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青い景色に空いた穴  作者: 香久山ルイ
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拒絶なんて

 僕は優作さんと、リビングから少し離れた部屋に来ていた。


「ここの整理は大体葵さんにやらせているからねぇ……」


 曰く、幸葵くんが元々いた部屋らしい。幸葵くんはあの事件依頼、家に帰ると籠ることが多くなったらしく──元々籠り気味だったのに、拍車がかかったらしい──あの事件のことや幸葵くんの心がある程度整理がつくなり、出ていってしまったという。少しの衣類など、必要最小限のものを持って。大学を卒業するより前。その辺りから幸葵くんは一人暮らしを始めたのだという。


「幸葵には、ここに残した荷物は売るか捨てるかしてくださいと言われたんだけどね、そんなのは勿体ないから、残しておいたんだ」

「捨てるって……」

「きっと、忘れたかったんだろうね。ほら、あった」


 優作さんが整えられたブックエンドの間から、一冊を取り出す。そこにはアルバムとシンプルに英語で書かれていた。


 埃一つないそれは保存状態もよく、大事にされていたのがわかる。

 ページを捲ると、驚いた。褪せた様子のない写真たち。手入れが行き届いている。

 そこには僕が知っているより遥かに小さい、幸葵くんがいた。夜闇のような黒髪に星のような琥珀色を宿す瞳。幼い頃からこの容姿だと、さぞや人目を惹いたことだろう。

 僕の目も、写真一枚一枚に惹き付けられて、ページを捲る手はゆっくりとしていた。


「幼い頃の幸葵はね、葵さんにけしかけられて、ええと、何だっけな……そう、神童と呼ばれるようになったんだよ」

「けしかけ……?」

「挑発された、とも言うかな。葵さんは一癖も二癖もあるから」


 あはは、と乾いた笑みを浮かべた優作さんが遠い目をする。

 なんとなく、葵さんを思い浮かべる。ここに来てから、僕の印象としては他人を煙に巻くようなものがある。

 巻かれた煙にどんな効果があったか知れないが、それが幸葵くんを育てた一部なのだろう。


「そういえば、幸葵くんは葵さんに似ていますよね」

「ああ、よく言われるよ」


 生まれたときも、なんとなく自分より葵さんに似る、と予感したらしい優作さんは、葵さんから一字取って「幸葵」と名付けたらしい。「幸せ」という字を合わせたのは、「葵さんを幸せにする」という誓いも込めたのだそうだ。

 本当におしどり夫婦というか──おしどりが浮気するのはさておき──溺愛夫婦、は言い過ぎか。相思相愛な方々だ。


「母親似の男の子は美人になるって言いますもんね」

「相楽くん、それは父親似の女の子は美人になる、の間違いだよ……」


 そうなのか。てっきり逆だと思い込んでいた。

 それにしたって、幸葵くんは僕の言った格言の方をしっかり再現している。葵さんと同じで、ミステリアスというか。


「あ、でも」


 写真の幸葵くんを指で示す。

 優作さんはかくりと首を傾げた。


「目はお父さん似ですね!」


 僕がそう告げると、優作さんはきょとんと擬音がつきそうな目をした。

 しばらくその状態で固まった後、口を開く。


「それは始めて言われたよ」

「えっ、そうなんですか?」


 問いかけると、優作さんは困ったように目を細め、軽く白髪の混じった茶髪を弄る。細められた目は光を返し、本物の星のような光を灯した。


「葵さんがあの調子で、幸葵の性格がそれに引っ張られていって……だから、葵さんに幸葵が似てると言われたことがあっても、私に幸葵が似てると言われたことはなかったかな」


