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4-5 二度もぶった!

 リョウメンスクナ、と鬼神の名は言う。

 その姿は不思議と女を思わせた。俺はその存在から目を離せないでいる。

 引き寄せられる。気をつけろと自分の内から叫び声が聞こえる。同時に、耳を通じてではなく、いくつもの声が聞こえる。「タリナイ、タリナイ」と、ひたすらその言葉だけを念仏のように唱えている。

 ミイラのように干からび、骨と皮だけのような肉体に、重量のある武器を支えるだけの腕力があるのが不思議だった。


「お前は……何だ。継ぎ接ぎのように見えるが」

「ご名答。さすがだよ。その式神は、いくつもの現代怪異を掛け合わせて作っている。この空洞はまさしく実験施設にうってつけでね。ほうら、君には聞こえるだろう」


 聞こえる。そう、聞こえるのだ。石上先生の言葉を聞いて、その正体をあやふやながら掴んでいく。

 目の前の鬼神はカシマ様や八尺様を含めて、いくつもの怪異を繋ぎ合わせて作ったキメラだ。そのため意思が統一されておらず、四方八方にその殺意を向けている。

 そして、声だ。俺の精神をひどく掻き立てる声が聞こえる。「タリナイ」と何度も何度も繰り返し聞こえてくる。


「いい加減、人のフリをやめたらどうだ、葉沼くん?」

「誰が……!」


 反論をしようとしたのは鶴喰だったが、それより先にリョウメンスクナが動く素ぶりを見せた。

 俺は右腕の包帯を半分まで解く。鶴喰は俺と背中合わせに、石上先生を警戒した。


「ぱいせん、形勢が悪いです。撤退しましょう」

「あいつを放っておけって言うのか? 響子さんがやられたんだぞ」

「だからこそです。各個撃破をすべきだと」

「でも……!」

「班長は私です!」


 そう言うと、鶴喰は擬神器を高く掲げた。雷がほとばしって、空間のあちこちに飛び散る。まばゆい光に紛れて、俺と鶴喰は門のひとつを潜る。

 迫ってくる気配はない。いいや、俺たちはリョウメンスクナと石上先生を放置しておくことなどできないのだから、あちらは待ち構えているだけでいい。

 荒れ狂う霊気を抜けて、脇道へと入った俺たちは息を整える。

 リョウメンスクナの異様は、見るだけで呪いにかかるかのようだった。重圧が未だ身体にのしかかる。


「……ぱいせん、さっきのはどういうことですか」


 鶴喰がそう尋ねてくる。

 さっき。それは石上先生の言葉であることはすぐにわかった。


「何を隠してるんですか」

「言わないとダメか?」


 俺がそう言うと、鶴喰は睨みつけてくる。その瞳には涙を湛えていた。


「私は! 私は、悔しいんです。ぱいせんは私のこと気づいてくれるのに、私はぱいせんのことを気づけません」

「隠してるから、仕方ない」

「仕方ないで済ませていいことですか?」


 鶴喰が聞いてくる。その言葉に沁みる痛みが、伝わってくる。

 さしもの俺も、根負けをする。


「……猿神の制御は上手くいってるけど、それはたぶん、俺が猿神に近づいているからだ」

「猿神に? そんなことって、でも、ぱいせんは」


 鶴喰は言葉を失った。俺の顔が首筋から、火傷に爛れたように赤くなっていくからだった。

 必死に抑えていたものを、少しずつ、少しずつ堰を外していくように放していく。

 それが俺の、本当の姿だった。


「抑えられてたんじゃないんですか!?」

「言ったろ。抑えてたんだよ。でも、それは俺自身が変化していくことだったんだ」


 変わっていく。人はどうしても変わっていかざるを得ない。それは未来に向けてだけじゃない。今を耐えるためにだって、変化していかなければいけない。

 俺は、俺たちはそこで、交わってしまったのだ。

 おかしかったのだ。はじめからずっと。

 五感が鋭すぎる。神通力を上手く操りすぎている。周囲の呪に関わりすぎている。勘が鋭くなりすぎている。

 すべてが上手くいきすぎていたんだ、と気づいたときに、俺は俺自身のことにようやく気づいた。

 気づけば葉沼吉暉という存在が遠い過去に置いてきてしまったもののように感じられる。いまの自分は、在りし日の自分ではないのだと。

 自分自身の過去に実感がない俺は、かえって自分がどうなりたいか、何をしたいか、そのために何をすればいいのかを喪失している。

 人間性が未来を描くことなのだとしたら、俺にはそれがないのだ。

 空っぽになってしまった自分からは何も取り出すことができないように。


「石上先生には気づかれてたみたいだけどな。響子さんもわかってたかも」

「……知らなかったの、私だけですか」

「いまはそんなことより、リョウメンスクナのことを考えよう」


