1-8 楔
騙されていた。どこからだ。
考えていることが顔に出ていたのか、響子さんが答えた。
「エレベーターが開いて、あいつを見てからよ」
「うそ、だろ」
「魅入られていたのよ、あなた」
そうだ、怪異は一度狙った相手を何度も狙うものだ。一度結ばれた縁をたどることで、より呪術的に陥れやすくなる。
八尺様は俺を狙っていた。そのことに気づかず、まんまと騙されたわけだ。
冷静に考えてみれば、八尺様に飛びかかった瞬間には、響子さんの気配を喪失していた。そのときには術中にあったと考えるべきだろう。
視線を鶴喰に向けると、半透明の山犬を鎧のように纏っている。彼女の憑神である狼の神のノンノだった。八尺様からの干渉に対する防御として働いている。
「響子さんは大丈夫なんですか」
「……そんな付け込まれるような感覚、持ち合わせてないのよ」
どういう意味だろう、と思うも、すぐに響子さんに睨まれる。
「しっかりしなさい。お友達を助けるのでしょう」
「あ、ああ」
俺は改めて、意識をはっきりとさせる。まずは正気を保つこと。戦いにおける鉄則である。
しかし、これで八尺様の攻撃手段はある程度読めた。
あいつは俺の心を読んでいる。神通力のうちにはそういう力もあるというが、かなり高度な技術のはずだ。
けれども、ある一点に特化すれば届くこともある。あるいは、引き出し、利用することも。
八尺様の場合、寂しさ、あるいは懐かしさについてだ。
その人が潜在的に求めている者の声や容姿を模倣することによって、安心感を引き出そうとする。そして安心感を利用して、自分の元へとおびきよせようとするのだ。
寂しさや懐かしさという感情は、生きたいという願望に直結している。一人ではいられない、あるいは良かったはずの過去を反芻することによって、生きる活力につなげる。人はこの感情を抑えることはできないようになっている。
思えば、八尺様の姿もそうだ。つば広帽子に白いワンピースという組み合わせは非現実的ながら、郷愁のようなものを感じさせる。
存在しないはずのものとの、届かないはずのものとの距離感。
心を不安定にする空白。
それを埋めることによって八尺様は俺を連れて行こうとする。そんな力を持った怪異なのだ。
「だからと言って、対策があるわけではないか」
独り言を漏らす。視界の端では、鶴喰が八尺様へと飛びかかった。ノンノによって守られている彼女は八尺様からの干渉を防ぐことができている。
だが八尺様は、ひらりと避ける。速さに優れる鶴喰の攻撃を、まるで空に舞う布のように。
三度、同じことを繰り返すうちに鶴喰は俺たちの元へと戻ってきた。入れ替わるように響子さんが式神を操って八尺様の足止めを始めた。
火気を纏った猫たちが八尺様に追いすがる。だが、八尺様は、今度は猫たちを食い始めたのだ。
その様子を見て、鶴喰が言う。
「ダメです、全然届きません。おそらく神通力で心を読んできてます」
「俺に向けていたものを、戦闘にさえ活かすのか……!」
「ノンノであれば何とかなるとは思いますが、防御に回さないと私が八尺様に魅入られます。響子さんはどうです?」
「偵察用の思業式神では火力が足りないわ。削っているうちに逃げられる。呪術と言っても、この街中で大火力を放ってみなさい。どんな被害が出るかわからないわよ」
柊さんの命がかかっている。けれども、局員としてはより大勢の命を優先せざるを得ない。
当然の理屈であるが、俺にはあまりにも辛い正しさだった。
けれども、じゃあ何で、あのときは攻撃が通用したのか。
最初、虎熊組の鬼とともに俺は八尺様に魅入られていた。そこに鶴喰が割り込んで、八尺様の右腕を切り落とした。
あれ、待てよ。ということは、あいつの弱点は。
「……俺だ」
「どうしました、ぱいせん」
「俺を使って、あいつの動きを止めればいい」
俺が思わず言った言葉を、響子さんは拾ってくれる。
