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青い景色に空いた穴  作者: 香久山ルイ
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第三の事件

「白崎先輩も麦茶どうです?」


 それが彼と俺との最初の会話だったかもしれない。


「もらいます」

「どうぞ」


 紙コップまで準備していたとは用意のいい。阿呆っぽい女子が「女子力」といっていたのも頷ける。

 冷たい麦茶を味わいながら、胸に苦いものが去来する。

 西園とかいう後輩が、彼と同じように屈託なく笑うからだ。

 鶯色の目をした彼──相楽も笑顔でありがとう、と紙コップを受け取っていた。




 自分の前を通りすがったことで気づいたが、最近気になっていた相楽についている匂いの一つは西園という後輩のものだ。

 朗らかで他人と壁を作らない。俺とはまるで正反対の人物だ、西園は。──相楽によく、似ている。




 少し、不安になった。

 西園に笑顔を見せる相楽に。もしかしたら、俺じゃなく、相楽に必要なのは西園のような人間なのではないか?






 だが、俺はそんな疑問をすぐに掻き消してしまうほどの愚か者だった。傲慢といってもいい。

 俺は結局、相楽が好きなのだ。


「それにしても、ひどいことをする人がいたもんですね」


 西園が皆に麦茶が行き渡ったところで口火を切った。ひどいこと、とは、今整地したばかりの花壇のことだろう。今朝、荒らされていたらしい。

 手折られた花たちに相楽が痛ましげな表情を浮かべていたのが脳裏に焼きついて離れない。同時、怒りに腸が煮え立つ。相楽にあんな悲しげな表情をさせるなんて、許せない。


「本当、何なんだろうねぇ」


 相楽は嘆息するのみだ。相変わらず、鈍い。

 これは明らかに嫌がらせだ。相楽に対する。いじめといってもいい。

 ただ、俺は俺が守るべきは相楽であって、緑化委員のこの三人ではない、と断じたから、相楽へのいじめについては口にしなかった。






 俺が守ればいいと思っていた。

 俺だけの相楽なのだから、弱味まで全部知っているのは俺だけでいいと思った。もっとも、相楽は以前からのことも含め、いじめと思っていないらしいが。




 この判断が正しかったのかはわからないまま、時は過ぎた。


 夏。高校三年生にとって、勝負の時期といってもいい時期が近づいていた。




 梅雨明けが宣言されたばかりの朝。にわかに暑い日差しの中、僕はシャツの第一ボタンを開けつつ、花の様子を見た。


「よしよし、順調」


 花は新しいものを植えた。以前と同じくマリーゴールドだ。華やいだ色があっていい。

 元気に太陽を浴びるその姿に今日も元気をもらって一日が始まる。




 が。




 その一日は些か異常から始まった。

 というのも、下駄箱を開けると、大量の手紙が雪崩れてくる。え。ナニコレ。

 幸葵くんのとこと間違えたかな、と思ったが、出席番号順に並ぶ下駄箱、「白崎」と「汀」ではあまりに遠い。

 それでも一応、下駄箱のネームプレートを見る。そこには寸分違いもなく「汀相楽」と刻まれていた。




 ということは、この大量の手紙は全て僕宛てということになる。

 どういうことだ。


 非常に残念なことなのだが、僕はこんなにラブレターを貰う覚えはない。まあ、今は恋愛より花を育てることで充実した人生を送っているのだからいいけれど。

 はらりと落ちた数枚。見るとそこにはシンプルにただ一言、




「死ね」




 と書いてあった。

 近年の若者はボキャブラリーに乏しい節がある、と嘆く半面、そのたった一言がずしりと重く胸にのしかかった。

 シンプルだからこそ、胸に刺さるものがある。

 机を塗り潰した落書きよりそのたった二文字が重く響いた。




「死ね」


 その二文字を、書いた人は一体どんな思いだったのか。わかりやすい悪意の言葉に僕は悩んだ。