 でも、そうか……と感慨深そうに優作さんは写真を見つめる。


「やはり、幸葵は私の子でもあるんだね」

「当たり前じゃないですか」


 僕が間を置かず返すと、優作さんは嬉しそうに目を細め、ありがとう、と言った。


「そういえば、これリビングに持ってかなくていいんですか? 僕たちばっかり楽しんでいても……」


 ふと、疑問をこぼすと、優作さんは苦笑した。


「きっと幸葵は君の前で昔の自分を晒されたくはないだろうよ。なんだかんだ、葵さんがからかうだろうしね。

 それに、葵さんは葵さんで幸葵と積もる話があるだろうから」


 なるほど、と頷く。リビングを出る際のアイコンタクトはそういう意味だったのか。

 一瞬でその意を汲み取るとは。以心伝心とはまさしくこのことなのだろう。




「僕は、まだまだですね」


 ふと、そんな言葉が舌に乗って出た。優作さんがん? と疑問符を浮かべる。僕は続けた。


「あの事件は、僕が幸葵くんの気持ちをわかっていなかったから起こった……幸葵くんに罪を着せたのは僕も同然なんです。

だから、僕も幸葵くんのことをわかるようにならないと」


 そう、僕はわかっていなかった。幸葵くんの好意も、幸葵くんの行為の意味も。

 考えようとせず、ただのうのうと過ごしていたから、あの事件が起こったのだと思う。

 幸葵くんは後悔にまみれて、あの日を一人で背負おうとしている。




「でも、本当は僕も一緒に背負っていくべきなんです」




 そう宣言すると、優作さんは難しい顔をした。しばらく考え、それから僕の肩にぽん、と手を置く。


「私は君のその考えを否定はしないよ。君が幸葵を受け入れるなら、それだけでも幸葵は幸せになれるだろう。いつか、私たちが望んだように」




 けれどね、と優作さんは言いづらそうに続ける。




「寛容なばかりじゃ、苦しいだけなこともあるんだ。ちゃんと見極めて、幸葵がまた過ちを起こさないように、拒絶してあげることも必要なんだよ?」


 拒絶。


 僕の中にはあり得ない言葉だった。否定も同様に。皆が口を揃えて言う、僕が寛容だ、という言葉の反対側にある、というのは知っていた。






 拒絶なんて、したことがないからわからない。


 そう思った瞬間、記憶の中で何かが弾ける。




「いらないいらない、僕はもう何もいらない××、もう僕に何も与えてくれなくていい! もう、僕なんかいらないんだから!!」




 記憶が瞬いて、その中で僕は誰かに叫んでいて、そして確実に──






 誰かを、その行動を、拒絶していた。




 紛れもない僕の声。拒絶なんてしたことがないと思っていたのに、耳に焼きついて、これはお前の記憶だと、誰かが唱える。

 お前は拒絶ができる。ほら、拒絶したことがあるだろう? と。




「ちが、う……」

「相楽くん?」


 訝しげな優作さんの声など耳に入って来なかった。


「違う違う違う違う違うちがぁうっ!!」




 僕はただ、獣のように吠えて、記憶を否定して──それからぷつりと意識が闇に呑まれた。


 その咆哮はリビングにいた俺と母さんにも届いた。

 俺は最初、その声が誰のものかわからなかった。相楽の声はいつも穏やかで静かで、それでいて楽しげに弾んでいて、負の感情が漬け入る隙なんてないはずの声だ。

 それが何かを否定しながら絶叫し、やがてぷつりと途切れる。物語が終わって、糸から解放されたマリオネットのように。

 どさり、と少し遠いところから、音がした。何度か聞いたことのある、質量の伴う音。──人が倒れる音だ。


 俺は母さんと一度目を合わせ、それから二人で音のした方へ向かった。昔の俺の部屋だ。

 そこそこ綺麗に整頓された部屋の中で、床に倒れ伏す相楽と立ち尽くす父さんがいた。父さんは母さんが肩に触れるとはっと意識を戻す。


「これは、どういうことです?」


 父が相楽に危害を加えるとは考えがたい。その予想に違わず、父は「私にも何が何だかさっぱり」と答えた。

 とりあえず、気を失っているだけらしい相楽をベッドに寝かせた。

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