4-9 あんたを突き動かすものはなんなのよ
「ずいぶん寝込んだものね」
目が覚めて第一声、響子さんがそう言った。
馴染みの病院、馴染みの病室に俺は寝かされていた。
痛む身体を起こすと、そこには響子さんがおり、りんごをナイフで剥いていた。
「見舞いに来てくれたんですか」
「馬鹿言わないでちょうだい。雪花ちゃんが心配だったのよ」
そう言って指差す先は、響子さんの向かい側。窓の側では、俺の足元に顔を伏せて寝ている鶴喰の姿があった。
もしかして、俺が倒れてからつきっきりだったのか。
「俺はどれくらい寝てたんですか?」
「丸一日よ。まったく、急に暴れだして、作戦どころじゃなかったんだから」
「助けてくれたんですか?」
「雪花ちゃんがね」
とは言うが、あのときの鶴喰では俺を止めることなど到底できなかったはずだ。響子さんがいなければ、どうなっていたことか。
「私もいたのだけれど?」
気づけば、俺の足元にもう一人の人影があった。
戸来菜々実はつまらなそうな顔をして、椅子に座っている。
「助かったよ、いろいろと」
「ええ、そうでしょう、そうでしょうとも。リョウメンスクナとの戦いも、私がいなければどうなっていたことか」
「ところでデイヴィット、というのは何かの冗談?」
ぷっ、と吹き出したのは響子さんだった。菜々実はというと、びっくりした顔をしている。
「よくわかったわね」
「お前しかいないんだよ、状況的に」
八尺様に襲われる柊さんのことを知っていたのは、北海道支局でも局長と鶴喰と響子さん、そして菜々実だけだ。
リョウメンスクナとの戦いの際に手助けをした、というならば空間湾曲だかワープホールだかの芸当のことだろうけど、「そういう能力」の持ち主なのであれば未来世界の結界から柊さんを助けられたのも納得がいく。
そして、その能力があるなら、カシマ様の結界からの救出だって可能だろう。
「……感謝はしてるけど、どうしてそんなことをしたのかはよくわからない。でも、大方、石上先生に何か吹き込んだのはお前なんじゃないかって思うんだが」
「あー! あー! 聞こえませーん!」
などと言って菜々実はベッドの布団に顔を突っ込んだ。病院では静かに、と響子さんは指を唇に当てた。
どれ、と聞かれると困る。おそらくは合成魔神あたりだろうか。もとより菜々実の目的は、シアンカムイを式神のような存在として手に入れることであった。であるなら、リョウメンスクナも同じようにしようとしていた可能性が高い。
現代怪異を掛け合わせるあたりなのか、インドの女神たちを参考にするあたりなのかはわからないけれど。
その上で計画に破綻があったか、石上先生の行動が予定外だったか。
俺たちに天使の尺度はわからないが、天使もまた俺たちのことをよくわかってないのかもしれない。
「それで、デイヴィットって何だったの?」
「キョーコが言ったの、それっぽいって」
「名前を聞かれて、チラチラとこちらを向いてきたのよ、その子」
「響子さんもグルだったんですね……」
だが確かに、響子さんのセンスのような気がする。
ボイスチェンジャーを使っている菜々実とそれを眺めている響子さんの光景はすっごく見てみたいが。
とにもかくにも、俺が事件に挑んでいる背景には、ずっとこの二人が一枚噛んでいたというわけか。
何だか安心したような、不安が増したような。思えばあと一歩、というところで助けてもらっているような気がする。詰めが甘いと言われているようで、少し悔しい。
「うう、何も倒すことはなかったじゃない。せっかく強力なやつだったのに」
「倒すよ」
「生かしておけないわ」
「ひえーん」
わざとらしいが、結構本気で泣いている菜々実のことはしばらく放っておくことにする。
りんごを剥いている響子さんを見た。石上先生を容赦なく焼いた、その顔を思い出す。
恐ろしい行為、おぞましいことであるはずなのに、それこそが響子さんの本当の姿であるように感じられた。
目の前で行われたことは許していいのか、どうか。俺には判別がつかない。あのままでは俺も鶴喰も死んでいたかもしれないと理解しながらも、だ。
そんなことを考えていると、響子さんはりんごを剥き終わり、皿に切って並べ始めた。
そして最後のひとつまで切ると、一切れを自分の口に運んでいく。
「え、俺への差し入れじゃないの?」
「私のだけれど」
「ここは手がボロボロの俺を気遣って『はい、あーん』ってする場面では!?」
「素直に気持ち悪いわ」
蔑むような視線を向けてくる響子さんであるが、ここで負けるようではいけないと自らを律する。
「ほ、ほら、戦いの傷と力の使用と封印とで、いまの俺ぜんぜん手を動かせないんですよ」
「でもこのりんごは私のよ」
「一切れ、お願いします」
「あんたを突き動かすものはなんなのよ……」
すると、むくりと起き上がった菜々実もまた、響子に抗議をする。
「私にも寄越しなさいよ。今回の功労者よ」
「今回の敗北者よあなたは」
「がーん! セッカ〜、キョーコがいじめる〜」
などと言って、菜々実は隣で寝てる雪花をゆする。
むくりと起き上がった雪花は、いつもの癖なのか変な姿勢で寝てたからかはわからないが「ん〜」と唸りながら身体を伸ばした。
寝ぼけ眼で病室を見渡し、ようやく状況に気づいたのか、気の抜けた表情がみるみる赤く染まっていく。
「え、ちょ、ぱいせん目が覚めたんですか!?」
「ついさっきだな」
「お身体は大丈夫なんですか!? 痛みは? 呪いは?」
「まったく問題なし」
と俺が言うと安心したような表情を鶴喰は浮かべる。よかった、と小さくつぶやいていた。
「雪花ちゃん、あーん」
「え、はい、あーん」
と響子さんがりんごを差し出すと、寝ぼけたままの鶴喰は口で受け止める。
もぐもぐ、と食べるも、すぐに自分の行動に気づいたのか、今度はそっぽを向いた。やはり顔は赤い。忙しいやつだな。
「って、俺にはしてくれなかったのに!?」
「だから言ったでしょう、このりんごは私のって」
にやり、と勝ち誇ったような笑みを浮かべる響子さんに、俺は歯噛みして悔しさを表す。
「バカ猿ぱいせん……響子さんに何を求めてるんですか」
「確かに期待はしてないけどさあ」
「雪花ちゃんはそういう意味で言ったんじゃないと思うのだけれど?」
「無視するなあ! 私にも寄越せ!」
ベッドに身を乗り出す菜々実、りんごの皿を持ち上げて避ける響子さん、それを制止する鶴喰という光景が目の前で繰り広げられる。
騒がしいなあ、と思うけれど、これもまた日常のひとつなんだろうと思うと、微笑ましくもあった。
右手を見つめる。きつく巻かれた包帯の下には、猿神が眠っている。
心臓に住まう竜とは和解できていても、この手は未だ俺の身体を乗っ取ろうと、虎視眈々と狙っている。
悪いけど、ここは俺の場所なんだ。だから譲ることはできない。
右手に左手を重ねて、そっと撫でた。