 パンッ、と音が鳴った。

 それが俺の頬を平手で打った音だった。

 無理やり、鶴喰の方を向かされた。彼女は怒っていた。これ以上ないほどに。


「二度もぶった!」

「当たり前です! バカ猿ぱいせん、ぜんぜん自分のことわかってない。繊細なくせに何もかも鈍感!」


 俺は唖然とする。いつだっていがみ合ってきたけど、罵倒を交えたことはそう多くなかった。

 こんなにもストレートな物言いをされたのは初めてだった。


「いいですか、ぱいせんは欲しがりさんなんです!」

「へ、え?」

「生きていていい理由を探してるんです。だから誰かの求めに応じてしまうし、他人に求めることができない! でもそれは、人が精一杯のことをやっていって、いつかたどり着く場所なんです。それをいちいち口に出してしまう人が、欲しがりさんじゃなくて何なんですか!」

「なんで、そんな、わかったようなことを」

「わかりません。ずっと見てきたのに、ぱいせんが何に苦しんでいるかわかりません。でも、ぱいせんがどういう人なのかはわかりますから」


 言葉を失う。

 嘘だろう、と思う。鶴喰の口から出た言葉が信じられないでいた。

 それでも納得してしまった自分もいる。鶴喰が言うからには、そうなのだろうと。きっとお前にしかわからないことなんだ、とも思う。


「猿神に憑かれたぱいせんは、生まれたばかりなんですよ、きっと。だからそれでいいんです。私が見届けます」


 責任を持って、と小さな声で鶴喰は言った。その意味することはわからない。

 ああでも、鶴喰は一緒にいてくれるのか、と思った。それは安心感なのだろうか。

 もし俺が欲しがっているものがあるとすれば、それは生きるための理由なのだろうけれど、それはもう決まっているのだ。

 ただ決まってないのは、俺の心だけだ。


「監視役は続行?」

「こ、個人的に、です!」


 くすり、と笑う。

 いつかもこんなことがあったな、と思い出す。遠い過去のようで、俺と鶴喰は出会ってまだ一年も経っていないのだから、そう古いことではないのだ。


「俺が生きる理由を見つけたら、聞いてくれよな」

「待ってますから」


 鶴喰はそう言うと、そっぽを向いた。

 俺は包帯をしっかりと握り直す。何も解決はしていないのに、何かができそうな気持ちになる。


「まずは……」

『話は終わったの?』

「おわっ!?」


 ふと、声がした。俺と鶴喰は辺りを見渡すが、声の主はどこにもいない。

 ごそごそ、と俺の背後で音がする。鶴喰が俺が着ているパーカーのフードをひっぺがすと、赤黒い猫が飛び出してきた。


「響子さん?」

「の、式神?」

『ようやく繋がったと思えば、お取り込み中だったようなので黙っていたけれど。緊張感の欠片もないわね。これからどうするつもりなの、あなたたち』


 鶴喰の腕の中で、響子さんの式神たる猫はそう言った。

 主人はまだ生きている。式神との繋がりが切れておらず、活動もできているということは、術さえも使える状態にあるということだ。

 質問に対し、鶴喰が答える。


「一度、地上に戻って戦力を整える必要があるかと思ってます」

『確実に倒すならそうすべきだけれど、そうもいかないわ。あれは両面宿儺りょうめんすくなの名を借りているけれど、まったくの別物。思念体である現代怪異を蠱毒で詰め込んだもののように見える。放置しておけば人工龍脈に乗って、広い範囲に呪詛を巻く危険もあるでしょうね』

「いま仕留めないとまずい、ということですね」

『コックリさんの件もあったでしょう? 札幌という都市を形代に、京都への打撃だって行うかもしれないわ』


 それはぞっとする話であった。いわば、リョウメンスクナという存在を爆薬とし、札幌を爆弾にしているのだ。

 規模がまったく想像できず、考えるだけで頭が痛い。


「……聞きますけど、あれは俺に近しいものですか?」


 俺の質問に、式神の猫は目を細める。


『見たところ女性の神性、荼枳尼だきに天やインドでの神であるカーリーを参考にしているようには見えるわ。そういう意味では近いかもしれない。ええ、そういえば八尺様にしろ、カシマ様にしろ、黒狐にしろ、縁があるわね?』

「なら、俺にやらせてください。俺しか、戦えないでしょう」

「ぱいせん、何か策が?」


 俺は頷く。そして猿神の右腕に隠し持っていたものを取り出す。

 なるほど、と響子さんの式神は頷き、鶴喰は驚いた顔を浮かべる。


「こいつが切り札だ。一発限りだけど」


 俺が握っていたのは、丹塗矢《火雷》だった。

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