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青い景色に空いた穴  作者: 香久山ルイ
21/67

昼休み

 無事に進級して、僕たちは三年生になった。

 秋弥くんは二年生だ。

 夏帆さんが秋弥くんと同じ学年になるということはなかった。

 ……夏帆さんの留年回避のために勉強会が開かれたことは言うまでもないだろう。

 ほとんどクラス替えがなかったため、大体同じ面々となった。

 けれど、担任だけ変わったため、結局恒例の自己紹介になる。全員飽き飽きしたような表情で適当に挨拶をしていく。

 そして今年も幸葵くんに自己紹介が回ってきた。




「白い崎、幸せに葵と書いて白崎幸葵です」




 去年よりも簡素になって、10秒も経たないうちに席に着く辺りはもう幸葵くんらしいとしか言い様がない。

 もう少し情報のほしい女性陣なんかは熱い眼差しを注いでいるが、幸葵くんはどこ吹く風である。


 ただ、なんとなく幸葵くんを眺めていたら、ふとした拍子に目が合って幸葵くんが微笑みかけてくる。僕も微笑み返す。




 一年での関係の変化はそんな感じだ。


 もう就職か進学かなんて、大体の人が道を決めている。

 就職の僕と進学の幸葵くんが同じクラスになれたのは奇跡としか言い様がないだろう。

 出席番号順のため、幸葵くんとは少し席が遠い。ただ、昼休みになると訪ねてきてくれるので、それが嬉しかったりする。




「そろそろ桜がいい頃合いだよね」

「桜か……相楽似合うだろうな」

「ええっ」




 幸葵くんは想像しているのか少し上目になっている。




「うん、きっと鶯色の瞳は映えるし、花言葉が『精神の美しさ』なんて、相楽にぴったりじゃないか」




 やだなぁ、照れるじゃないか。

 照れ隠しに幸葵くんの肩をてしてしと叩きながら言い返す。




「そういうのは女の子に言ってあげなよ」




 するとむっとした様子で幸葵くんは頬を膨らませた。なんだかんだ言って可愛い表情をするものだ。

 幸葵くんがぼそぼそ告げる。




「本当のことを言っただけ……」


 精神の美しさ、なんて言葉を贈られるのは嬉しい。けれど僕には勿体ない気もした。

 そういう口説き文句みたいなものは、異性に対して言うものだと思う。

 幸葵くんには言い寄ってくる子がごまんといるだろうし。




「相楽だから言うのに」

「僕に言ってどうするのさ」




 僕は苦笑いしか浮かべられない。

 現に、幸葵くんは気づいていないだろうが、幸葵くんの机にそっと手紙を忍ばせた女の子がいる。幸葵くんの隣の席だ。去年も同じクラスだった子で、名前は北見さんといったか。

