔を覗いたが、いつものようにへらへら笑っていてよくわからない。

 ひとまず、相楽の言葉に耳を傾けた。


「幸葵くんって、料理できるよね」

「まあ、そこそこに」


 冒険家の母がいたのだ。料理はできなければ死活問題であった。

 何故今料理の話をするんだろう?


「あのさ、今度暇なときでいいからさ

 ……幸葵くんの手料理、食べたいな」


 肩に寄りかかった状態からの上目遣い。君は女子か、と思うようなあざとさだ。まあ、相楽はわざとやるような柄じゃないが。

 そんなに可愛く可愛いことを言われてしまったら、断るなんて、できるはずがない。


「いいですよ。もうすぐ土曜日ですから、相楽の快気祝いも兼ねて、やりましょう」


 わぁいと無邪気に喜ぶ姿はやはり可愛くて、こっそりそちらを向いて、手近にあった額に口付ける。

 すると、相楽はむう、と唸り、唇を突き出す。

 ……この流れでこの意味がわからないやつがいたら、とりあえず殴ってやりたい。

 少しの躊躇いの後、そこに唇を重ねる。相楽の唇は薄くて、ちょっとシャンプーの香りがした。慣れていないのだな、という感じがして、俺の独占欲を満たす。


「ぅ、ん……」


 相楽から甘い吐息が零れたのを吸い取るように深く重ね、いけないとわかりながら、独占欲を充足していくことに執着してしまった。


 しばらくして、離れると、今度は俺が悪戯っぽく微笑む。


「満足?」


 すると、相楽は少し恥ずかしそうに肩を竦めてからゆっくりこくりと頷いた。


「ありがとね」


 耳元で囁かれた言葉に苦笑する。

 ありがとうなら、俺の方がたくさんしなくちゃならない。

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