那古野へ
初評定の後暫くは父の元、周辺国のこと今まで見聞きしてきた事、
海賊衆と一緒に海に出て小田原まで行ったことや堺まで旅した事を話しました
俺の献策で城代、配置換えが行われ史実と全く変わってしまった
その要因は西の九鬼が敵対してるのが偽りであること、
蟹江城の強化、伊勢長島への護り強化、増員砦に似せた訓練施設の設置、
蟹江、熱田間の道路の拡張そして清洲までの拡張一見攻め易くなって見える作りにする事を徹底
北の斎藤とは幕府仲介という形で二年間の不可侵で休戦となった、
条件に織田からは塩の安価供給、揖斐川、木曽川の安全、美濃が木材の安価供給、
斎藤が国内平定そして朝倉に向き織田が西尾張、
そして期間は二年と互いの国内に宣伝納得させた
この話に乗った義龍はやはり体調の不安を自覚してる事が予想通りだった、
国内の不安定が目に見えてきたのだろう、あの龍興では不安だよな
まあ義龍の死後これに漬け込んで美濃を取れると父は考えた様ですが、
このままではあの人が力を付けて半兵衛さんが表に出てしまうから不味いんです
美濃攻めでこれ以上嫌われると、これから織田家の中核になる戦力が半減してしまう
その苦労で十年を無駄にしてしまうそれは父に言えませんが
こちらから攻めるほど国人の団結が強くなるだけだ、この失敗は繰り返したくない
こちらに引き込む伝手を作るこれからは国の戦い、
今までの様な内輪の喧嘩みたいな国内戦ではないと切り替えねば勝ち抜けない言葉の違いは国民性の違い、
庶民にとってはこの尾張だけが国でありこの国で一番力を持った人が国王というものだと思う、
だから皆国主であり守護である事を求め上に立った時自称するか、幕府、朝廷に認めさせてきた
でもそれは己の出来る範囲で、国をまとめてるに過ぎないそれが個人の限界とも言える
国を維持していくには力や金だけではない、人の知恵、有能な人材に身分を問わず引き入れる器量
そして法が必要、武家の法ではない庶民の法万民に平等にの基本法
今まで熱田の街でも弱い立場の者の不遇、無体な仕打ちを見かけてますしね、
いくら個人的に救えてもキリはない、力だけでは限界がある
とは言っても、自国内で戦ってる内はできない事だ
先ずは安心安全な国づくりそして、
町を守る警察いえ町奉行、自警団、武士だけが国を守る全てではない町を庶民で守ることができれば
武士を戦場にへ、内政に専従する者に分けられる
この準備で五ヶ月が過ぎた
あとは義元を誘い込むのみ、
「勝家、補強に向かいましょう、今父上にも知らせが入ってますが、今川が動きます
子供の私が戦場に行くことはできません、全員今日までの訓練通りやらせて下さい、
見掛けは支援に向かう足軽、輜重部隊を装います、
例のもの一人一籠背負い丸太を一本一夜で作ります頼みます」
鳴海城を囲む各砦の強化を始めましょう、義元が出発しましたからね
「では皆さん作り貯めた版築を全員で運びましょう」
集まった人足5000、軍勢200に「出陣!」
見送って場内に急ぐ
那古野城内1500人の忍び集を前に
「今川勢を驚かせてやりましょう、三河に入ったら今川の密偵家臣全てを殲滅します義元の耳目を奪う、
三河内の国人以下今日まで屈辱に耐えてきました、今三河国主を朝廷から認めらて正式に父が国主
であること、一向宗を通し三河国内全てに伝え今は全てが既に味方です、敵は遠江人、駿河人のみ伊賀衆、甲賀衆の皆さんお願いします」
「任せろすでに半数は九鬼の旦那と共に三河湾に向かった、尾張のネズミを狩ってくらぁ」