 男子陣の間では有名な子らしい。それこそ、桜みたいに綺麗なんじゃないかな。確か下の名前はゆきで、名は体を表すとはこういうことか、というくらい肌が雪のように白い。

 それとなく話題にしてみる。




「ほら、北見さんとかどうなの?」

「雪は空気中の塵を含んだ固形の水分です。それを綺麗という人の審美眼を疑いますね」


「ごみって、ひどいなぁ」

「相楽、俺はそこまで言ってません。空気中の塵と言っただけです」




 同義じゃないか。塵とごみなんて。

 僕だって勉強はしているんだぞ。ごみを漢字で書くと塵になることくらい知っているんだからね。

 それに、日本の四季を楽しむ文化を否定しているじゃないか。冬は一面の雪を指して銀世界といって美しいと称えるのだぞ。

 反論すると、幸葵くんは、




「一面の塵芥じゃないですか」




 更にひどいことを言う。

 まるで日本人全員の審美眼が狂っているみたいじゃないか。




「じゃあ幸葵くんは雪を綺麗だと思わないの?」

「ごみを綺麗という方がおかしいんです」

「あっ、今ごみって言った!」

「揚げ足を取って得意にならないでください」

「事実じゃん」




 ちょっとした口論になる。

 周りがざわついていることなんて気にならなかった。

 どうやって幸葵くんを言い負かそうか、そればかり考えていた。


「そもそも中国には美しいものの代表として『雪月花』っていう言葉があるんだよ?」

「中国人の審美眼がおかしいのは明白じゃないですか」

「それ中国人に失礼だからね。地球上の人類の大部分を敵に回しているよ?」

「それがなんですか。雪が塵を孕んだ水分という事実は変えようがないじゃないですか」




 ああ言えばこう言うといった具合の論争が、ぐだぐだと昼休みを浪費していく。

 いつの間にか野次馬で人垣ができていたが、そんなことはどうでもよかった。




「雪月花という言葉を考えた人は雪が塵を孕んだ水分なんて知らないの。純粋にものを美しいと捉える心のどこが間違っているっていうのさ」

「昔の人は雪を溶かして飲料水として飲んでいたそうです。それでも水を濾過する技術はあった。つまり雪にごみが含まれていると知っていたんですよ」

「じゃあ論点を変えるけど、南極の雪は? 南極の雪は空気中の塵を含まない純粋な水分だって話だけど?」


「南極は南極でしょう。別世界です」

「いいやおんなじ地球にあるんだから変わりないよ。さあ論破できるものならしてみせてよ。南極の雪は綺麗じゃないの?」




 そこで幸葵くんが押し黙った。言い合いだったのが収まったことにより、頭が少し冷静になる。

 ──なんでこんな話になったんだっけ?




 まあ、いいや。

 って、気がついたら周りに人がたくさん集っている!?いつの間に。




「すげぇ、白崎より優勢だぞ」

「賭けねぇ? どっちが勝つか?」

「黒目じゃねぇぞ。外国人? まさかの」

「なんでもいいや、鶯色に一票」

「あっ、先に選びやがって!」

「こらそこ!」




 僕は筆入れから取り出した消しゴムを二つ、賭け事の話をしていた二人にそれぞれ投げる。ナイスコントロールとか言って口笛を吹いたやつにも投げてやりたかったけれど、生憎手持ちの消しゴムは切れていた。


 人を茶飲み話のネタにするなというのと、こんな時期から賭け事に手を染めるなというお説教を垂れた。

 二人はしゅんとしていたがちゃんと話は聞いてくれた。


 消しゴムを回収して席に戻ると、眼前に幸葵くんのむすっとした顔があった。神童と称えられ、一部からは崇められている節のある幸葵くんは実は結構表情変化に富んでいる。今、目の前にあるのは拗ねたような顔だ。

 何故拗ねているのかはわからないが。

 何か話そうと思ったら、無情にも予鈴がそれを遮る。そういえば、と机脇にかけてある弁当を持ってみると、ずっしりと重い。昼休みの序盤から話し始めていたから、幸葵くんもお昼は抜きになったんだろう。なんて実のないことをしていたのだろうか。

