4-7 特別に憧れた
静寂を取り戻した空洞内で、俺は鶴喰を肩に貸して歩く。
猿神の力があるならば女の子の一人や二人、簡単に運ぶことができる。しかし、いまの俺は霊力が足りていない。鶴喰ほどではないが力を使い果たしているし、何より血が足りていない。
霊力などは心臓から無尽蔵に湧いてくるが、肝心の血液がなければ身体は動かない。
それでも立ち止まれなかった。あとひとつ、俺たちにはやるべきことがある。
この人工空洞の浄化だ。それこそがこの作戦の最終目標である。
それを叶えるためにはこの空洞の中心に立ち、儀式を起動させる必要があると響子さんは言っていた。
「いやあ、素晴らしい! 紛い物とは言え、神々の戦いと呼ぶに相応しい死闘だった」
ぱちぱち、と拍手をしながら歩いてきたのは石上先生だった。
鶴喰を抱えながら、俺は石上先生を睨みつける。白衣の男は、にやりと笑った。
「俺だけの戦いじゃない」
「それでも、リョウメンスクナに食ってかかる君の姿はまさしく獣だった。それに最後、君は自分が何をしたのかわかっているのかい?」
氷の結界、その正体に。
わかっているに決まっている。痛いほどだ。未だ俺の左腕には感覚がないし、心臓も甲高く鳴っている。
竜による呪いを転用した、恐るべき術だ。自分の命を蝕んでいくものを自分の力のようにして振るうなど、それもぶっつけ本番でやろうなんて、常人の発想ではない。
けれども、俺には確信があった。
彼女ならば必ず力を貸してくれるのだと。
「もう一度聞くよ、君はあとどれくらい残っている?」
二度目の問いかけ。石上先生はいたく冷静だ。この半年間、ずっと俺を見続けている、心理と民俗の専門家である。
いかなる答えを告げようと、彼の言うことは絶対だった。
客観的な言葉。分析と研究から生み出された尺度からの測定。
……けど、けれども。
「俺はずっと俺だった」
そう結論を出すのだ。
忘れてしまいそうな言葉を、もう一度繰り返す。
「変わってしまった俺だって、葉沼吉暉だ。猿神に憑かれた手でも、葉沼吉暉は何かを生み出すことができると教えてくれたんだよ」
人から外れて、神にもなれず、獣にもなりきれなかった俺は。
ずっと信じていた自分自身を疑ってしまっていても。過去の自分ですら、本当のことだとは思えなくなっても。
それでも生きたいと願ったのだ。
俺の手でその笑顔をもう一度見たいと。何度だって見たいのだと。
その罪深さを知りながら、生き続ける限りこの地獄が続くんだとしても。
「欲しがりさん、らしいからな。生きていてもいい理由を探すために、ひとまずは生きようと決めた」
「くだらない。そんなありきたりな結論が」
「思ったより普通の人間だったってことだよ、俺は」
ただひとりの女の子の言葉で、救われてしまうくらいに単純な生き物だった。
悩んでいるのがバカバカしくなるくらいだ。
俺は鶴喰を身で隠すようにして、石上先生へと向き直る。
「あんただってそうなんだろう、石上先生。特別ではないから、特別に憧れた」
ずっと感じていた違和感があった。手段を尽くすことこそが目的だと言った石上先生に空虚なものを感じていた。
もし石上先生の境遇が近石と同じならば、もう術を使う才能もないはずなのだ。
現代怪異の力は本物だけれども、やり方も使い方もデタラメだ。
途端、石上先生はその余裕ぶった表情を崩し、マカロフを取り出した。いまの俺は、日緋色金製でなくとも、普通の弾丸であっても致命傷になりうる。俺が庇っている鶴喰に当たってしまえば、簡単に命を落としてしまう。
「お前……!」
「猿真似とか言いますけど、だいたいの人がわかりやすいだけですからね」
なおも挑発する。石上先生の拳銃が、俺の額を狙う。しかし照準が上手く定まっていない。訓練をまともに受けていない人では、数メートル先の標的であってもまともに狙うことはできないだろう。
鶴喰を背で隠す。そして、俺は致命的な言葉を発するべく、口を開いた。
「だって、石上先生、あんたは……」
「もう、黙れ」
引き金が引かれる、ことはなかった。