 僕は知らないうちに誰かを傷つけてしまっていたのかもしれない、と。どれだけ努力しているつもりでも、人を傷つけてしまったのだ、と。

 見たところ、同じ筆跡で書かれていることから察するに、同一犯なのだろう。当然、書いた人物の名前はない。

 僕は苦い思いを胸に抱えながら、手紙を拾い集めて、ごみ箱に放った。


 しかし、それだけで終わるほど、世の中は甘くなかった。




 朝、机の中にかさりとした感触。紙だ。

 まだ誰もいない教室で恐る恐る、それを取り出して見る。どこか見たことのある便箋だ。

 ふと、ある一場面が蘇る。




 それは北見さんが幸葵くんにラブレターを渡したときのことだ。

 幸葵くんは北見さんの目の前で、ラブレターであろうその便箋を引き裂いた。

 鈴音ちゃんのときも思ったけれど、幸葵くんのそういうところは容赦ないと思う。よりによって目の前でそれとは。もっと柔らかなやり方はなかったのか、と他人事ながら思ったのをよく覚えている。


「なんで席が隣なのに直接口に出すこともなく、こんな回りくどい方法で告白しようとするんです? 真正面から向かって来られないような人間と付き合う意味なんて俺にはありません」




 そんな冷たい言葉と共に蘇るのは、引き裂かれた便箋。






 ちょうど今、僕が持っているものと同じだ。


 誰も来ないことを確認し、僕は便箋を開く。

 そこには端的に、




 やはり、






「死ね」






 とあった。

 黒いその文字に込められた思いから目を逸らすように、僕はごみ箱へ向かった。

 捨てることに迷いはなかった。

 が、運命の神様というのは悪戯でそういうタイミングで、一番見られたくない人物を送ってくる。


「どうしたんです? 相楽」


 席替えでどういう縁かまた前後になった彼は明らかに僕の手にする便箋を見咎めていた。

 僕はいつも通り、へらりと笑った。


「いやぁ、僕にも春が来たのかなぁ。ラブレター? みたいなのが入ってたから。困っちゃうよねぇ」


 それとなく、恋愛する気がないと込めて、僕は言い放つと同時、便箋をごみ箱へ放った。三角の頂点を軸にぷらんぷらんと緩く揺れるそれの音が沈黙を満たした。


 俺はどれだけ相楽に拘っているのだろうか、とふと思う。

 相楽がラブレターだと言って捨てた便箋になんとなく引っ掛かるものを感じる。

 一つはいじめの可能性。

 もう一つは本当にラブレターだったらという可能性。

 前者は犯人を突き止めてそれなりの報復をしてやろうと考えるのが当たり前。

 もし、後者だったなら……差出人を完膚なきまでに叩きのめしてやる。もう相楽にそんな感情を抱かないように。




 俺が相楽を守るのは当然だ。

 何故なら相楽は俺のものなのだから。他の誰にも譲るものか。

 それが異常と言われようと。




 俺は昼休み、それとなく、ごみを捨てるふりをして相楽が朝に捨てたラブレターとやらを拾う。安易に破かないところが相楽らしい、優しさの表れのように思えた。

 少し埃を被ったそれには、こう書いてあった。




「死ね」


 なんて幼稚で端的で下らない言葉なのだろう、と俺は思った。

 相楽のことだから、これもあまり気にかけていないにちがいない。

 何も知らない相楽。




 けれど、そのままで幸せなら、それでいいじゃないか。

 けれど、これはまだまだ始まりに過ぎないような気がして、俺は警戒心を高めることにした。




 使っている便箋には心当たりがあった。自慢ではないが、記憶力はいい方だ。何週間だか何ヶ月やら前に俺も見た。

 確か、持ち主の名前は北見ゆき。俺がばっさりと告白を切り捨てたことはまだ記憶に新しい。

 つまり、相楽への嫌がらせに北見が一枚噛んでいると見て間違いないだろう。相楽に嫌がらせをしたところで、俺への仕返しにもなるまいし、何故そうするのかは全くわからない。






 ただ、俺の相楽に手を出すなら、容赦はしない、と誓った。



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