 哀音がせっかく作ってくれたやつなので、ちゃんと食べておきたいが、予鈴が鳴った。授業開始まで五分しか残されていない。五分で弁当を食べきる自信は……ない。

 僕ははあ、と肩を落とした。


 哀音はたまに弁当を作ってくれる。はっきり言って、母のより美味いし購買のより美味い。

 楽しみにしていたのをすっかり忘れていたなぁ、と後悔しながら午後の授業を受ける。まあ、自業自得といえばそうだが。

 幸葵くんとの言い合いも楽しくなかったわけではないのでよしとするか。




 そんなわけで、僕は放課後に弁当箱を開けた。

 すごいや。炊き込みご飯に入った刻み生姜と胡麻が花の形に盛りつけられている。ちょっと崩すのが勿体ない。こういうのを映えるって言うんだろうか。




「おおっ、さがらんの弁当めっちゃ映えー」

「愛妻弁当ですか?」

「いや、西園それは何か違う」




 僕が弁当に見惚れているうちに、いつもの三人組が集まっていた。

 三人だけではない。幸葵くんもこちらを覗いている。




「誰が作ったんです?」




 声のトーンが低い気がする。


「ええと……哀音だよ?」

「かなくんかぁ! マジ女子力」

「何故あたしを見る、夏帆」

「本当にあの人なんでもできるんですねぇ」




 夏帆さんと秋弥くんが感心する中、幸葵くんが眉をひくつかせる。




「かなと? 誰です? それ」




 何故だか声が棘を孕んでいるのだけれど。

 そういえば、言ってなかったっけ。春子さんたちには紹介していたから、幸葵くんにも言った気になっていた。




「哀音は僕の弟だよ。三歳下」

「手先が器用なんですよね」

「要領もいいし……マジ女子力の塊」

「だから何故あたしを見る?」

「へぇ……」




 聞いてきた幸葵くんが一番興味がなさそうだ。ガヤのせいだろうか。




「そういえば幸葵くんはお昼よかったの?」




 確か僕と言い合いしていたから食べていないはずだ。

 すると彼はあっさり言う。




「軽食で済ませました」


 軽食……そういえば休み時間にスティック菓子を食べていたっけ。

 あれを食事と、僕は呼ばない。

 それに記憶の限り、幸葵くんがお弁当を広げているところなんて見たことがない気がする。

 そこから導き出される結論として。




「そんなの健康によくないよ! ほらこれ食べて!」

「え、さが、待っ、ふぐっ」




 ろくに抵抗の間も与えず、僕は幸葵くんの口におかずの鶏の唐揚げを突っ込んだ。幸葵くんはやむなくむぐむぐと咀嚼することになる。

 きっと僕は目をきらきらさせていたことだろう。




「どう?」




 勢い込んで乗り出してしまった自覚はある。幸葵くんと顔が近い気がしたが、まあ、気にすまい。気にしたら負けだ、ちょっと引かれた気がするなんて。

 幸葵くんはじっくり咀嚼してから、少しの余韻を持ち、口を開く。

 その一言に僕のみならず、その場の全員が耳を傾けた。


 充分な沈黙を持って告げられたのは、




「美味しいです」




 というシンプルな一言。

 シンプルだけれど、わかりやすい褒め言葉。僕に対してではないけれど、兄としてはやはり誇らしい。




「でしょでしょ? うちの弟は手先が器用だし勉強もできるし容姿もいいし時々釣れないけど、ちょこっと僕に甘えてくれたりなんかしてもう逸材なんだよ!」




 熱く語ると、その場の四人がいかにも「うわぁ」という感じの眼差しをして僕を見る。はて?

 代表して、幸葵くんが口を開く。




「要するに、相楽はブラザーコンプレックスなんですね」

「えっ、そうなの!?」

「自覚なしかい」




 春子さんにツッコミを食らう。これは……重症なのかもしれない。

 でも、哀音が可愛いのは事実だし、身内を、しかも兄弟を贔屓目に見ることは仕方のないことだと思うのだが。

 なんだか腑に落ちない感情を抱えながら、僕は唐揚げを一口ぱくりと食べた。


 周囲に先程とは違う衝撃が走る。最も大きなリアクションをしたのは、幸葵くんだった。

 「相楽、それって……」と何やら呟いていたが、声が小さくて後半は聞き取れなかった。

 秋弥くんがいち早く立ち直り、まあ、男同士なんですから気にする必要はないですよね、と呟く。はて、何のことだろうか。




「これは女子に目撃されていたらヤバいぞ」




 少し冷や汗を垂らしながら言う春子さん。そこに珍しく夏帆さんが突っ込む。




「ねぇ春子、アタシらも女子だよね」




 夏帆さんにしては的確な指摘にはっとし、春子さんが慌てふためく。




「そりゃ女子だけど、あたしらとは分類の違う連中のことだよ」




 泡を食いながら否定する春子さん。分類の違う連中とは一体なんだろうか。




 しかし、このとき僕は知らなかった。






 もう一人この一幕を見ていたことを。

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