空洞内に響いたのは発砲音ではなく、拳銃が落ちる音であった。
「ぐがあああああっ!」
石上先生の絶叫が響いた。
その手には真っ赤な炎が纏わり付いている。それが響子さんの式神が変じた姿であることはすぐに察することができた。
「……よくもやってくれたわね」
かつ、かつとローファーを鳴らして、響子さんがやってくる。
制服のシャツは腹の部分が大きく破れており腹部を露呈しているが、血は見られなかった。俺と近しい力か、まったく違う要因によるものかは不明であるが、リョウメンスクナの槍で受けた一撃を超回復で治していたのだ。
「貴様、貴様、咲楽井響子!」
「名前を呼ばないでちょうだい。これでも気に入っているの」
さらに式神が二匹、石上先生に飛びつく。それは炎に変じて石上先生を炎上させた。
爆炎に包まれる中で、もはや声すらあげずに苦しむ石上先生の姿がそこにあった。
「わからないなら教えてあげるわ。あんたは自分が何を求めているかをはっきりと理解してないのよ」
奇しくも、あるいは、必然として俺と響子さんは近しい答えに至っていた。
「あらゆる人は、快楽のために動くのよ」
響子さんはそう言いながら、石上先生の元へと近づいていく。
炎の巻かれた石上先生はもはや蹲っている。生きているのが不思議なほどであった。そんな姿を見ても、響子さんは容赦しない。
「女子高生を手篭めにするのは楽しかったかしら? 古い呪術を弄ぶ万能感はいかが? 現代怪異なんて持ち出して、弱者を甚振る強者のフリはさぞかし気持ちよかったでしょう? 美しいものを眺めることもそう、何かを生み出そうとすることもそう。すべては快楽なの」
一度味わったら、離れられないもの。
響子さんはそう言って笑む。その微笑みはおぞましく、そして悲しそうだった。
「そこから目を逸らしているから、その樣よ」
やがて、燃え尽きる。石上先生は動かなくなった。
死んだのだ。響子さんが、殺したのだ。
目の前の景色を正しく認識しているはずなのに、理解を拒む。恐ろしい光景のはずであるのに、そうなるだろうと思っていた自分もいる。
「……無事だったんですね」
ようやく絞り出した言葉は、そんなものだった。
「わかりきったことでしょう? 式神だって使っていたのだし」
呆れたように響子さんは言う。
安心したから口をついて出た言葉だったけれど、きちんと受け取ってもらえなかったようだ。
「いつから石上先生が犯人だとわかってたんですか?」
「コックリさんのときよ。あいつ、本当に節操なしだから、すぐに足がついたわ」
ふん、と響子さんは鼻を鳴らす。どうやってその情報にたどり着いたかは聞かない方が吉だろう。
「快楽、かあ。言葉の印象ほど悪いことだとは思ってませんけど」
「早くに気づけてよかったじゃない」
そう言われてしまえば、そうだろう。
俺が花に触れるのも、花を使って作品を生み出すのも、心地よいからだ。作品によって誰かが笑顔になるのを見ることも気持ちいい。
快楽こそが人の原動力、というのは否定しない。
「でも、響子さんは本気で言ってないですよね?」
ぼうっ、と響子さんの背後に炎が立ち上る。
それは蜃気楼を起こし、周囲の空気を歪める。それほどの熱気を放っていた。
「誰が自分の心臓を握っているか、わからないようだな」
口調まで変わって、響子さんはそう言った。
気圧される。ごくり、と息を飲んだ。リョウメンスクナに勝るとも劣らない強者の気配が、響子さんにはあった。
でも、それよりも。
「すみません、それはわかってるんで……鶴喰をお願いします」
腕の中にいる鶴喰を響子さんに引き渡す。面食らった響子さんが炎を収めて、鶴喰を受け止める。
俺は胸を大きく開く。自分の身体に触れていてはいけない。
いますぐにでも、あいつが飛び出してくる……!
「あんた……!」
響子さんの驚愕の声が漏れる。
俺は背中から倒れていく。硬い床に背中と頭を打ち付けるが、もはや痛覚はなかった。
気を失う前、最後に見たものは、心臓から伸びる氷の柱だった。




