準備と記憶
幸葵くんの実家に行くという予定は今度の土曜日に決まった。土曜日なら心おきなくゆっくりできるからだそうだ。
花屋も臨時休業を掲げた。
菓子折とかいるだろうか、なんてそわそわしていると、幸葵くんがこちらを向く。
「どうしたんです、相楽? なんかそわそわして。まさか、小学生の遠足前日よろしく眠れないか心配なんですか?」
「小学生じゃないもん!」
ちょっと打ち解けてから、幸葵くんはなんだか毒舌というか辛辣というか。それをさらりと言うものだから、こう胸がもやもやする。
仕方なく、幸葵くんに菓子折の相談をしてみた。
「そんなに畏まらなくてもいいとは思いますけど……」
と幸葵くんは口にしつつ、母の趣味が紅茶と珈琲だという助言をくれた。なるほど、紅茶と珈琲に合うお菓子を持っていけばいいかな。
じゃあ、
「クッキー作ろう」
「相楽突然どうしたんですかその女子力は」
女子力、という言葉に、何か引っ掛かりを覚える。……頭が痛い。
こめかみを押さえて痛みに耐えていると、幸葵くんは訝しげにこちらを覗き込む。
「相楽?」
「あ、大丈夫だよ」
咄嗟に笑顔で答える。正直にちょっと頭が痛かっただけ、と告げると、それ以上の追及はなかった。
なんで女子力なんて一般的な言葉が記憶に引っ掛かったんだろうなぁ。
……記憶に?
よくわからない。まあ、いいや。
そうやって深く考えずに僕は台所に向かった。
バタークッキーなら珈琲でも紅茶でも合うだろう。
「バター適量、小麦粉適量、ベーキングパウダー適量って感じかな」
「随分適当ですね!?」
またしても幸葵くんに驚かれた。
僕は笑顔でこう返す。
「安心して。僕の勘はよく当たるから!」
それって安心材料になるのか、と頭を抱えた幸葵くんはよそに、僕は工程を進めていく。
そういえば誰かのために何かを作るのは久しぶりだなぁ、と考えながら作っていく。
そこでふと、また引っ掛かる。
前に誰のために作った?
記憶の欠如が激しいと、こういうなんでもないような疑問が妙に引っ掛かるようで、僕は篩の手を止めた。
どうしたんです? と問いかけてくる幸葵くんに答えることもなく、僕は考えた。
僕は大切なものを忘れている。
「……ら、がら、さがら」
幸葵くんに肩を揺さぶられ、はっとした。
どうやらぼんやりしていたようだ。
「ん? どうしたのさ、そんなに僕の名前呼んで。僕が愛しくでもなったのかな?」
「なっ」
軽くからかうと幸葵くんは憤慨したのか、恥ずかしかったのか、顔が真っ赤になる。
全く……という呟きをくすくす笑いながら聞いた。
クッキーも作り終わり、準備万端だ。
幸葵くんに試食もしてもらったところ、OKをもらえたし、今夜は安心して眠れるね。
ホワイトボードに忘れないようにメモしておかないと。
「明日、幸葵くんの家、クッキー忘れず」とメモをしていると、幸葵くんに不思議がられた。
「相楽はよくメモを取っていますよね。昔はそんなでもなかったんですが……」
「それはあれだよ。僕、忘れっぽいから」
昨日のことも満足に覚えていられないからねぇ、と告げると、幸葵くんは神妙な面持ちになった。
そんな、幸葵くんが悩むようなことではないと思うんだけどなあ。
今日来たお客さんの名前をメモしたメモ帳をぱたりと閉じると、なんだか一日が終わったような気がする。
そういえばここ数日、常連だった汀さんが来ていないけれど……
ひとまず、明日を楽しみに幸葵くんと狭いベッドで二人横たわる。
「おやすみなさい」