「なるほど。あなたが地蔵の役割を果たし、八尺様を封じ込めるための結界となる、ということね」
「できるんですか、そんなこと」
鶴喰は不安げに言った。
「もちろん。と言うより、相性としては抜群のはずよ。地蔵というのは正しくは地蔵菩薩と言って六道の迷える衆生を救う者という存在だけれど、日ノ本では転じて道祖神としての顔が強いの。そして猿神もまた、地蔵信仰と結び付けられるようになっている」
何気なく言ったことだったが、そんな縁があったとは。
響子さんの解説で、俺の役割がはっきりとした。
「つまり、俺を楔にすればいいんだ。八尺様を捉えるための」
「でもそのためには、八尺様と繋がる必要があるわ」
「わざと魅入られるってことですか!? そんなの認められません!」
鶴喰なら、そう言うだろうなと思った。
俺ももし鶴喰がそんな手段を取ろうとするならば止めるだろう。
「でもな、やるしかない。これが最善の手段なんだ」
俺と響子さんで八尺様を繋ぎ止め、鶴喰が倒す。これで作戦は決まりだ。
渋々であったが、鶴喰もどうにか承諾してくれたようで引き下がる。
「寂しさ、か。どう対策すれば」
魅入られるとしても、ただでやられるわけにはいかない。
声や姿、すなわち聴覚と視覚へ影響を与えてくる八尺様に対抗するには、やはりそれらに頼らないようにするしかない。
けれども、あえて魅入られるならば、視覚と聴覚を無くすわけにはいかないのだ。
「そうだ、鶴喰、それ貸してくれ」
俺はそう言って、鶴喰が驚いているうちに、彼女がつけていた鉢巻を外す。
「何に使うんです?」
「……すまん、鶴喰!」
謝りながら、俺は八尺様の前へと飛び出した。
自覚したならばわかる。神通力によって俺の精神に干渉してこようとする感覚だ。
ぽぽぽ、という鳴き声が止んで、鶴喰の声で語りかけてくる。
俺は拒まなかった。これは綱引きだ。八尺様と俺との間に結ばれたた呪術的な縁を使った、力任せの取っ組み合い。
耳が、目が、八尺様を誤認しようとしている。俺と鶴喰の間にある距離を利用して、俺をさそい出そうとしているのだ。
手の中にある鉢巻を見る。青の布地にアイヌ文様の刺繍の施されたものだった。鶴喰のトレードマークとも言うべきもので、いつも身につけているものだ。
それを顔に近づけると、思いっきり匂いを吸った。
「え、え、ええええええーーーーーーーっ!?」
「うそでしょ、やるわね……!」
鶴喰から悲鳴が、響子さんからは感嘆が聞こえた。
俺が考えた八尺様対策法。視覚と聴覚がダメなら嗅覚を使えばいいじゃない。
どれほど効果があるかは不明だ。人間は五感の中では触覚の次に視覚と聴覚に頼っており、嗅覚に関しては能力を低く抑えている。
それでも、いくらか耐えられそうだ。いまだって、八尺様を認識しながらも、鶴喰と響子さんを見失っていない。
だけどどうしてだ、鶴喰を身近に感じるのに、距離は遠のいたような。
これで俺は、八尺様に囚われながらも、八尺様を捕まえた状態になっている。
どれだけ保つかはわからない。
「オン、カカカ・ビサンマエイ、ソワカ」
響子さんから援護があった。何の真言かはわからないが、効果は実感できる。八尺様からの干渉力が弱まった。より正確に言えば、いくらか勢いが削がれたように思う。
「早くしろ、鶴喰!」
「ぱいせん、あとで覚えておいてくださいね!」
狼の神の力を纏った鶴喰が八尺様へと駆けていく。
逃れようとする八尺様を、今度は俺が捕まえる番だった。
俺は右腕の包帯を解いた。猿神の力がより解放されるとともに、呪具に余裕が生まれる。
強力な封印結界の役割も果たす包帯は、霊力をよく通す。俺は包帯を操って、八尺様へと投げかけた。
包帯は八尺様を捕らえる。ぐるりと腕から腰にかけて巻きついた。
「イメル、モス・モス」
その言葉とともに、鶴喰の持っている雷魔斬から雷が走る。
日本刀ほどの大きさとなった雷の刃が、八尺様に目掛けて振るわれた。




